第35話:ハゲアタマ
胸の奥がまだ熱い。
さっきの障害走を終えたばかりなのに、呼吸は落ち着かない。
いや、呼吸だけじゃない。心臓の鼓動もまだ早いままだ。
僕が息を整える間に、次の走者がスタートラインに立った。
レグだ。
「行くぞォォ!」
笛が鳴った瞬間、彼の身体は弾丸みたいに砂を蹴った。
——速い。
けど、避けるんじゃなくて、壊してる。
障害物を正面からぶち倒し、飛んできた光球を拳で殴り飛ばしている。
観覧席がざわめいた。
「ルール違反! 減点だ!」
先生の怒声が飛ぶ。
でもレグは全然気にしていない。
「避けてるだろ!? ほら!」
「壊してるだけだ!」
……それ、避けたとは言わない。
周りの生徒たちから笑いが漏れる。
ゲーリュ団の黒マントたちまで、少しだけ顔を上げたように見えた。
胸の奥に、ざらつくような感覚が残った。
派手さ。
ああいう“目を奪う動き”こそ、やっぱり注目されるんだ。
◇
次はデーネ。
彼女は一度深呼吸をしてから、静かに走り出した。
無駄がない。淡々としてるのに、不思議と視線を引く。
光球が現れる位置を読むように、顎を少しだけ傾ける。
青い神力は薄くて見えにくいけど、それが逆に“正確さ”を際立たせていた。
障害物にも触れない。
乱れもしない。
最後まで、崩れずに走り切った。
先生は「地味だが正確」と短く評した。
その言葉と同時に、観覧席の団員のひとりが小さく頷いた。
デーネの肩がわずかに震えたのを、僕は見逃さなかった。
——彼女は誰よりも“評価”を気にしている。
だから、あの頷きはきっと胸に届いたんだろう。
◇
全員の走りが終わったあと、暫定の評価表が張り出された。
パールが上位に名を刻む。
レグは減点のせいで中位に落ち着いていた。
デーネは安定した点で、中の上。
僕は……真ん中より少し下。
昨日とほとんど変わらない場所。
だけど、今日は不思議と悔しさより“次を見たい”気持ちの方が大きかった。
◇
ざわめきが広場を満たした。
観覧席の黒マントたちが立ち上がったのだ。
ひとりが前に出て、低い声で告げる。
「次の課題は“模擬戦”。二人一組で挑んでもらう。我々が審査する」
その一言で、空気が一変した。
ただの模擬実技じゃない。
ゲーリュ団に“戦い”を見られるんだ。
背中を汗が伝う。
喉が渇く。
でも——心臓の奥は熱い。
“見られている”。
それが、怖くて。
でも、同じくらい嬉しかった。
◇
休憩の合図が出て、僕は日陰に腰を下ろした。
隣に、パールが座る。
「ウルス」
「なに」
「走り、悪くなかった」
短い言葉。
それだけで心臓の鼓動がさらに速くなる。
「……ありがとう」
素直に言ったのに、声が少しだけ震えていた。
パールはちらっと観覧席を見て、小さく息を吐く。
「でも、本番はこれから」
「分かってる」
僕も同じ方向を見る。
黒いマント。無表情な団員たち。
表情は読めない。
でも確かに——彼らの視線は僕らに注がれている。
それだけで、胸の奥にまた火が点いた。
——次は、絶対に。
***
砂地の演習場に、白い枠が四角く描かれていた。
その枠の中で、僕らはペア同士に分けられ、順番に戦うことになった。
僕のペアは、入学当初から同じクラスのアルナールになった。
禿頭が特徴だ。
模擬戦。
試験でも公式戦でもない。けれど、緊張で胃が縮こまる。
「普段通りでいい」と先生は言ったけど、普段通りが一番難しいのは、この前の模擬実技でよく分かった。
「次は——ウルスと……アルナール組、対、シェラとエイラ組」
ついに僕たちペアの番が来た……って、え、ちょっと待って。
対戦相手、女子ペアなの!?
アルナールと顔を見合わせた。
丸坊主の彼は相変わらず屈託のない笑みを浮かべている。
「なんか緊張するな。女子相手に負けたら、俺ら一生言われるぞ」
「いやもう、勝てる気しないんだけど」
「言うなよ! 縁起でもない!」
心の中でため息をつく。
シェラは小柄で冷静、氷みたいな神力の安定感を持っている。
エイラは逆に活発で、動きが鋭い。二人は入学当初からペアを組んでいて、呼吸がぴたりと合っている。
片や僕とアルナールは、今日が初ペア。……差は歴然だ。
◇
開始の笛。
砂が舞う。
アルナールがいきなり突っ込む。
「おい待て速いって!」
止める間もなく、彼は青の神力を拳にまとって正面突破を狙う。
その瞬間、シェラが低く詠うように神力を展開した。
彼女の手元から薄い氷膜が広がり、アルナールの突進を滑らせる。
「うわっ——!」
案の定、彼は横にすっころび、砂を巻き上げて転がった。
……やっぱり。
横から鋭い風切り音。エイラの蹴りだ。
僕は咄嗟に腕を青で覆い、受け流す。
衝撃が腕に響き、足元の砂が散った。
やばい。速い。
退いて間合いを取ると、アルナールが砂まみれで起き上がる。
「だ、大丈夫だ! 作戦通りだ!」
「どんな作戦だよ!」
「囮!」
「言うなよそれ!」
息を整える。
エイラとシェラは息も切らさずに位置を変え、僕らを挟み込むように動いてきた。
目が合う。2人とも冷静で、迷いがない。
◇
——思い出す。
入学してすぐの頃。
僕が青の神力だって言ったとき、アルナールが羨ましそうに僕を見て言った。
「おまえが青か……俺なんて緑にもなれねぇのに……」
「え、そ、そんな、たまたまで……! くしゃみですし……」
「くしゃみで!? じゃあ次は咳で紫いくの!?」
「違う違う違う違う違う違う!!」
——あの頃の彼は、まだ神力を具現化することさえできていなかった。
でも今は、ちゃんと青まで来ている。
あの頃の僕と同じだ。めちゃくちゃ成長している。
僕は……どうだろう。
進んでいるのか。立ち止まっていないか。
胸の奥が、ざわついた。
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「ウルス、右!」
アルナールの声が飛んだ。
その声に反応して身体をずらすと、エイラの拳がかすめて過ぎた。
危なかった。——でも、助かった。
続けざまにアルナールが突っ込み、彼女を押し返す。
僕はシェラの方に向き直り、手をかざす。
青を掌に集中させ、砂を巻き上げる。視界を遮るためだけの小さな動き。
シェラの眉がわずかに動いた。
その隙に、僕とアルナールは背中合わせになった。
「お、やっぱいいなこれ! 背中合わせ!」
「偶然だけどな!」
シェラとエイラが息を合わせ、左右から攻めてくる。
でも今度は、僕たちも呼吸を合わせた。
僕が受け流し、アルナールが押し返す。
交互に動いて、なんとか持ちこたえる。
先生の声が響いた。
「そこまで!」
◇
試合終了。
結果は明らか。女子ペアの方が安定していて、実力も上。
でも、僕らも最後まで立っていた。倒されなかった。
アルナールは満面の笑みで僕の肩を叩いた。
「な? 俺ら、案外悪くなかっただろ!」
「……まあ、思ったよりは」
「おい“思ったよりは”ってなんだよ! もっと言えよ!」
「言わない」
笑い合う。
砂まみれで、息も上がって、でも妙に心地よかった。
観客席から見ていたパールが、少し驚いた顔をしてこちらを見ていた。
その視線に気づくと、胸の奥が少し熱くなる。
僕は慌てて目を逸らした。
まだまだ弱い。
でも、少しは進めているかもしれない。
砂の匂いと、汗の熱を感じながら、そう思った。
 




