表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/189

第33話:試験対策

 帰郷から戻って数日。僕の心の中は、まだ落ち着いていなかった。

 推薦に選ばれたパールやレグを見ていると、なんとなく胸の奥がチクチクする。

 デーネは表情ひとつ変えずに筆記対策を進めていて、ますます焦りだけが募っていく。


 


「——よし、今日こそ勉強会を開こう!」

 僕は意を決して声を上げた。

 教室の隅で昼休みを過ごしていた3人の視線が一斉に集まる。


「勉強会?」

 パールが首をかしげる。

「ウルスが? あのウルスが? 宿題サボり常習犯の?」

「ぐっ……! そういう余計な肩書きつけないで!」


「ふむ、悪くない案ね」

 眼鏡を光らせながら、デーネがさらりと頷いた。

「あなたの場合、まず人前で音読して恥をかくところから始めたほうが記憶に残ると思う」

「なんかスパルタなんだけど!?」


「勉強会と聞いたら俺の筋肉が燃える!」

 レグはなぜか机に正拳突きを入れた。

 バンッという爆音が響き、教室が一瞬静まり返る。

「……お前は勉強の意味わかってないだろ」

「大丈夫だ、俺は“筋肉暗記法”を編み出した」

「怖いからやめて……」


 


 それでも、勉強会は本当に開かれることになった。

 場所は寮の共用スペース。机を囲み、ノートや参考書を広げる。


 


「じゃあ、まずは歴史の年号からいきましょうか」

 デーネがリーダー役となり、朗々と読み上げる。

「クロカ王国建国は約500年前、初代国王は——」

「ゲルリオン数だ!」

 僕は勢いよく答えた。


「正解。でも“約”を忘れてるわ」

「え、細かくない!?」

「試験では減点対象よ」

「くっ……!」


 


 一方、レグは……。

「おい、この数字、“500”をどう覚えるか聞きたいか?」

「え、どうやって?」

「腕立て伏せ500回やれば嫌でも覚える!」

「そんなブラック暗記法ある!?」


 しかも実演を始めたせいで、机がガタガタ揺れ、ノートが落ちる。

「ちょっと! 集中できないでしょ!」

 パールがノートを拾いながら怒鳴るが、レグは笑顔で「筋肉は裏切らない」とか言ってる。……裏切らないのはいいけど、こっちの集中力はもう裏切られっぱなしだ。


 


 そんなドタバタの中で、ふと気づいた。

 僕はこうして仲間と勉強しているけど、やっぱり推薦組と自分の間に壁を感じてしまう。


 パールは推薦者として周囲から期待されている。

 レグは力で群を抜き、注目を集めている。

 デーネは冷静に情報を整理して、頭脳派として一目置かれている。


 ——そして僕は?


 机の上の文字が霞んで見える。

 胸の中で、黒い影のようなものがじわじわ広がっていく。


 


「……ウルス?」

 パールの声に我に返った。

「え?」

「どうしたの? なんかぼーっとしてた」

「いや……なんでもないよ」

 笑ってごまかすしかない。


 けど、その視線の奥に不安がよぎった気がした。

 パールも何かに気づいているのかもしれない。


 


 勉強会の終盤、デーネが小さくつぶやいた。

「推薦は、あくまで“入り口”に過ぎない。本当の試練はこれから」

 その言葉が、胸に重くのしかかった。


 


 夜。寮の部屋で一人、机に突っ伏す。

 袖口からのぞくバングルの輝きが、ぼんやりと僕を照らした。


 父さん。僕は……このままでいいのかな。

 推薦に選ばれなかった僕は、ただ見ているだけで終わってしまうんじゃないか。


 ——でも、負けたくない。

 置いていかれたくない。


 強くなりたい。もっと。


 その想いを胸に、僕はもう一度ノートを開いた。

 震える手で、文字をなぞりながら。



***



 翌日。

 昼前の鐘が鳴る少し前、校庭の砂地に白い線が円を描いた。

 見慣れた練兵場が、今日は“模擬実技”の会場だ。


 風は弱い。空は高い。

 胸の中はざわざわして、落ち着かない。


 ——強くなりたい。

 でも、いざ列に並ぶと膝が軽く笑う。笑わないでほしい。


 教師のエルド先生が巻物を片手に高らかに言う。

「本日の課題は3つ! ①神力安定運搬、②反応回避、③二人連携重搬! 転ばない、叫ばない、砂を食べない、以上!」


 最後いる? と思ったが、前列の新入生が「はい!」と真剣に頷いた。

 ……うん、必要らしい。


 列の向こうで、パールが軽く手を振る。

 目が合うと、いつもの薄い笑み。大丈夫の合図。

 レグはすでに腕をぶらぶら回し、今にも走り出しそうだ。

 デーネはタブレット状の板にさらさらと注意点を書き込み、時々こちらを見て頷く。準備万端の顔。


 僕は掌のバングルを親指で撫でた。

 金具の内側が、少しだけ温かい。

 父さんから受け取ったもの。お守りじゃない、はずだ。

 それでも今は、お守りみたいに触ってしまう。


 呼吸。

 吸って、吐いて、3カウントで落とす。

 ——いつも通り。できるだけ、いつも通り。


 笛の音。開始。


     ◇


【①神力安定運搬】


 課題は単純。

 灯芯に小さな青い火を点した“紙灯”を持って、円の外周を1周。

 青の神力を薄くまとって、炎のゆらぎを抑えろ、というもの。


 紙灯を受け取る。手が震える。

 横目に、前走者の炎が強くなりすぎて「ボッ」となったのを見て、さらに手が震える。

 お願いだから今は燃えないで。


 ——裏返し呼吸。

 空気の重心を下げるイメージ。

 足裏の砂の粒が、それぞれ小さな“点”になって支えてくれる。

 青の膜を、手首から手の甲へ、紙灯の外側へ、薄く、薄く。

 厚くしない。押し付けない。

 “空気をやさしく包む”だけ。


 1歩。

 2歩。

 3歩。

 炎は……揺れるけど、暴れない。

 砂の上の足音が、今日に限って静かに聞こえる。靴紐、締め直しておいて正解だった。


 半周を過ぎるころ、バングルがほんの一瞬だけ「ちり」と鳴った気がした。

 幻かもしれない。それでも、指先に力が返ってくる。


 最後の角。

 僕は息を詰めず、吐き切る。

 青の薄膜が紙灯の周りで“輪”になるイメージ。

 ——ゴール。


 先生が炎の高さを棒で測る。

「……合格。ギリギリだけど合格」

 ギリギリは余計だ。でも口に出さない。

 心の奥で、ちいさくガッツポーズ。

 前回より、明らかに崩れなかった。自分で分かる。


 遠目に、パールは軽々とクリア。炎の縁が安定してる。やっぱり綺麗だ。

 レグは紙灯を持った手と反対の手で「よし!」と親指を立て、その勢いで炎がぶわっと揺れて先生に怒られていた。

 デーネは歩幅と呼吸をきっちり合わせ、杓子定規の正確さで通過。さすが。


     ◇


【②反応回避】


 次は、木製人形の突きを避け、同時に光球を2つ捌く。

 人形は一定のリズムで伸びてくるが、時折フェイントを混ぜてくる。いやな性格だ。誰が設計したの。


 砂を薄く蹴って、構える。

 青の神力を足首の外側に回し、“踏み替え”の滑りを良くする。

 右、左、間。フェイントは膝の向きで読む。

 先生は言っていた——見るのは“先端”じゃなくて“根元”。


 来る。

 肩、肘、手首の連動がわずかに変だ。

 ——間。

 僕は右足を砂になじませ、ほんの半歩、外へ。

 突きが胸の前をかすめ、同時に左側から光球。

 青の指で、軽く、はたく。

 “弾く”じゃなくて“ずらす”。

 もう1つ——背後。

 呼吸。腰を切る。

 青の膜を背中に薄く纏って、光の芯だけすべらせる。

 触れた指先が、熱い。

 でも、怖くない。動ける。


 最後の突き。

 間。

 フェイントだ。膝が嘘をついてる。

 僕は——釣られず、待つ。

 針が空を切り、本突き。

 今度は根元から来る。

 そこで、砂を“踏んでから”退いた。


 笛。終了。


 息が強く喉から抜ける。

 先生は眉を上げた。「ふむ。やるじゃないか、ウルス。前より“待ててる”」

 褒められた。ほんの少しでも褒められると、身体の芯が温かい。

 僕は「ありがとうございます」とだけ答え、視線を落とした。にやける顔を隠すのに必死だ。


 パールは——光球の出現位置を“読む”のが異様に早い。

 青の神力を厚く纏えない分、気配で先んじて一歩動けている。

 レグは……光球を手でつかもうとして先生に止められていた。

 「それはそういう競技じゃない!」

 「反射の確認で!」

 「違う!」

 周りの笑いが起きる。僕も笑った。救われる。


     ◇


【③二人連携重搬】


 最後。

 直径の違う球状の“重石”を2人で指定地点へ運ぶ。

 片方は視界を遮る布を頭からかぶる“盲目役”。

 もう片方は“案内役”。

 合図は会話のみ。神力で引っ張るのは不可。


 僕の相棒は——パールになった。

 先生が「探知の練習にもなる」と言って決めたらしい。


 パールが布をかぶる前に、指先で僕の肘をつつく。

「ね、これ。私が“気配”で障害の位置を言うから、ウルスは転ばないようにだけ集中して」

「了解。歩幅、合わせる」

「いつもの“吸って吐いて3”で」

「うん」


 布の下の彼女は見えないけど、声のテンポは落ち着いていた。

 最初の2歩で、僕は“歩幅の鍵”を合わせる。

 3歩目で、パールの声がすっと入ってくる。

「前に小さな段差。半足上げて。——今」

 僕は球に手を添えたまま、半足だけ上げ、段差を越す。

 息が乱れない。

 “読む声”が先に来るからだ。


 左側、近い息。

「左から人。避けて。私の右手の方向に半歩」

 僕の右手に、彼女の指先がかすかに触れて合図をくれる。

 布越しでも、その指先の震えはない。

 彼女は——ちゃんと“見えて”いる。


 中盤。重石が急に重くなる。

 先生のいたずら装置だ。

 パールは息を乱さず、言う。

「重くなるよ。腰、先に下げて」

 僕は言われた通り、膝じゃなく腰から重心を下げる。

 球が砂に沈まず、滑る。

 行ける。

 最後のコーナー。

 パールの声が少しだけ速くなる。

「直進。3歩で右。1、2、——今」

 息を合わせて、右。


 置く位置は……

「もう少し。あと5指」

 指で言うの、面白い。

 僕は笑いを含んだ息のまま、そっと球を置いた。

 ——ぴたり。線上。


 布を外したパールが、ぱっと笑う。

 視界が明るい。

 「やった」

 「やったね」


 先生の笛。

「合格。案内の精度と、搬送の足がいい。息も合ってる。練習したか?」

「いえ、ぶっつけです」

「ほう」

 先生の口元が少しだけ上がる。

 僕は、ほっと胸の底で笑った。


 遠く、別組のレグは“盲目役”で爆進し、案内役を引きずって直進していた。

 案内役の少年が「ちょ、やめっ——」で砂にめり込み、先生が慌てて止める。

 あれはあれで合ってるのかもしれない。いや合ってない。


     ◇


 全課題が終わると、砂埃の向こうに先生が張り出し表を立てた。

 暫定の評価。

 上から、推薦組の名前が多い。

 パールの名前は上位。レグも、粗は多いが点は高い。

 デーネは筆記項目で満点に近い補正が入り、中位上。

 僕は——下から数えないと見つからなかった“前回”より、今回は“真ん中より少し下”。

 それでも、真ん中に近づいた。

 紙灯、反応回避、連携搬送。3つの合計点で、前回の自分をしっかり越えた。


 胸が、きゅっと鳴る。

 悔しさは薄く、静かな達成感が濃い。

 ちいさな前進。ちいさくても、これは前だ。


 ふと横を見ると、パールがこちらを見て親指を立てた。

 僕も無意識に同じ仕草を返す。

 彼女の横顔は明るい。

 ——その奥に何があるのか、僕はまだ知らない。


 レグは砂を払いながら笑った。

「なあウルス、今日は“砂を食べない”達成した!」

「達成条件そこなの?」

「先生が言ってた!」

「言ってたけど!」


 デーネがメモを閉じてこちらへ来る。

「①は“輪のイメージ”が効いてた。②はフェイントを待てたのが大きい。③は……驚くほど相性がよかったわね」

「相性?」

「私とウルスじゃなくて、パールとウルス」

 デーネはさらっと言って、僕とパールを交互に見た。

「声と足と呼吸が、同じ“拍”に乗ってた。偶然か才能かは、あと3回見れば分かる」


 3回。

 数字の重さが、妙に心地よい。

 次もやる。3回どころか、何度でも。


 その時、エルド先生が手を叩いた。

「告知! 1週間後、外壁内側南区で“合同演習”。ゲーリュ団の見学者が来る。普段通りやれ。普段通りが一番むずかしいがな!」

 ざわ、と空気が動いた。

 ゲーリュ団。

 名前を聞くだけで、心臓の内側が強くなる。

 いつか隣に立つ。その“いつか”が、目盛りを持ち始める。


 解散の笛。

 砂のにおい。汗の塩。

 僕は深く息を吸って、吐いた。

 吸って、吐いて、3。

 バングルの内側が、微かに熱を返す。


 ——強くなれる。

 根拠なんてない。

 でも、今日は素直にそう思えた。


     ◇


 夕方の廊下。

 薄いオレンジの光の中、僕はひとりで教室へ戻る。

 机の上に置き忘れたノートを取りに行くだけのつもりだった。


 ——そこで、偶然耳に入った。


「……推薦組はさ、やっぱり違うよな。パールとかさ」

「ウルス? あいつはまあ“普通”。真面目になったけど」

「地味に伸びてる気はするけどね」

「でもゲーリュ団は、華がないと」


 笑い声。

 悪意は薄い。けど、胸の真ん中に小石が落ちたみたいに、静かに響いた。


 僕は足を止めて立ち尽くし、息をひとつだけ吐く。

 普通。華がない。

 知ってる。前から知ってる。

 でも——


 ノートを手に取り、廊下へ出る。

 夕焼けが長い影を作る。

 その影は、僕の背丈より少し長い。

 見上げなくても、届く長さだ。


 大丈夫。

 今日は“ちいさな前進”を、自分の足で作れた。

 それを忘れない。


 明日も。

 吸って、吐いて、3。

 いつも通りを、続ける。


 そして——

 “いつか”を、近づける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ