表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
96/159

第90話:古びた留め具

 花型の足跡は、壁の外の乾いた砂地に一本の細い線を描くように続いていた。

 誰かが「歩きながら道を引いている」みたいに、迷いなく、一定の間隔で刻まれている。


「……妙だな」

 ルナーア団長が呟き、眼鏡の奥で目を細めた。

 「普通、足跡は多少でも乱れるはずだ。だが、これは——意図的に“見せている”足跡だ」


 パールが息をのむ。

 「じゃあ、こっちを見てる可能性が高いってこと……?」


 ギウス団長が口の端を上げた。

 「面白ぇじゃねえか。こっちの動きも、あいつらの計算のうちってわけだ」

 そう言いながらも、大剣を握る右腕の筋肉がわずかに膨らむ。赤黒い神力が刃先を包み、砂に影を落とした。



 進むにつれ、空気が少しずつ変わっていった。

 日差しは変わらないはずなのに、体感温度が下がり、耳の奥で風の音が遠ざかっていく。

 ——まるで、誰かが周囲の音を吸い取っているようだった。


 デーネが僕の横に並び、小声で言う。

 「ウルス、これ……結界じゃない?」

 僕は頷く。

 「たぶん……俺たちはもう、入ってる」


 後ろからレグが不満そうな声を上げた。

 「だったらもっと早く言えよ」

 「いや、気づいたの今だって」

 「おっそ」

 この状況でも口げんかできるレグの胆力は、ある意味うらやましい。



 やがて足跡は、半ば砂に埋もれた岩場で途切れた。

 風が一瞬、ぴたりと止まり、全員の呼吸音だけが耳に届く。


「……消えた?」

 パールが辺りを見回す。

 だが僕は、視線の端に“それ”を捉えていた。

 岩場の向こう、淡い影が一瞬だけ揺れたのだ。人の形をしている。

 間違いない——前にも見た“影の人物”だ。


 心臓が大きく跳ねた。

 でも、何故だろう。

 その背中が、どこか懐かしく見えた。



 ギウス団長が一歩前へ出る。

 「おい! そこにいるのは分かってる!」

 赤黒い神力が爆ぜ、空気を振るわせる。

 だが返事はない。影は揺れ、そして……砂の中へ溶けるように消えた。


 残されたのは、ひとつの小さな物。

 ——銀色に輝く、古びた紋章付きの金具。

 それは僕の家にあった古い剣帯の留め具と、まったく同じ形をしていた。



***



 僕は膝をつき、その銀色の留め具を拾い上げた。

 表面は細かな傷で覆われ、長い年月を経ていることが分かる。けれど中央の刻印——鋭く彫られた双翼の紋は、ほとんど摩耗していなかった。


 見覚えが、ある。

 僕の部屋の奥、埃をかぶった箱の中。母が捨てずに残していた古い剣帯。

 そこについていた留め具と……まったく同じだった。


「ウルス、それ……」

 デーネが覗き込み、眉をひそめる。

 「ただの金具……じゃないよね?」


 僕は返事できなかった。

 指先がじわりと熱くなり、心臓の鼓動が耳の奥まで響く。

 あの影は——父さんなのか?

 でも、父さんはずっと前に……。



「おい、なに固まってんだ」

 レグが僕の肩を軽く小突く。

 「持ち主が近くにいるなら、追うしかねぇだろ」

 そう言って前へ出ようとした瞬間、ギウス団長の声が低く響いた。


 「やめとけ」

 振り向いた彼の眼は、戦場を何度もくぐり抜けてきた者だけが持つ冷たさを帯びていた。

 「今は“追わせるつもりで消えた”足跡だ。迂闊に乗れば、全員まとめて罠にかかる」


 ルナーア団長も頷く。

 「それに、この紋章……記録にはない。だが、私の記憶にはある。随分昔に、壁外遠征で一度だけ目にした」

 眼鏡越しに僕を見て、わずかに声を落とす。

 「……君の家系と、何か関係があるのかもしれない」



 パールが僕の隣に立ち、小さく笑った。

 「ねえウルス、今すぐじゃなくても、ちゃんと確かめよう。あんた……今、ちょっと顔が怖いよ」

 冗談めかして言ったのに、目は真剣だった。


 僕は息を吐き、留め具を握りしめる。

 ——そうだ、今はまだ答えを出すときじゃない。

 でも、これが偶然じゃないのは確かだ。


 風がまた吹き始め、砂を巻き上げて視界を霞ませた。

 影は消えた。でも、確かにここにいた。

 そして、何かを——僕に託そうとしていた。



 ギウス団長が背を向け、隊に声を飛ばす。

 「戻るぞ。今日のところは収穫ありだ」

 部下たちが一斉に動き出す中、僕はしばらくその場に立ち尽くしていた。


 手の中の留め具は、太陽の光を反射して鈍く光っている。

 それは、僕の過去と、これからを繋ぐ唯一の手がかりのように思えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ