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第93話:三者三様

 東軍本部の執務室は、夜になると広すぎるほど静かになる。

 分厚い石壁が外の風を遮り、窓の隙間から差し込む月明かりだけが机の上を照らしていた。


 ギウスは大剣を壁に立てかけ、酒瓶を片手に重い椅子へ身を沈めた。

 豪快に笑い飛ばす時とは違い、今の彼の顔に浮かんでいるのは、深い皺と疲労の影だった。


「……ったく、アルの野郎。最近、やけに動きが多い」


 独り言のように呟くと、酒を喉に流し込む。

 熱が舌を焼き、胃に落ちる頃には少しだけ頭が冴える。

 西軍のアル。若い頃から顔が良く、立ち振る舞いも柔らかい。外向けには「理想の団長」と呼ばれることも少なくない。

 だが、ギウスの目には、その奥に潜む「鋭すぎる牙」がどうしてもちらついて見えてしまう。


 書類の山を乱暴にめくる。

 外壁の補給路、兵站(へいたん)の報告、すべてに“細工できる隙”はある。だが決定的な証拠は何ひとつ掴めない。

 ただ、長年の戦場勘が告げていた。

 ——あの男は何かを仕掛けてくる、と。


 窓の外では、遠くに見張り台の灯りが揺れている。

 ギウスは目を細め、その炎を眺めながらぼそりと漏らした。

「まだ早ぇ……あの赤毛の坊主たちを巻き込むにはな。外壁の砂に立つのは、もう少し俺ら大人の役目だ」


 思い浮かぶのは、ウルスとその仲間たち。


 無鉄砲に突っ走るレグ。飄々としていながら芯が強いパール。冷静な頭脳を持つデーネ。そして——父親譲りの目を持ちながら、まだ迷いを抱えるウルス。

 彼らを戦場に立たせるのは簡単だ。だが「まだ駒じゃねぇ、育ちきってない芽」だと、ギウスは知っている。


 机に酒瓶を置き、両手を組んで額を押さえる。

 頭の奥に残るのは、あの足跡。外壁の外で見つけた“花形”の痕跡。

 ただの偶然ではない。

 外にまだ何かがいる。王国の歴史が語る以上の“何か”が。


「外の脅威……か。だが脅威だけじゃねぇな」


 誰にも聞かせられない声で、ぽつりと続ける。

 もしあの足跡の主が「人」だとしたら?

 もしこの国の教えが、歴史が、すべて書き換えられていたとしたら?

 ギウスの胸に生まれた疑問は、酒でも消せなかった。


 やがて彼は立ち上がり、大剣の柄に手をかけた。

 鉄の重みが手に馴染み、わずかに安堵が広がる。

 ——武器の重みだけは嘘をつかない。人間の言葉や笑顔よりもよほど信じられる。


「……さて、どう動くか」


 豪快な笑みが唇に浮かぶ。

 砂漠の夜に潜む獣のように、ギウスは静かに次の一手を考えていた。



---ウルス視点---



 夜の寮の部屋は、思っていた以上に静かだった。

 壁に掛けられたランプの火がわずかに揺れて、その影が天井をゆっくり泳いでいく。

 でも僕の胸の鼓動は、そんな静けさに反して、やけに速くてうるさい。


 アル団長の声が、まだ耳の奥に残っていた。

 ——「ギウスを外に出す。戻れぬ状況にする」

 あの低い声の響きが、まるで砂漠に杭を打ち込むみたいに、胸の真ん中に突き刺さって抜けなかった。


 どうすればいいんだろう。

 ギウス団長は、僕が知る限り一番豪快で、一番信頼できる人だ。

 なのに、その人を狙うような言葉を、同じ団長が口にしている。


 もし今すぐにでもギウス団長に伝えたら、少しは動いてくれるかもしれない。

 でも……心のどこかが、まだ「待て」と言っていた。


 証拠もない。僕が聞いたのはほんの断片だけ。

 それに、僕みたいな新米が口を開いたところで、どれだけ信じてもらえるのか。


 ベッドに横になっても、目を閉じた瞬間に団長たちの顔が浮かぶ。

 ギウス団長の豪快な笑み。

 アル団長の柔らかな口調と、その奥にちらついた影。

 ルナーア団長の冷静な目。


 ——この人たちは本当に同じ「団」を見ているんだろうか?

 そんな疑問が、初めて頭をよぎった。


 ふと、隣の部屋から小さな物音が聞こえた。


 たぶんパールだ。彼女はよく夜更かしをする。

 強がりの笑顔で僕たちを引っ張っていくけど、誰よりも神経を張りつめているのは知っている。

 今夜もきっと、同じことを考えているんだろう。


 デーネはどうだろう。

 冷静に見えて、頭の中ではきっと何十もの可能性を組み立てているはずだ。

 もし僕が相談したら、何か整理してくれるかもしれない。

 でも、僕はまだ話せなかった。彼女の瞳に映る“真実を求める光”が、今は少し怖い。


 そしてレグ。

 あいつはきっと、こんな状況でも「拳で全部解決だ!」と笑って言う。

 ……そういう単純さが、羨ましい。



 頭の中に、あの足跡が浮かぶ。

 外で見た“花形”の痕跡。

 

 なんなんだ、あの奇妙な足跡は……

 正体は分からないけど、確かに存在していた。


 もしかしたら、アル団長が狙っているのはあれなのかもしれない。

 でも……あれを「脅威」って呼んでいいのか?

 胸の奥で、何かが「違う」と囁く。

 父さんなら、どう考えただろう。

 旅立つ前に、何を見て、何を知っていたんだろう。


 枕元の机に置いたバングルを手に取った。

 冷たい金属なのに、握るとほんの少し温かい。

 父さんの形見。

 「強くなれ」と言われているようで、同時に「迷うな」とも言われている気がする。




 窓の外を見やると、月明かりの下で外壁が黒くそびえていた。

 あの外には、まだ僕らが知らないものがある。

 アル団長たち大人の思惑も、その向こうの真実も、きっと全部繋がっている。


「……僕も、見に行かないと」


 小さく声に出した。

 誰にも聞こえないように、囁く程度で。

 でも、その言葉を出した瞬間、胸のざわつきがほんの少しだけ静まった。


 まだ僕は弱いし、何も知らない。

 でも、だからこそ、見て確かめないといけない。

 誰かの言葉や都合に左右されるんじゃなくて、自分の目で。


 バングルを握りしめ、深呼吸をした。

 吸って、吐いて、3。

 この呼吸だけは、いつも通りでいい。


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