第62話:帰還と密談
外壁の向こうから帰ってきた僕たちは、砂をかぶった鎧やローブのまま、ゲーリュ団本部の正門をくぐった。
まだ日が高いというのに、廊下はしんと静まり返っている。
見張りの兵たちはちらりとこちらを見て、すぐに目を伏せた。
外壁の外に行った者を見送る時の、あの特有の視線だ。
「おーい、お疲れさん。ほら、荷物こっちだ」
横から低く響く声。
ギウス団長が片手で荷物を受け取り、もう片手には水の入った皮袋をぶら下げている。砂埃にまみれた顔で笑っているけど、その目は疲れを隠していない。
「……ギウス、報告会、これからだぞ。着替える時間もないな」
隣を歩くアル団長が、さらりと金髪を手で払う。
相変わらず隙のない格好をしているが、肩にかけたマントの裾には外壁の砂がくっきりと付いていた。
僕たちは、そのまま大広間へと案内された。
そこにはルナーア団長が既に待っていた。彼だけは今回の調査には同行していなかったから、机の上には地図や記録用紙がずらりと並んでいる。
「ご苦労だったな、諸君」
ルナーア団長の声は低く、しかしよく通る。眼鏡の奥の瞳が、こちらを一瞥した。
公式報告会は淡々と進んだ。
ギウスが現地での経路を説明し、アルが発見物や測定値を補足する。
僕やレグは、途中で交代しながら細かい状況や目撃した異常について証言した。
パールは探知で得られた情報を短くまとめ、デーネは記録係の文官に補足をしていた。
「……以上が、今回の外壁北東域の調査結果です」
僕の声が終わると、場に短い沈黙が落ちた。紙をめくる音だけが響く。
「外の状況は、やはり安定していないな」
ルナーアが顎に手を当てた。その目がわずかに険しくなる。
形式的な質疑応答が終わると、文官たちは報告書を抱えて部屋を出ていった。残ったのは僕たちと3人の団長だけだ。
「――で、本題だ」
ギウスが背もたれに体を預け、口元だけで笑う。
「ここからは内輪の話だぞ」
「外壁のひび割れは、自然なものじゃない。おそらく……」
アルが言いかけて、視線をこちらに流す。僕の背筋がぞわりとした。
ルナーアは腕を組み、ゆっくりと息を吐いた。
「報告書には書けない内容だな。……ここから先は、王城にも直接は伝えぬ方がいい」
3人の団長が互いに視線を交わす。言葉にはしなくても、そこに何か大きな“決まり事”があることは、僕にも分かった。
その空気の重さに、パールが小声で「なにこれ、めっちゃ物騒じゃん……」と呟く。
レグは「へぇ、面白ぇな」と、なぜかニヤニヤしていた。
僕の胸の奥には、外の空の乾いた匂いと共に、説明できないざわつきが残っていた。
***
報告を終えると、僕たちは部屋を追い出されるようにして廊下に出た。
背後で扉が重く閉まる音が響く。鍵の金属音が続き、その向こうで団長たちの声が低く混じり合った。
廊下の壁には、長年の湿気でくすんだ地図が掛けられている。
そこにはガメア大陸と、壁の外の荒野までが描かれていた。
けれど、その先はただ茶色い影のように塗り潰されているだけだ。
僕は思わず、その塗り潰された部分に視線を吸い寄せられる。
あの向こうに何があるのか。……いや、見たんだ、壁の外を。
だからこそ、胸の奥のざわめきが消えない。
「なぁ、ちょっとくらい聞き耳立ててもバレねぇんじゃねぇか?」
横でレグが口の端を吊り上げる。昔と変わらない悪ガキの笑みだ。
「やめとけって……今の俺たちは新人じゃないんだぞ」
「新人じゃねぇけど、団長たちの秘密話って気になるだろ?」
そう言いながら、レグは壁に寄りかかり、耳をぴったりと扉にくっつけた。
少し間をおいて、僕も小さくため息をつきつつ真似をする。……まあ、レグがやってる時点で止めても無駄だ。
――低く落ち着いた声が聞こえた。ルナーア団長だ。
「……あの地形の変化は、やはり“予兆”と見ていいでしょう」
「だが、決定打にはならねぇ」荒々しい声、ギウス団長。
「ふん、決定打が欲しいなら自分で壁の向こうまで行けばいいだろう」アルの皮肉が混ざる。
「外壁調査はもう十分やった。……あとは陛下が動くかどうかだ」
――陛下、つまりクロカ国王。
僕は無意識に拳を握った。2年前、あの人のことを僕はただの遠い存在だと思っていた。けれど今は、その名前を聞くだけで背筋がひやりとする。
扉の向こうの会話は続く。
「……ゲルリオン教の教えを信じ込んでいる民に、真実をどう伝えるか。それが最大の壁だ」
ルナーアの声が、珍しく硬い。
「壁を壊せばいい」ギウスが淡々と放つ。
「物理的にも、な」アルが鼻で笑った。
壁を壊す? 今のは冗談か、本気か――。
僕とレグは同時に顔を見合わせた。けれど、何も言葉が出てこない。
その時、背後から軽い足音が近づく。
「……あんたら、何してんの?」
振り返ると、パールが腕を組んで立っていた。隣にはデーネもいる。2人とも半眼でこっちを見ていた。
「いや、その……ちょっと音が気になって」
「壁の中で壁に耳つけるとか、どんだけ壁好きなのよ」
パールの皮肉に、レグが苦笑する。
「好きってわけじゃねぇけどな。……まぁ、面白い話が聞けたぜ」
僕は軽く咳払いして、声を潜める。
「……どうやら、団長たちは壁の外の“何か”を知ってる。僕たちがまだ知らないことを」
パールとデーネの表情が同時に引き締まった。
2年前、あの壁の外で感じた不気味な風と匂い――あれがただの自然現象じゃないことを、僕らはもう理解している。
廊下の空気が、わずかに冷たくなった気がした。
団長たちが話していた「予兆」と「壁を壊す」という言葉が、頭の奥で何度も反響する。
たとえそれが冗談だとしても――もし本気なら、この国は変わる。
いや、変わらざるを得ない。
読んでいただきありがとうございました。
面白かった、続きが気になると思ったら評価、ブックマークよろしくお願いします。
筆者がものすごく喜ぶと同時に、作品を作るモチベーションにも繋がります。
次回もよろしくお願いします!




