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第74話:沈黙に触れる手

 『来るな』——確かにそう聞こえた。


 3人の顔を見るに、聞こえたのは僕だけじゃないらしい。


 僕らは広間の中央に立ち尽くし、黒い結晶が吐き出す微かな光を見上げていた。

 さっきの声は耳からじゃない。

 骨の内側、鼓動と鼓動の間に差し込まれたみたいに、離れない。


「……今の、誰?」


 パールが囁く。

 探知を伸ばそうとして、すぐ顔をしかめた。


「やっぱり駄目。網に手を突っ込んだみたいに、ぜんぶ跳ね返される」


「“来るな”って言われたら、来たくなるのが人間ってもんだろ」


 レグが肩を回し、片膝をついたままの無頭像をつんと小突いた。


「こいつが門番なら、門はまだ先だ」


「慎重にね」


 デーネが結晶の台座の縁を覗き込み、薄板のような継ぎ目を見つける。


「……ここ、“受け口”に近い加工。輪と薄板の規格が合いそう」


 僕は背負い袋から油紙包みを取り出し、薄板を指先にのせた。

 触れた瞬間、ぞわりと静電のような嫌な感覚が走る。


「合わせる?」


「やってみて。——ただし、その前に」


 デーネは小さく息を飲み、僕たち3人を見る。


「神力、いったん完全に落とせる? ここ、“力”に反応して構造が閉じるタイプかもしれない。記録にあった“影の道”の二重条件——“心の真実”と“無灯むとう”。」


 無灯。


 僕は喉で小さく唾を飲み、皮膚の下に張っていた薄い紫の膜をほどいた。

 体温が一段、外気に近づく。

 視界の輪郭が生身の重さに戻る。


「……落とした」


 パールも頷き、レグは両拳を開閉してみせる。


「素っ裸になった気分だな」


「服は着てる」


 デーネが即座に突っ込む。


「——ウルス、お願い」


「うん」


 僕は薄板を“受け口”らしき継ぎ目にそっと差し込む。

 カチ、と乾いた音。


 同時に、結晶の光が弱まり、広間の奥の壁——だったはずの場所に、縦に細い“影の裂け目”が走った。

 黒がより黒く、そこだけが夜より深い夜になる。


「……開いた」


 パールの声も自然と小さくなる。


 裂け目の奥から、風がわずかに流れ出る。

 冷たくはない。

 温く、乾いて、どこか懐かしい匂いが混じっている——草、砂、油、汗。


 4つの匂いが微かに重なり、すぐに消えた。


「行くぞ」


 レグが一歩踏み出しかけたのを、僕は腕で制した。


「“無灯”は続ける。走らない。戻れる線、頭の中で数え続ける」


「了解」

「了解」

「りょーかい」



 裂け目の中は、さらに狭い通路だった。

 肩が擦れる。


 壁は硬く、今度は生き物の質感が消えている。

 石に近いが、叩けば音が遠くで吸い込まれていくような、奇妙な静けさがある。


 数えて進む。


『1』——10歩。

『2』——左へ半歩ずらし。

『3』——臭いの薄い方へ。

『4』——息を浅く、汗を残す。


 自分の呼吸音と友の足音だけが“この世界の音”みたいに思えて、耳がそれに寄りかかる。


 やがて、通路が不意に終わり、小さな間に出た。


 そこには、壁に埋め込まれた“盤面”があった。


 円形の盤に、短い線と弧。

 それはまるで、僕らがここへ来る道中で見た“数え”の図形が、ひとつに集約されたみたいだった。


 盤の下には、さらなる指示が、神代文字で3行。


 デーネが顔を寄せる。


「……読める。“汝ら、光を捨てよ。影をまとえ。音は1つに重ねよ”」


「音を1つ——?」


 パールが首を傾げる。


「足並み、ってこと?」


 レグが足をとん、と鳴らす。

 僕、パール、デーネも続いて同じリズムで1度。


 4つの音が、狭い間でひとつの鼓動みたいに重なる。



 その瞬間、盤の弧がゆっくりと回転し、短い線が“北”を示した。


 ——カチ。


 遠くで、軽い鍵の音がした。


「合ってる」


 デーネの声に肩の力が少し抜ける。


「“光を捨てよ”は無灯の継続、“影をまとえ”は……身体を壁の影に沿わせて進め、かな」


「俺、影似合う?」

「うん、大型犬の影」

「褒めてる?」

「褒めてない」


 北を向く狭い通路に身を滑らせる。

 息の重さがまた変わり、今度はほんのわずかに甘い匂いが鼻をかすめた。


 ——花、か? この地下に?


 半分ほど進んだところで、床の感触が変わった。


 柔い。

 踏むと、わずかに沈む。


 僕は手で制止を出し、しゃがんで指先で探る。


「薄い膜っぽい。 先に進むにはこの上を通るしかない……」


「罠かもしれない」

 パールが小さく頷く。


「これ、踏み抜いたらぜったい良くない」


「回り道は?」


 通路幅は人1人分。避けられない。


 僕は刀を抜かず、鞘だけを差し出し、ゆっくり荷重をかける。

 膜はわずかに伸びて、ぷつ、と小さな音で破れた。


 中は黒い液体で満ちていた。

 さっきの“水たまり”の濃縮版。


 液体から細い触手のようなものがぬるりと伸び、鞘に絡みつこうとして……光らない刀に、まったく反応しないまま、すぐに引いた。


「……神力にだけ、反応する?」


 デーネの推測に、僕は頷く。


「無灯で正解。灯せば“ここで”捕まる」


 鞘を引き抜くと、破れていたはずの膜は跡形もなく元に戻った。


「破らないように慎重に渡ろう」


 体重移動はゆっくり、均等に。


 レグが息を止めてついてくるのがわかる。

 パールの足音は軽い。

 デーネは——震えを押さえて、正確だ。


 渡り切った瞬間、奥の暗がりで、また“声”が動いた。


『戻れ』


 さっきより低く、近い。

 命令というより、懇願に近い響き。


 僕は喉の奥を締め付けられ、思わず足を止めた。


「……“来るな”から“戻れ”に変わった」


 パールが僕の肩に手を置く。

 温度が戻る。


「どうする?」


「進む」


 自分でも驚くほど、声は静かだった。


「ここで引いたら、僕らはずっと“外”だ。——行こう」


 通路がふっと広がり、低い天井の部屋に出た。


 中央に、石の寝台。

 そして、その上に——黒い布で覆われた、細長い“箱”。


 レグが息を飲む。


「棺……か?」


 デーネが布の端に手をかけ、僕を見る。


 僕は頷いた。

 パールが周囲を見張る位置につく。


 布をめくると、中には白い石棺。

 その表面には、神代文字がびっしりと刻まれている。


 読み解ける単語が、胸に鋭く刺さった。


「——“先代ネア”。“記録”。“花”。」


 花?


 視線を走らせると、石棺の縁に、乾いてなお色を残す小さな花びらが押し花のように張り付いていた。

 この“影の中”で、どうやって。誰が。


「開ける?」


 レグが低く問う。


「待って」


 デーネが棺の端を指で叩く。


「ここにも“受け口”。輪と薄板、もう1組——」


 僕は残りの1組を取り出した。

 差し込む。


 カチ。


 石棺が音もなくずれ、わずかな隙間から、乾いた空気が溢れた。


 中には巻物が1本。

 そして——黒い、指輪。


 巻物をデーネが取る。

 指輪を僕が取る。


 冷たさは不思議と感じない。

 むしろ体温に溶けるように馴染む。


 指輪の内側にも、あの“数え”の圧痕。

 短い線、弧、そして——見慣れない印が1つ。


「……“5”」


 パールが息をのむ。


「それ、5の印?」


 デーネが巻物をほどき、目を走らせる。



「……“5は影。影は無灯にて開く。道は心臓を避け、花を踏まず”」


 彼女の声が震える。


「“花を踏まず”。——“花”はこの押し花のこと。つまり、ここは……」



 言い終える前に、部屋の4隅から、影が立ち上がった。


 さっきの分身とは違う。

 輪郭が明確で、目がある。赤く、細い光。


 4体が同時にこちらへ一歩。


 レグが拳を握り、パールが短刀に触れ、僕は——指輪を握る手に力を込めた。


 その瞬間、胸の内側で、静かな“音”がした。


 ——カチ。


 指輪の“5”の印が、皮膚の熱でわずかに動いたように思えた。


 影たちの足が半歩止まる。

 目の赤が薄くなる。


「……鍵だ」


 自分の声が、誰かの声みたいに落ち着いている。


「この“5”は、行くための鍵で、帰るための鍵だ」


「帰る?」


 レグの眉が僅かに上がる。


「“道は心臓を避け、花を踏まず”——戻り道の合図も書いてある。ここは心臓の傍じゃない。避ければ、生きて帰れる」


 僕は指輪を掲げ、影の前に出た。


「道を、通せ」


 4体は互いに顔を見合わせるように首を傾げ、やがてすっと左右へ割れた。


 奥に、細い通路。

 そこに、風が通る。


 パールが肩で息をしながら微笑む。


「すごい。やっぱり、あなたは“鍵向き”だね」


「鍵向きって何」


「鍵っぽい顔」


「褒めてる?」


「褒めてる」


「——急ごう」


 デーネが巻物を抱え直す。


「この道を抜けて、一度戻る。解読を進めないと。“心臓”に触れる前に」


 レグが頷き、拳を軽く合わせる。


「戻って、また来る。今度は、もっと深く」


 僕たちは“無灯”のまま、影の通路へ身を滑らせた。


 指輪の“5”が、脈に合わせて微かに震える。



 戻れる線を心で数えながら、僕は後ろを一度だけ振り返る。


 ——黒い結晶の広間は、もう見えない。


 かわりに、花の匂いがほんの一瞬、鼻先をかすめた。


 “花を踏まず”。


 足元を見る。

 影の床に、確かに、小さな押し花のような印が点々と続いている。


 僕はそれを踏まないように、ひとつずつ跨いで進んだ。


 帰るために。

 もう一度、来るために。


 明日は久々の休暇。

 もう一度ここに来るのはまだ先になりそうだ。

読んでいただきありがとうございました。

面白かった、続きが気になると思ったら評価、ブックマークよろしくお願いします。

筆者がものすごく喜ぶと同時に、作品を作るモチベーションにも繋がります。


次回もよろしくお願いします!

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