第89話:砂の向こうの予感
翌朝。
空は雲ひとつなく、砂漠を覆う陽光は容赦なく肌を焼いていた。
壁の内側でさえ暑いのに、これから行くのは外壁のすぐ外——砂塵と熱気が渦巻く場所だ。
「任務内容は簡単だ。外壁周辺の巡回、異常がないかの確認」
ギウス団長の声が、朝の集合所に響く。
横でアル団長が軽く笑い、部下たちに手を振った。
「まあ、今日は顔合わせだと思ってくれ。……なぁに、危険なことはしないさ」
その口調は軽い。
けれど僕は分かっていた。
——絶対、何か隠してる。
昨日の会議室から漏れてきた言葉。
あの“また外に出る”という含みのある言い方。
偶然なんかじゃない。
パールとデーネも同じことを感じているらしく、列に並びながら視線で合図してきた。
レグはといえば、いつも通り腕を組んで前を見ているが、その肩はわずかに力んでいる。
ーーーーーー
外壁の門が再び開く。
分厚い鉄の扉が擦れ、砂を巻き上げる低い音が胸に響いた。
門の向こうは、広がる砂漠と、かすむ地平線。
そして——あの足跡を見つけた場所が、どこかで僕らを待っている。
「周辺の巡回って言ってたけど……これ、結構遠くまで行くんじゃない?」
パールが隣でささやく。
「だろうね」僕は答える。
「団長たちが、わざわざ俺たちを連れてきたんだ。何かある」
数時間の行軍ののち、ルナーア団長が馬を止めた。
眼鏡の奥で鋭い光が走る。
「……この先、昨日の戦闘現場だ。念のため確認する」
部下たちが周囲を警戒する中、ギウス団長が僕らを手招きした。
「お前ら、ちょっと来い」
足跡のあった地点は、昨日の砂嵐でほとんど消えていた。
けれど——砂の奥に、うっすらと同じ形が残っていた。
花のような、しかし鋭く尖った輪郭。
アル団長がしゃがみ込み、砂を払う。
「やっぱり、まだあるな……昨日より鮮明じゃないが」
「消すつもりなら完全に消すはずだ。わざと残してる可能性がある」
ギウス団長の言葉は、風よりも冷たかった。
再び歩き出した隊列の中で、僕はずっとその足跡を考えていた。
もしこれが父さんのものだったら……?
行方不明とされて十年以上。
記録では“任務中に死亡”とほぼ同義に扱われているのに、実は生きていたとしたら——。
「……ウルス、大丈夫?」
デーネの声に我に返る。
「うん、大丈夫」
笑ってみせるが、心の奥は嵐のように荒れていた。
父さんの足跡かもしれない。でも確証がない。
だからこそ、僕は次に外に出る時までに——覚悟を決めなければならない。
ギウス団長の背中が、砂煙の向こうで揺れていた。
その歩みは、どこか僕を試すようにも見えた。
外壁から離れるほど、空気はさらに乾き、風は熱を帯びて肌を刺す。
砂の匂いの奥に、金属を焼いたような匂いが混じり始めた時——。
「止まれ!」
ルナーア団長の鋭い声が、隊列を裂いた。
全員が足を止め、視線を砂丘の向こうへ向ける。
……低い唸り声が、地面の下から響いていた。
次の瞬間、砂を割って巨大な顎が飛び出した。
鱗に覆われた蛇のような体。
しかし口は縦にも横にも裂け、赤黒い舌が何本も蠢く。
「デザート・ハイドラ!」
パールが叫ぶ。
魔物の名前を聞くだけで、部下の何人かが後ずさった。
「下がってろ!」
ギウス団長の赤黒い神力が爆発するように噴き上がった。
炎のように揺れるオーラが大剣にまとわりつき、次の瞬間、彼は砂を蹴って前に出た。
ハイドラの一つの首が振り下ろされる——それを真っ二つに叩き斬る。
砂が飛び、血と熱気が混じった匂いが押し寄せた。
「頭を全部落とせば終わりってわけじゃないぞ!」
ルナーア団長が弓を引き、赤い矢を放つ。
矢は空中で三つに分裂し、それぞれの首の根元に突き刺さった。
その正確さに、デーネが息を呑む。
「ほぉ……俺の出番か」
アル団長の赤黒い神力が砂嵐を巻き起こす。
槍を回転させながら突進し、一撃で胴体ごと吹き飛ばす。
まるで舞台のような華やかさと殺意が同居していた。
僕はレグと共に、後方で護衛と警戒を担当していた。
正直——出る幕なんてほとんどなかった。
団長たちが三人そろえば、この規模の魔物は数分で片付く。
だが、その時だった。
ハイドラの胴の下、砂に……花型の足跡が1つ、くっきりと残っていた。
戦闘の衝撃でできたとは思えない、整った形。
しかも——真新しい。
「……まただ」
僕は呟いた。
パールが近づき、低い声で言う。
「これ、絶対偶然じゃない。この足跡の主が、わざと私たちに見せつけてる」
ギウス団長が振り返り、その足跡を一瞥した。
表情は読めない。
けれど、その目の奥には確かに——警戒と、何かを見極めようとする光があった。
砂の上に残された花型の足跡は、どこか不気味なほど整っていた。
風に吹かれれば消えてしまうはずなのに、周囲の砂がわずかに固まっていて、形が崩れる気配がない。
まるで刻まれた印のようだ。
「……おい、誰かがわざと置いていったな」
ギウス団長が低く呟く。
赤黒い神力が、まだ薄く肩口に揺れている。
ルナーア団長はしゃがみ込み、指で足跡の縁をなぞった。
「湿っている……この砂の乾き方から見て、つい数分前だな」
眼鏡越しの視線が鋭くなり、彼は顔を上げた。
「追えば追いつけるかもしれん」
「追うって……」
パールが眉をひそめる。
「これ、完全に誘ってますよね?」
アル団長が肩をすくめ、口角を上げる。
「誘いか罠か、踏み込んで確かめなきゃ分からないだろう?俺は行くほうに賭けるね。こういうスリル、嫌いじゃない」
軽口を叩いているようで、その槍の穂先はまだ血を滴らせていた。
僕はレグと視線を交わした。
レグは拳を軽く握りしめ、「行くしかねえだろ」と目で訴えてくる。
……でも、心の奥で警鐘が鳴っていた。
これはただの偶然じゃない。
最初に壁外で影を見た時と同じ足跡だ。
二度も三度も出くわすなんて、あり得ない。
「ギウス団長、これは——」
僕が口を開きかけた時、団長は僕を見てニヤリと笑った。
「怖ぇなら下がってろ。だが、お前らは見ておいたほうがいい。こういう時、迷って動けねえ奴は真っ先に死ぬ」
その一言で、僕は言葉を飲み込んだ。
——この人は、僕らを試している。
結局、ルナーア団長とアル団長は進行に賛成。ギウス団長も肯定した。
パールとデーネは反対だったが、多数決で進軍が決まった。
「全員、距離を詰めすぎるな。何が飛び出しても対処できる間合いを保て」
ルナーア団長の指示で隊列が再び整う。
砂の向こうへ続く花型の足跡。
それは道標にも、警告にも見えた。
——その先に、何が待っているのか。
僕は無意識に、腰の刀の柄を握りしめた。




