第41話:中堅、命を受ける。
俺はゲーリュ団の中堅、名前は——エルナート。
肩書きはそこそこ、責任はずっしり、出世はぼちぼち。
ようするに「便利に使える年次」ってやつだ。
午前の巡回を終えて詰所に戻ると、使いの少年が駆け込んできた。
「西のアル団長が集合をおかけです! 中堅以上、すぐ!」
心臓がひとつ跳ねる。
あの人が直々に? これは……チャンスの匂いがする。
俺は上着の埃をさっと払って、列の最後尾についた。
廊下の突き当たり、扉が開く。
冷たい光の差す部屋。空気が一段、凛とする。
アル団長が立っていた。
いつ見ても無駄がない。槍のような姿勢、刃のような視線。
整った横顔に反射的に背筋が伸びる。人は“格”に勝てない。
「——入れ」
全員が一歩で揃う。床板が同時に鳴った。
団長は机に地図を広げ、視線だけで俺たちを掃いた。
「先日の学園合同演習——観た者」
ほとんどが手を挙げる。俺も挙げる。
団長は頷き、地図の一点を指で叩いた。
「確認したい対象がいる。赤毛の少年。名はウルス・アークト」
来た。
俺はうっかり姿勢が前に出る。
団長の視線がこちらをだけ、刃先みたいに掠めた。刺されたかと思った。
「理由は2つ」
指が、地図の上を静かに滑る。
「1つ。出自。騎士団長の血筋。
1つ。崩れない。“普通”の枠の中で——だ」
“普通”。
それ、俺も演習で感じた。目立たない。だが、崩れない。
紙灯の青を薄く保ち、反応回避は“待てる”側に立ち、連携では呼吸を合わせる。
できそうで、できない。
しかも毎回すこしずつ伸びる。
派手じゃないが、ああいう“地味な右肩”は、実戦で離れない。
団長は続ける。
「神獣との戦いは、派手さでは定まらない。
“保つ者”が最後に残る。その素質がある者を、見落とすわけにはいかない」
部屋の空気がわずかに動く。
誰も口を挟まない。全員同じことを思っている。
(やっぱりこの人、見るところが深い)
「——接触して観ろ」
団長の視線が、今度は真っ直ぐ俺に刺さった。
「お前だ」
はい来た。
俺は胸の内で拍手喝采。顔は真顔。
(俺の観察眼、ついに認められた! やっぱり俺の報告が——)
「食堂で自然に話せ。名乗る必要はない。勧誘は禁止。
雑談からでいい。“どういう時に崩れないか”だけ、掴め」
「はっ!」
「条件は3つ」
団長は指を立てる。一本、二本、三本。
「1つ。こちらの名は出すな。
1つ。脅すな。煽るな。試すな。
1つ。“普通の会話”をしろ」
「……普通の会話、でありますか」
「そうだ。普通だ」
普通が、一番むずかしいやつ。
あのアル団長に、やわらかい会話を求められる中堅、それが俺。
(でも大丈夫。俺はやれる。やれ……る?)
「詳細は書面に。ここだ」
団長は薄い封筒を指で弾き、机の端に滑らせた。
受け取って開く。
——対象:ウルス・アークト
——場所:学都食堂(昼)
——観察項目:
①食事の選び方(節制/無節制)
②席の選び方(人/壁/出口)
③声のトーン(昂揚時/沈静時の変化)
④他者への反応(礼節/防御/自己卑下の有無)
⑤微細行動(器の持ち替え、利き手、呼吸の癖)
細かい。さすが。
(“呼吸の癖”は俺も気になってた。あいつ、3拍で落とす時がある)
「最後に」
団長の声が少しだけ低くなった。
「神獣は敵だ。これは絶対だ。
だが“敵を倒す者”に必要なものを、俺たちは案外見落とす。
派手さでも、血でもない“何か”を」
沈黙。
誰かの喉が鳴る。
俺は無意識に踵を揃えた。
「行け」
「はっ!」
敬礼。踵返し。
扉を閉めると、背中に汗がにじんでいた。
重い任務だ。
でも俺は、こういう“見極め”が好きだ。
戦場で無用な死が減るから。
それに……単純に、あの赤毛を目で追ってしまう自分がいる。
(地味な右肩上がりって、見てて気持ちいいんだよ)
——よし。準備だ。
廊下を出た俺は、封筒を懐にしまい、真っ直ぐ自室へ戻った。
⸻
鏡の前。
上衣の襟を正し、表情を作る練習。
「よう、ここ空いてる?」
……硬い。怖い。ダメ。
「なあ、赤毛。いや、違う。失礼だ」
「そのトレー、持とうか? いや、給仕じゃない」
「お前、呼吸が3拍だよな。——いきなり怖い!」
やばい。
“普通の会話”のハードルが、槍の穂先みたいに高い。
俺は額を押さえ、作戦名を書いた紙を取り出した。
作戦名:『ごく普通に食堂で自然に友好接触作戦』
略称:ゴクショク(ダサい)
目標:
A. 5分以上、沈黙を作らず雑談を継続
B. 観察項目①〜⑤のうち、最低3つを確認
C. 自分の正体は絶対に明かさない
うむ、完璧。
問題は——俺の口。
「お疲れ。今日の演習見たよ」
“見たよ”はダメだ。監視感が出る。
「……偶然見かけたんだけど」
偶然じゃない。嘘は下手がばれる。
「このスープ、うまい?」
安全。食堂の定番。これでいこう。
次。距離の詰め方。
隣に座る? 向かい? 斜め?
壁側に座る子は警戒心が強い。
ウルスは——前回の観察では“壁でも人でもなく、出口が見える席”。
入り口から2列目、窓の手前。背中は壁じゃない。
つまり、逃げ道を確保しつつ、視界を広げるタイプ。
(やっぱり実戦志向。講義で育つだけの子じゃない)
なら、俺は斜め前に座って、真正面の圧を避ける。
視線は45度。
——よし、イメージはできた。
問題は、トレー。
俺はカリカリのパンと、塩の強いスープを好む。
けど、今日は“近すぎないチョイス”で行こう。
柔らかいパン、薄めのスープ、野菜の煮込み。
(健康志向に見えるし、話題が広がる。
「塩強いと喉乾くよね」で5秒稼げる)
服装は——普段の半鎧はやめて制服。
肩章は外し、紋章は見えない角度に。
“脅すな。煽るな。試すな。”団長の三原則が頭を回る。
……よし。
大丈夫だ。
できる。
できるはず。
できるって言え。
「——できる」
鏡の中の俺は、思ったより不安げだった。
⸻
部屋を出ると、同僚の中堅2人が廊下で肩を並べていた。
俺が紙束を持って小走りに通り過ぎると、片方が片眉を上げる。
「お、また“出世の匂い”か?」
「うるさい。任務だ」
「団長直々だって? やるじゃん。
どうせ“雑談しろ”とか無茶言われたんだろ」
「……なんで分かる」
「俺も去年やられた。相手は“食べ物の咀嚼音が無音の少年”。
3分で沈黙した」
「それ任務じゃなくて苦行だろ」
「がんばれ。俺たちの未来は君の会話力にかかっている」
妙なエールを置いて、2人は笑って去って行った。
(分かるやつには分かる。普通が一番むずかしい)
階段を降りる途中、窓の外に学園の舎が見えた。
昼下がりの光。
赤毛が人の流れの中にちらりと揺れる。
あ、いた。
胸が少し熱くなる。
“敵に回したくないタイプ”。
その直感は、演習の日から変わらない。
俺は懐の封筒を軽く叩いた。
紙の向こうに、団長の視線の鋭さが残っている気がした。
食堂までの距離を測る。
深呼吸。1、2、3。
歩幅を整える。
視線は水平。
肩の力を抜く。
——明日、昼。
俺は“ごく普通”に、彼の向かいに座る。
⸻
夜。
就寝前に最後の確認をしていたら、扉がノックされた。
「中堅、いるか?」
「いる。どうした」
先輩の下士官が、包みをひとつ差し出した。
食堂のメニュー表……ではない。
薄い木箱。蓋に短いメモ。
『手出しするな。見ろ。
——アル』
開けると、小さな砂時計が入っていた。
上が半分、下が半分。
回すと、静かに砂が落ちる。およそ5分。
ああ、そういうことか。
「5分は沈黙させるな」。
団長のやさしい、いや、厳しい配慮。
俺は砂時計を机に置き、灯りを落とした。
目を閉じる前、心のどこかで笑いが込み上げる。
明日、俺は自然体で不自然な任務をやる。
笑うな。できる。
できるだろ。
できるって言え。
「——できる」
闇の中で、砂の音だけが微かに続いていた。