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第61話:初日と外壁調査

 翌朝、まだ空の色が灰色と青の境目を迷っている時間に、僕は兵舎の外に立っていた。冷たい風が耳を刺す。

 ここに来てから2年、この朝の匂いには慣れたつもりだったけど……隣であくびを噛み殺しているパールを見たら、なんだか新鮮に感じる。


「……寒っ。ねえ、ウルス、本当にこれ毎朝やってんの?」

「毎朝じゃない。仕事の日だけだ」

「ほぼ毎日ってことじゃん……」


 短刀の柄を手で温めながら、パールが小さく震える。

 彼女の髪は相変わらず綺麗で、朝日に縁取られてやたらと映える。

 横目でデーネを見ると、あいつは完全に覚醒モードで、周囲の施設や人の動きを目で追っていた。


 そこへ、大股で近づいてきた影が一つ。


「おう、新人組! ぼさっとしてんな、準備はできてんのか?」


 東軍団長ギウス・ベールだ。腰の大剣を背負ったまま、片手に水筒をぶら下げ、酒の匂いを振りまいている。


「ギウス団長、おはようございます」


 デーネが真面目に挨拶すると、ギウスは「堅ぇな」と笑った。


「ウルスとレグは今日案内係だ。新人2人は壁の外に出るのは初めてだからな。ちゃんと帰ってこさせろよ?」

「はいはい、任せとけ」

 後ろから現れたレグが腕を組み、にやりと笑う。拳の関節がぱきぱきと鳴った。


「お前が言うと不安なんだよな……」とギウスがぼやく。


 出発まで少し時間があったから、僕たちは倉庫へ向かい、必要な装備を受け取った。

 革の胸当て、分厚い手袋、外壁の砂や風を防ぐためのマント。

 パールは短刀を二本腰に差し、マントの下から柄だけが覗いている。

 デーネは腰に小さなポーチを二つ付け、片方には回復用の薬瓶、もう片方にはメモ帳と小さな筆記具を入れていた。


「……で、外壁調査って何をするの?」


 パールがマントのフードを被りながら聞く。


「壁のひびや破損を調べたり、壁付近の地形や魔物の動きを記録したりする。場合によっては、壁からさらに外に出て討伐もある」 


 僕が説明すると、デーネが静かに息を呑んだ。


「つまり、壁の外に出て実地で戦う可能性もあるってことね」

「うん。基本的には外壁のすぐそばの調査だから、そんなに危険はないんだけど、一応……ね。だから装備は絶対に外すなよ」


 そのとき、外から「整列ー!」という声が響く。


 広場に出ると、3つの部隊の団員たちが列を作っていた。


 中央に立つのは西軍団長アル・バーナ。

 金髪を風に揺らし、女性団員たちからの視線を一身に集めている。


「今日は東と西の合同任務です。新人2人が同行しますが、皆さん温かく迎えてください」


 その笑顔は完璧すぎて、逆に何を考えてるのかわからない。


 僕たちは列の最後尾に並び、出発の合図を待った。

 フードの奥でパールが小声で呟く。


「……何あの人、顔が整いすぎて逆に怪しい」

「お前、聞こえるぞそれ」


 デーネが慌てて小突くが、パールは肩をすくめただけだ。


 やがて、外門がゆっくりと開く。

 重い鉄の音が空気を震わせ、外の景色が視界に広がった。

 高い壁の向こうには、乾いた砂地と、遠くに連なる岩山。冷たい風が一気に吹き込み、砂の匂いが鼻をつく。


「……行くぞ」

 ギウスの一声で列が動き出す。僕たちも足を踏み出した。


 ――2年ぶりの仲間と、初めての外壁調査。

 胸の奥で、期待と緊張がせめぎ合っていた。



***



 壁の外に出た瞬間、足元の地面が少し沈んだ気がした。

 砂。ここはほとんど砂と岩でできた世界だ。2年前に初めてここに足を踏み入れたときの、あの乾いた空気の感触が、いま再び僕の肌を包む。


「うわ……砂ばっかり」


 パールが眉をひそめながら足元を見下ろす。短刀の柄がマントの隙間からちらりと覗くたびに、彼女の腰回りで砂が小さく跳ねていた。


「もっと草とか木があると思ってた?」

「うん……いや、でも知ってたよ? 頭ではわかってたけど、実際に見るとね……なんか、本当に壁の中とは別の世界って感じ」


 そう言いながら、彼女は少し足を止め、遠くの岩山をじっと見つめた。


「感傷に浸ってる暇があったら、足元にも注意しろよ」


 レグの声が背中越しに飛んでくる。

 彼は拳を軽く握ったまま、視線を絶えず前に向けていた。武器は持たない。それでも、あの拳の破壊力を知っている僕からすると、武装しているよりもよほど安心感がある。


 部隊は東軍と西軍が合同で十数名。

 ギウス団長とアル団長がそれぞれ前後に配置され、僕たち新人組は中央に固まって進む形になっていた。

 歩きながら、時々誰かが壁の基礎部分に目をやり、ひび割れや摩耗を確認しては記録係に合図を送る。


「ウルス、この壁、厚さどれくらいあるの?」


 デーネがメモ帳を片手に僕の隣で歩く。


「場所によって違うけど、平均で10メートルはあるって聞いた」

「10メートル……」


 彼女の瞳が細められる。探知型の神力を持つパールとは違って、デーネは情報の積み上げで物事を判断するタイプだ。視線の先は常に冷静で、地形や構造を目に焼き付けている。


 しばらく進むと、壁から少し離れた地点でギウス団長が手を上げた。


「休憩だ。水分補給しとけ」


 砂地に腰を下ろすと、背中に直射日光がじりじりと突き刺さる。壁が作る影の中は涼しいけど、一歩外れると、途端に夏の熱が襲ってくる。


 パールは水筒を口に運び、ふぅと息をついた。


「ねえ、あの岩山って……魔物、いるのかな」

「いるぞ」


 即答したのはギウスだった。水筒を一気にあおり、口元を拭いながら言う。


「でかいトカゲみたいなやつとか、地面に潜って襲ってくるやつとか……お前らが相手したら、まあ一瞬で食われるな」

「わーお、やる気出るわー」


 パールがわざと棒読みで返すと、ギウスは肩を揺らして笑った。


 そのとき、アル団長が前方から戻ってきた。


「ギウス、東側に小さな裂け目を見つけた。原因を調べる必要がある」


 金髪を風に揺らしながらも、その目は笑っていなかった。


「裂け目? この辺は去年補修したばかりじゃなかったか?」

「ああ。だからこそ確認が必要だ」


 裂け目は壁の根元近くにあった。幅はまだ拳ほどだが、内部がえぐれており、そこから細かい砂がこぼれている。


「自然の侵食じゃねえな……」とギウスが低く呟く。

「魔物ですかね?」と僕が聞くと、彼は小さく首を振った。

「断言はできねえが……嫌な感覚がある」


 調査の間、僕たちは少し離れた場所で待機していた。

 パールが耳を澄ませている。探知の神力が周囲に広がっていくのが、肌でわかった。


「……小さい反応がいくつか。たぶん魔物。でも近づいてはこない」

「数は?」

「三、いや四……地面の下にいる」


 その言葉に、デーネが腰のポーチに手をやった。


 次の瞬間、足元の砂がもこっと盛り上がった。


「来た!」


 パールの叫びと同時に、茶色い甲殻を持った虫のような魔物が地面から飛び出す。体長は人の胴ほど、硬そうな外殻に鋭い牙。

 僕は反射的に刀を抜き、距離を詰めた。


 一閃。外殻に火花が散り、甲高い音が響く。完全には斬れないが、ひるませるには十分だった。

 その隙にレグが前に出る。拳が一度、二度、三度。衝撃が砂を弾き飛ばし、魔物は仰向けに倒れた。 


「残りは任せた!」


 ギウスとアルがほぼ同時に動き、残りの3体をあっという間に地面に沈める。


 戦いは数十秒で終わった。

 呼吸を整えながら、僕は倒れた魔物を見下ろす。地中を移動するための太い脚、砂と同じ色の外殻……裂け目の原因は、こいつらの掘削かもしれない。


「やっぱり自然じゃなかったな」


 ギウスの声に、アルが頷く。


「壁の基礎まで掘られていたら危険だ。早急に補修班を呼ぼう」


 その場で応急処置が行われる間、僕たちは再び待機に回された。

 パールが短刀を鞘に収めながら、口角を上げる。


「初外任務で魔物討伐って、ちょっと運がいいかも」

「運がいいか悪いかは、帰ってから決めて」


 デーネが苦笑しつつ、メモ帳に何かを書き込む。その文字は、壁の外でしか記録できない、生の情報だ。


 ――壁の外は、やっぱり生き物の匂いがする。

 そしてそれは、2年前よりもずっと、濃くなっている気がした。


読んでいただきありがとうございました。

面白かった、続きが気になると思ったら評価、ブックマークよろしくお願いします。

筆者がものすごく喜ぶと同時に、作品を作るモチベーションにも繋がります。


次回もよろしくお願いします!

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