第35話:ハゲアタマ
胸の奥がまだ熱い。
さっきの障害走を終えたばかりなのに、呼吸は落ち着かない。
いや、呼吸だけじゃない。心臓の鼓動もまだ早いままだ。
僕が息を整える間に、次の走者がスタートラインに立った。
レグだ。
「行くぞォォ!」
笛が鳴った瞬間、彼の身体は弾丸みたいに砂を蹴った。
——速い。
けど、避けるんじゃなくて、壊してる。
障害物を正面からぶち倒し、飛んできた光球を拳で殴り飛ばしている。
観覧席がざわめいた。
「ルール違反! 減点だ!」
先生の怒声が飛ぶ。
でもレグは全然気にしていない。
「避けてるだろ!?ほら!」
「壊してるだけだ!」
……それ、避けたとは言わない。
周りの生徒たちから笑いが漏れる。
ゲーリュ団の黒マントたちまで、少しだけ顔を上げたように見えた。
胸の奥に、ざらつくような感覚が残った。
派手さ。
ああいう“目を奪う動き”こそ、やっぱり注目されるんだ。
次はデーネ。
彼女は一度深呼吸をしてから、静かに走り出した。
無駄がない。淡々としてるのに、不思議と視線を引く。
光球が現れる位置を読むように、顎を少しだけ傾ける。
青い神力は薄くて見えにくいけど、それが逆に“正確さ”を際立たせていた。
障害物にも触れない。
乱れもしない。
最後まで、崩れずに走り切った。
先生は「地味だが正確」と短く評した。
その言葉と同時に、観覧席の団員のひとりが小さく頷いた。
デーネの肩がわずかに震えたのを、僕は見逃さなかった。
——彼女は誰よりも“評価”を気にしている。
だから、あの頷きはきっと胸に届いたんだろう。
全員の走りが終わったあと、暫定の評価表が張り出された。
パールが上位に名を刻む。
レグは減点のせいで中位に落ち着いていた。
デーネは安定した点で、中の上。
僕は……真ん中より少し下。
昨日とほとんど変わらない場所。
だけど、今日は不思議と悔しさより“次を見たい”気持ちの方が大きかった。
ーーーーーー
ざわめきが広場を満たした。
観覧席の黒マントたちが立ち上がったのだ。
ひとりが前に出て、低い声で告げる。
「次の課題は“模擬戦”。二人一組で挑んでもらう。我々が審査する」
その一言で、空気が一変した。
ただの模擬実技じゃない。
ゲーリュ団に“戦い”を見られるんだ。
背中を汗が伝う。
喉が渇く。
でも——心臓の奥は熱い。
“見られている”。
それが、怖くて。
でも、同じくらい嬉しかった。
ーーーーーー
休憩の合図が出て、僕は日陰に腰を下ろした。
隣に、パールが座る。
「ウルス」
「なに」
「走り、悪くなかった」
短い言葉。
それだけで心臓の鼓動がさらに速くなる。
「……ありがとう」
素直に言ったのに、声が少しだけ震えていた。
パールはちらっと観覧席を見て、小さく息を吐く。
「でも、本番はこれから」
「分かってる」
僕も同じ方向を見る。
黒いマント。無表情な団員たち。
表情は読めない。
でも確かに——彼らの視線は僕らに注がれている。
それだけで、胸の奥にまた火が点いた。
——次は、絶対に。
ーーーーーー
砂地の演習場に、白い枠が四角く描かれていた。
その枠の中で、僕らはペア同士に分けられ、順番に戦うことになった。
僕のペアは、入学当初から同じクラスのアルナールになった。
禿頭が特徴だ。
模擬戦。
試験でも公式戦でもない。けれど、緊張で胃が縮こまる。
普段通りでいい。と先生は言ったけど、普段通りが一番難しいのは、この前の模擬実技でよく分かった。
「次は——ウルスと……アルナール組、対、シェラとエイラ組」
ついに僕たちペアの番が来た……って、え、ちょっと待って。
対戦相手、女子ペアなの!?
アルナールと顔を見合わせた。
丸坊主の彼は相変わらず屈託のない笑みを浮かべている。
「なんか緊張するな。女子相手に負けたら、俺ら一生言われるぞ」
「いやもう、勝てる気しないんだけど」
「言うなよ! 縁起でもない!」
心の中でため息をつく。
シェラは小柄で冷静、氷みたいな神力の安定感を持っている。
エイラは逆に活発で、動きが鋭い。二人は入学当初からペアを組んでいて、呼吸がぴたりと合っている。
片や僕とアルナールは、今日が初ペア。……差は歴然だ。
開始の笛。
砂が舞う。
アルナールがいきなり突っ込む。
「おい待て速いって!」
止める間もなく、彼は青の神力を拳にまとって正面突破を狙う。
その瞬間、シェラが低く詠うように神力を展開した。
彼女の手元から薄い氷膜が広がり、アルナールの突進を滑らせる。
「うわっ——!」
案の定、彼は横にすっころび、砂を巻き上げて転がった。
……やっぱり。
横から鋭い風切り音。エイラの蹴りだ。
僕は咄嗟に腕を青で覆い、受け流す。
衝撃が腕に響き、足元の砂が散った。
やばい。速い。
退いて間合いを取ると、アルナールが砂まみれで起き上がる。
「だ、大丈夫だ!作戦通りだ!」
「どんな作戦だよ!」
「囮!」
「言うなよそれ!」
息を整える。
エイラとシェラは息も切らさずに位置を変え、僕らを挟み込むように動いてきた。
目が合う。二人とも冷静で、迷いがない。
——思い出す。
入学してすぐの頃。
僕が青の神力だって言ったとき、アルナールが羨ましそうに僕を見て言った。
「おまえが青か……俺なんて緑にもなれねぇのに……」
「え、そ、そんな、たまたまで……! くしゃみですし……」
「くしゃみで!? じゃあ次は咳で紫いくの!?」
「違う違う違う違う違う違う!!」
——あの頃の彼は、まだ神力を具現化することさえできていなかった。
でも今は、ちゃんと青まで来ている。
あの頃の僕と同じだ。めちゃくちゃ成長している。
僕は……どうだろう。
進んでいるのか。立ち止まっていないか。
胸の奥が、ざわついた。
「ウルス、右!」
アルナールの声が飛んだ。
その声に反応して身体をずらすと、エイラの拳がかすめて過ぎた。
危なかった。——でも、助かった。
続けざまにアルナールが突っ込み、彼女を押し返す。
僕はシェラの方に向き直り、手をかざす。
青を掌に集中させ、砂を巻き上げる。視界を遮るためだけの小さな動き。
シェラの眉がわずかに動いた。
その隙に、僕とアルナールは背中合わせになった。
「お、やっぱいいなこれ! 背中合わせ!」
「偶然だけどな!」
シェラとエイラが息を合わせ、左右から攻めてくる。
でも今度は、僕たちも呼吸を合わせた。
僕が受け流し、アルナールが押し返す。
交互に動いて、なんとか持ちこたえる。
「そこまで!」
先生の声が響いた。
試合終了。
結果は明らか。女子ペアの方が安定していて、実力も上。
でも、僕らも最後まで立っていた。倒されなかった。
アルナールは満面の笑みで僕の肩を叩いた。
「な?俺ら、案外悪くなかっただろ!」
「……まあ、思ったよりは」
「おい“思ったよりは”ってなんだよ! もっと言えよ!」
「言わない」
笑い合う。
砂まみれで、息も上がって、でも妙に心地よかった。
観客席から見ていたパールが、少し驚いた顔をしてこちらを見ていた。
その視線に気づくと、胸の奥が少し熱くなる。
僕は慌てて目を逸らした。
まだまだ弱い。
でも、少しは進めているかもしれない。
砂の匂いと、汗の熱を感じながら、そう思った。




