第3話:戦闘狂の噂
ラプラス神力学校の3日目。
そろそろ慣れてきた――なんてことは一切なかった。
朝の空気は、今日もピリッと張り詰めていて、教室の中は、すでに訓練後の神力の余韻みたいな匂いでむせかえる。
僕は机に座って、そっと窓の外を眺めていた。
木造の校舎の外に広がる訓練場では、何人もの生徒が神力を全開にして走り回っている。飛び跳ねたり、壁をよじ登ったり。あれ、もはや授業じゃなくて祭りでは?
「おーいウルス! 生きてるー?」
脳天に響くような声がして、ビクッと肩が跳ねる。
振り向くと、白銀の長髪をひるがえして、パール・アジメークが笑っていた。
「もー、また顔が死んでるよ? さすが“転校早々、神力で自爆して鼻血事件”のウルスくん!」
「いつまでそれ引っ張るの……」
「一生モノのネタだから」
彼女はおてんばすぎる。元気のスイッチが壊れている。なぜ僕に構うのか、いまだにわからない。
でも、ここで僕とまともに話してくれるのはパールくらいなので、反論できない立場なのがつらい。
「それよりさ」
パールが声のトーンを急に落とす。悪戯っぽい目が、少しだけ真剣な色を帯びる。
「ウルス、レグ・ルースリアって知ってる?」
「え? ……レグ? 誰それ?」
「やっぱ知らないんだ。ま、転校してきたばっかりだもんね」
パールは腕を組みながら、教室の角に目を向ける。
そこには誰もいないのに、まるで“何か”がいるような雰囲気で。
「学校で一番強い神力使い。紫色の神力を持ってるの、今はあの人だけ。上級者ってやつ」
「……すごい人なんだね」
「うん、すごいっていうか――やばい」
「えっ」
「戦闘狂なの。マジで。自分よりちょっとでも強そうなやつ、見つけたら即タイマン申し込むの。目が合ったら最後。“殴らなきゃ始まらねぇ”って叫んで突っ込んでくるって噂もあるし」
「う、嘘でしょ……」
「一度、間違えて先生に突っかかって、先生を病院送りにしたって話もあるよ?」
「な、なんでそれで退学にならないの!?」
「うーん……将来有望だから?わたしも詳しいことは知らないわ!あと、なんだかんだで礼儀はあるんだって。ちゃんと“よろしくお願いします!”って叫んでから殴るらしい」
「怖ッ!!!」
僕の体がガタガタと震えた。いやいや、そんなのどこが礼儀正しいの?
礼儀の意味、再教育した方がいいよ。
「最近は学内にまともなライバルがいなくて、つまらなそうにしてるって聞いたなぁ」
「……まさか」
「うん、どうやら、ね」
パールはニヤッと笑う。
「“纏う神力が得意な転校生”が来たって噂が、もう回ってるらしいよ?」
終わった。
僕の学生生活、3日で終了のお知らせだ。
「え、ちょっと待って! なんでそんな情報が!? まだ授業で神力見せてないよ僕!?」
「だって昨日、昼休みにこっそり訓練場で試してたでしょ? あれ、誰かに見られてたんだよ。たぶん」
「ぎゃあああ……!」
神力を“纏う”だけならまだマシかもしれないけど、あの日――うっかり、柵をぶち壊しちゃった。
あれだ。あのせいだ。
「でね」
パールが急に真顔になる。
「今日、レグが『そろそろ新入りを鍛える時期だな』って言ってたらしい」
「な、鍛えるって……」
「ウルス、逃げた方がいいよ」
「逃げられるの……?」
「知らん!」
まさかの突き放し。
というか、笑いながら言うんじゃない。真剣に言ってくれ。
「もう無理……帰りたい……」
「まぁでも、良い子だよ? 神力以外はね。あと、ちょっと頭がアレだけど」
「“ちょっと”……?」
「勉強は……数字読めるだけで偉いと思ってるレベルらしい」
どんどんひどくなっていく評価。
でも、僕の心に残ったのは“神力以外は”ってところ。
神力以外がまともでも、神力で突っ込まれてくるなら意味ないよね?
「放課後、気をつけてね。あ、あと」
パールが何かを思い出したように笑う。
「近々、ちょっと紹介したい子がいるんだ。ウルスに会わせたいの」
「……え、誰?」
「まじめでちょっと小難しくて、でも、すごく頭がいい子。面白い本読んでるし、神力も回復系で」
「へぇ……なんか、まともな人の匂いがする」
「その子ね、レグの勉強見てあげてるんだって」
「まともじゃないのかも」
そうしてパールとの会話は終わり、僕は今日1日をびくびくしながら過ごした。
⸻
放課後。校舎裏。
空は薄曇りで、風がちょっとだけ冷たかった。
僕はパールと共に人気の少ない場所を選んで、ささっと帰る準備をしていた。
レグって人に見つかる前に早く帰らなきゃ!
「おい」
――その声がしたのは、まさにその時だった。
ズシン……と、地面に重みが響いたような足音。
振り返ると、そこに――いた。
背丈は僕よりふた回り大きい。年齢も上に見える。
短く切られ、ツンツンに立たせた黒髪に、分厚い筋肉。
腕には、うっすらと紫色のオーラが漂っている。
「ウルス・アークトだな」
「……ひっ」
「オレが、レグ・ルースリアだ」
やっぱり来たーーーーーーー!!!
「タイマンな」
「ひぃぃぃぃぃ!!」
「よろしくな!」
「あ、あの! あの! 心の準備って知ってます!? 予定とか、ほら、確認しないと!」
「神力に予定は関係ねぇ!!」
いやいやいや!
あるよ! 予定! 心の準備! 明日の天気とか! いろいろあるよ!
「あと、ついでに!」
「……ついで?」
「勉強も見てくれ!」
「なんでだよ!!!」
逃げたい。けど逃げ道がない。
僕の視線の先には、筋肉が壁のように立ちはだかっていた。
「あの……放課後の用事が……」
「それ、勉強だろ? じゃあちょうどいい!」
「違う、そういう意味じゃ……!」
――こうして、僕の平穏な学生生活は、音を立てて崩れていった。
でも、この時はまだ知らなかった。
この“戦闘狂”との出会いが、僕の運命を変えていくことになるなんて。