第34話:合同演習、始まる
翌朝。
校庭に集められた僕たちの前で、エルド先生が手を叩いた。
「言った通りだ。来週、外壁南区で合同演習を行う。見学者としてゲーリュ団の一部が来る。いいか、“見せ場を作れ”じゃなく“普段通り”をやれ」
空気が一気に熱を帯びた。
ここにいる誰もが憧れる名前——ゲーリュ団。
目の前で彼らに見られるなんて、緊張しない方がおかしい。
隣でパールが静かに拳を握っている。
レグはすでににやけ顔で「腕が鳴るぜ」とつぶやき、先生に「まだ鳴らすな」と止められていた。
デーネは表情を変えないけれど、手に持った板の角がほんの少しだけ震えていた。
------
午後の訓練。
いつもの砂の感触も、今日は妙に軽く感じた。
頭の中に、繰り返し浮かぶ言葉——「ゲーリュ団が見ている」。
模擬実技での小さな前進。
紙灯を揺らさず運べた。人形の突きを待てた。パールと呼吸を合わせられた。
全部ほんの少しの進歩。
でも、“その少し”を見てもらえるのかどうか、不安は尽きない。
入学当初は、"期待の新人だ"って嫌でも注目集めてたんだけどな……
父さんからのバングルを親指で撫でる。
ほんのり温かい。
お守り、じゃない。そう思いたいのに、今はやっぱり“お守り”みたいに頼ってしまう。
------
訓練後の食堂。
ざわめきの中、推薦組の話題がまた耳に入る。
「やっぱり演習で目立つのは推薦組だろ」
「ゲーリュ団の前で下手打ったら終わりだな」
僕はスープをかき混ぜながら、心の奥に小石を落とすような音を聞いた気がした。
そのとき、パールが隣から声をかけてきた。
「ウルス。さっきの模擬実技、よかったよ」
「え?」
「ちゃんと“輪”になってた。灯も安定してたし。あれ、簡単じゃないよ」
彼女の目は真っ直ぐで、笑っていない。
本気で言ってくれているのが分かる。
胸の奥のざわめきが、少しだけ静まった。
レグがパンを口に押し込みながら割り込む。
「合同演習で俺が一番だって証明するからな! ウルス、お前も負けんなよ!」
口からパン屑を飛ばすな、と言いたいのに、思わず笑ってしまった。
デーネは呆れ顔でノートを閉じながら、ぼそっと呟いた。
「……競技じゃないんだけどね」
------
その日の夜。
寮の部屋で横になると、静けさの中に心臓の鼓動だけが響いた。
普段通り——先生はそう言った。
でも“普段通り”が一番むずかしい。
バングルが、月明かりを反射して光った。
ちいさな前進を積み重ねれば、いつか“届く”のだろうか。
まだ分からない。
けれど、逃げずに試せる舞台が来る。
吸って、吐いて、3。
胸のざわめきを、ひとつずつ落ち着かせる。
——合同演習。
そこに立つ自分を想像すると、不安と同時に、確かに胸が高鳴った。
***
そしてその日はきた。
外壁の南区。
普段は漁師や商人が行き交う広場が、今日は訓練用に区切られていた。砂をならした地面に白線が走り、仮設の観覧席が並ぶ。
——ここに、ゲーリュ団が来る。
胸の奥がざわざわする。
昨日から落ち着かない。いや、昨日どころか、一週間ずっと。
生徒たちの顔には期待と不安が混じっている。
パールはまっすぐに立ち、空を見上げていた。陽の光を浴びる横顔は、何かを決意しているように見える。
レグは肩をぐるぐる回して「はやく始まれ」と言わんばかり。
デーネは板に何かを書き込みながら、眉間にしわを寄せている。
みんなそれぞれの方法で、緊張を飲み込もうとしていた。
------
ふと、ざわめきが広がる。
振り返ると、観覧席の一角に黒いマント姿が現れていた。
ゲーリュ団。
胸の奥が一気に熱を帯びる。
ここにいる誰もが憧れているであろう存在。壁の向こうに出て、星を守るとされる人たち。
その姿が本当に目の前にある。
入学当初は気にもしてなかったのに、いつの間にやら本気でゲーリュ団に入りたいと思ってしまっている。
数人の影は黙ったまま、ただ座ってこちらを見ていた。
遠すぎて表情は分からない。
それでも「見られている」という事実だけで、手のひらに汗が滲む。
先生の声が響いた。
「これより合同演習を始める! 最初の課題は“障害走”。神力を纏い、妨害を避けながら走り抜けろ!」
砂埃の匂いが強くなる。
僕は深く息を吸い込んで、吐いた。
吸って、吐いて、3。
------
スタートライン。
隣に立つのはパール。
彼女はちらと僕を見て、小さく笑った。
「大丈夫。走るのは得意でしょう?」
「……得意じゃないよ」
「でも、昨日より今日のほうがきっと安定してる」
言い切る声が、なぜか胸に届く。
根拠はない。けど、揺れが少し収まった。
笛の音。
——走り出す。
砂を蹴った瞬間、足裏に青の膜を薄く張る。
踏み込むたび、砂が散って背中を押す。
正面には木製の障害物。左右からは神力で操られた光球。
速さと冷静さ。どちらも求められる。
右。
左。
呼吸を切らさず、光球を紙一重で外す。
昨日の練習が、確かに身体に残っている。
背後でレグの大声が聞こえる。
「はっはー! もっと速くしろ障害物!」
彼は叫びながら突進しているらしい。
先生の怒鳴り声と、観覧席の笑いが重なった。
前方ではパールが軽やかに障害を抜けていく。
彼女の髪が陽を受けてきらめいた。
遠目にも分かる“迷いのなさ”。
僕も、負けてはいられない。
------
ゴールが見える。
胸が熱くなる。
ただの走り。されど、この一歩一歩を“誰かが見ている”。
——ゲーリュ団に、届くか。
答えはまだ分からない。
けれど、息を切らして進む足は止めない。
ゴールの白線を踏んだとき、胸の奥で何かが小さく鳴った。
バングルか、心臓か。
判別できないけれど、確かに響いた。
——合同演習は、始まったばかりだ。