第37話:すれ違い
詰所の空気は、いつだって妙に湿っぽい。石壁に囲まれた部屋は狭いくせに、やたらと声だけは響く。今日もまた、任務帰りの団員たちが集まって、半分仕事、半分暇つぶしみたいな話をしていた。
「なあ、数日前の学園演習見たか?」
「見た見た。赤毛のガキ、ウルスとか言ったっけ? あいつ、意外としぶとい動きしてたな」
その名前を聞いた瞬間、俺はつい反応してしまった。
……ウルス・アークト。騎士団長の息子。血筋だけなら立派なもんだ。父親は消息不明だけどな。
「ま、父親がどうであれ、才能は隠せねえよな」
「でもさ、見ただろ? あのへっぽこ青神力。まだまだだ。正直、俺が鍛えれば半年でモノにできる」
腕を組んで偉そうに言ってみる。
ほんとは俺だって、人を鍛えるほどの立場じゃない。ただの中堅。昨日だって、団長にお茶運ばされて終わった。
それでも口にするのは、カッコつけのためだ。下っ端の前で威張るくらいしないと「パシリ団員」ってバレちまう。
「でもな」
誰かが声をひそめた。
「ウルスって、噂じゃ“外の壁に興味持ってる”らしいぜ」
「外? バカな。あそこは神獣が巣食う地獄だろうが」
「いやいや、そうなんだけどさ。どうも“影の門”とか“記録庫”とか……妙な単語を耳にしたって奴がいてな」
影の門、記録庫。
正直、俺だって詳しくは知らない。ただ上の幹部たちがたまに口にしていた言葉を、下に伝え聞いただけだ。
だからつい、もっともらしく頷いてしまう。
「……なるほどな。もしやあの赤毛、外の秘密に関わる“鍵”かもしれん」
その一言で、周囲の空気がピリッと変わった。
「おいおい、本気で言ってんのか?」
「まさかあいつが選ばれし存在……?」
みんな口では冗談めかして笑っていたが、どこかで妙に納得している様子だった。
俺も、心の奥底でゾワッとした。
けどまあ、これはただの与太話だ。
実際は俺たち中堅なんて何も知らされちゃいない。
今日だって任務はただの荷物運び。世界の真実とか、英雄の資格とか、そんなのは遠い雲の上の話。
そこへ扉がガチャッと開き、下っ端が顔を出した。
「お、おい! 団長がお茶請けに干し肉持ってこいって!」
「……またかよ」
俺たちは同時にため息をついた。
結局俺たちが何を語ろうと、現実はこれだ。パシリ。お茶と干し肉。
だが、不思議と頭の片隅には残っていた。
赤毛の少年、ウルス・アークト。
もしかしたら、俺たちが笑いながら話した“与太話”が、後々本当になるんじゃないか……。
---ウルス視点---
数日前の合同演習から、どうにも胸の奥が落ち着かない。
戦いそのものよりも、あのときの団員たちの視線だ。
まるで僕の一挙一動を計るように、じっと見ていた。
……いや、考えすぎかもしれない。
けれど、耳に残っているんだ。
「赤毛の少年は“外”に関わる鍵かもしれん」
たまたま廊下の陰で聞いてしまった声。
振り返ったときには、団員たちはもう詰所に入ってしまっていて、誰が言ったのか分からなかった。
でもその言葉は、妙に胸に引っかかって離れない。
外。壁の外。
あそこは神獣の地獄だと教えられてきた。
けれど、なぜ僕の名前と一緒にそんな単語が出てくるんだ?
秘密を知ってしまったような気がして、気持ちがざわつく。
僕は誰にも悟られないように振る舞いながら、内心でひとり考え続けていた。
……まさか父さんが関係している?
行方不明になった父が、外に行ったのか? それとも団の任務で“消された”のか。
考えれば考えるほど、頭の中で点と点が勝手につながっていく。
本当は根拠なんてないのに。
◇
「ウルスー、また難しい顔してる!」
パールが肩を小突いてきた。
「べ、別に……なんでもない」
「また『なんでもない』だよ。ほんと分かりやすいんだから」
彼女は笑って誤魔化してくれたけれど、僕の胸は笑えなかった。
レグやデーネだって一緒だ。僕のことを信頼して、仲間だって思ってくれてる。
でも、もし彼らまで巻き込んでしまったら?
外の秘密。ゲーリュ団の真意。
僕なんかが踏み込んでいいものじゃないのかもしれない。
それでも——気づいてしまった以上、もう戻れなかった。
赤毛の自分に課せられた“役目”があるんじゃないか、そんな思いが胸を締めつけていた。




