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旅行のはずが異世界に放り込まれたオカン―境界を歩く騎士と、ほどけない問い―  作者: 壮月彩
第2章 雪解けの村前編—子供の輪—

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第10話 旅行という嘘

 白い。


 ただ白いだけなのに、そこには“色”という手触りがなかった。

 音もなかった。


 どこまでが世界で、どこからが自分なのか。

 境目が分からない。


「ここは……?」


 見回す。

 白が返すのは白だけだ。


 だが、静けさが“均一”ではなくなった。

 耳が拾う前に、背中が先に知る。


 不意に咳払いがひとつ。

 続けて、言葉が落ちた。


「幾人もの子を育て、暮らしを回し、伴侶を支え続けた。

その積み重ねは功だ。ここに認める」


 声は“どこか”からではない。

 白そのものから滲むように届く。


 耳で受ける前に、頭の内側へ沈んだ。

 喉が、わずかに渇く。


「なんだいなんだい。

誰だか知らないけど、私を讃えてくれるのかい?

ありがたいねぇ」


 返事が来ない。

 白が息を整えるみたいにたわむ。


 乾いた咳が、ひとつ落ちる。


「……褒美がある」


 声は低く、抑揚が薄い。

 冷たいのではない。余計なものを削っているだけだ。


「褒美?」


「あぁ。二度目の人生をやろう」


 言い切った直後、間が沈んだ。

 言葉より先に、息が擦れる。


「……お望みの旅行でもするといい」


 その一言だけが、やけに軽かった。

 白の中でふわりと浮いて、手触りのないまま落ちてこない。


 その選び方が、不穏だった。

 中身を包むために、わざと軽くしたみたいで。


「二度目の人生? 旅行?

あんたまさか、それが褒美になるって本気で思ってんのかい?」


 笑い飛ばすつもりだった。

 軽口の形にして、こちらのペースにするつもりだった。

 けれど白の沈黙が、冗談を許さない温度で返ってくる。


 これは“軽い”んじゃない。

 軽く見せている。


「……勘違いも甚だしいね」


 言い切ったあと、白が一段沈んだ。

 返されるはずの言葉が来ない。


 咳の気配だけが先に立つ。


「人間は、多くを言い残したまま終わる」


 淡々としている。

 だが、淡々としているのに急いている。


「願いが一つでも叶うなら、と。

終わり際にそう願う者を、私は見てきた」


 言葉を繋いだぶんだけ、白がわずかに震えた。

 切れ目が硬い。


「本当は、そうでも言わないと——」


 続きは咳に潰れた。


「あんた、体調悪いのかい?」


 声の濃い方へ身を寄せる。

 白しか見えないのに、気配だけが更に濃くなる。


「咳ばっかりしてるじゃないか」


 小さく息を吐く。

 叱りではない。だが見過ごせもしない。


「無理して喋るの、やめな?」


 白の向こうで、返事にならない息が揺れた。


 その弱さを見た瞬間、言葉の刃がしまわれる。

 口調だけが、いつもの軽さへ戻った。


「二度目の人生、ね……」


 白はどこまでも白い。

 この場の主が弱っていることだけが、妙に現実味を欠く。


「ばっかだねぇ。そんなもん、人によるさね。

私は楽しい人生だったから、悔いなんてのは……まぁ、ほら」


 言いかけて止まる。

 胸の内に、まだ触れたくないものが残っている。


「……旅行、行こうかな、なんてのは思ったけどさ」


 二度目。人生。

 言葉が遅れて戻ってくる。


 息を飲む。

 笑みがほどける。


「私、死んだん?」


「……」


 返事はない。


 白が、ほんの少しだけ沈む。

 沈黙が長いほど、答えだけが濃くなる。


 笑い飛ばす言葉が出かけて、喉の奥で折れた。

 否定が先に走る。遅れて、怒りに似た熱が胸へ上がる。


 なんで自分が。どうして今。

 問いがいくつも立つのに、どれも掴めない。


 畳の上に置きっぱなしだったチラシが、視界の端に蘇る。

 あの色。あの緑。あの空。

 見なければ、こうならなかったのか。

 戻る手立てはあるのか。


 探そうとした瞬間、自身の身体の輪郭が頼りなく揺れた。

 鼓動も、息も、確かめようがない。


 その白の中で、思い出だけが刺す。

 後飾りの前に置いた写真。控えめに笑う口元。


——夫はもう、返事をしない。


 その事実に、いまさら足場を蹴られる。

 自分も声を返さない側に立ったのだと、遅れて理解が追いついた。


 だから、責める問いは折って捨てた。

 代わりに、立て直せる問いを選ぶ。

 相手が答える間だけでも、呼吸が整うように。


「……その、旅行ってのはさ。どこに行くんだい?」


 返事までが長い。

 白の中で、呼吸の擦れる音だけが先に落ちる。


「お前の居た世界とは別の世界だ。

似ている部分もあるが、同じではない」


「ふうん。

……つまり、昔よく耳にした異世界トリップってやつか」


 飲み込みが早い。

 口元がゆるむ。癖みたいに、言葉を軽くしてしまう。


「……もしかして、その筋の者か」


「その筋ってなんだい」


 肩をすくめたまま、畳みかける。


 この身体のままなのか。行き先は安全なのか。何のために行くのか。都合のいい力はあるのか。そして、言葉は通じるのか。


「……質問は一つずつにしろ」


 淡々と言う。

 それだけで、場の空気が整う。


「へえ、ちゃんと叱れるんだ」


「叱っていない。整理しているだけだ」


 その言葉に、笑いが漏れた。


「じゃあまず第一に、言葉は通じないと困るね」


「……通じるようにする」


 答えながら、どこか遠くを見るような間が挟まる。


「そのための調整は……」


 次の言葉が途切れる。

 息が擦れ、咳が押し上がった。


 放っておけない、が先に出る。

 手が伸びかけて、引っ込めきれず、半歩だけ近づいてしまう。


「ほらまた。無理すんなって言ったろ」


 白の濃い場所へ、確かめるように手を伸ばす。

 触れはしない。それでも癖だけが先に出た。


「……で、旅行ってのはさ」


 声が落ちた。

 茶化しではない。確かめだった。


「平和なところに連れて行ってくれるんだろうね?」


「いや、その世界は混沌——」


 言葉が喉の奥で引っかかった。

 音が呼吸に負ける。


 白の中で“存在の濃さ”が乱れる。

 咳が、ひとつ。続けて、もうひとつ。


「……いや」


「混沌?」


「言葉のあやだ」


 淡々と言い直す。

 だが、隠しきれていない。


 沈黙が落ちた。


「……座る」


 声が落ちた瞬間、白の中に“沈み”が生まれた。

 霧が寄り集まり、人影のようなものが立つ。


 その声の主が、男の輪郭を得た。


 ぼんやりとした顔が浮かぶ。

 血の気が薄い……というより、色そのものが抜け落ちている。


 男は大きく息を吐き、胸元を押さえた。

 咳を堪えるように肩が揺れ、疲労だけが濃く残る。


「ほらね。大丈夫じゃない」


 横に腰を下ろし、躊躇なく背中に手を添えた。

 触れた拍子に輪郭が一瞬ほどけ、また人の形に戻る。


「……触れられるのか」


「みたいやね。これなら看病もできるわ」


 ゆっくり背中を撫でる。手は迷わない。


 男は一瞬、目を見開いた。

 肩の力が、ほんのわずか抜ける。


 まぶたが落ちる。

 言葉を探すみたいに、息を吐く。

 男の輪郭が、白に薄く溶けた。


 そして、ひとつ結論を落とした。


——この女を選んで、間違いはなかった、と。


 しばらく、白が鳴らなかった。


「……正直に言っていいか」


「怒らないから言ってみなさい」


 白が凝り、男の輪郭がもう一度、立った。


 言葉を急がない。

 急げないのかもしれない。


「私の関わる世界が、崩れかけている」


 遮らず、じっと聞く。

 口元のゆるみが消え、目が真っ直ぐになる。


「人々は互いを疑い、信仰は割れ、言葉が刃になっている」


 息を吸い、短く咳をしてから続けた。


「このままでは均衡が落ちる。戻せなくなる」


 男の声だけが、重く響く。


「救ってほしい」


 その一言だけが、残った。

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