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第32話:帰郷

 1年半ぶりに、僕は村へ帰ることにした。

 理由は単純で、「母さんの顔が見たくなった」からだ。学校に入ってからずっと慌ただしい日々を過ごしてきて、気づけばずいぶん長い間、家に帰っていなかった。


 村の入口に足を踏み入れた瞬間、胸の奥に懐かしい匂いが広がった。乾いた砂の香りと、魚を焼く匂い。子どもの頃から嗅ぎ慣れたはずの匂いなのに、胸がぎゅっと掴まれる。


 ——ただいま。


 そう口に出したわけじゃないのに、胸の奥で小さく呟いていた。



「ウルス兄ちゃんだー!」


 子どもたちが一斉に駆け寄ってきた。昔は僕より背が低かった子が、今は肩に届くくらいに成長している。


「神力見せて!」「必殺技とかできんの!?」


「ひ、必殺技は……まだないかな」


 苦笑いを浮かべて手を広げると、青い神力がぼんやりと灯る。

 ——それだけだ。派手なことは何一つできない。


 子どもたちは「ふーん」とあっさり興味を失い、また遊びに戻っていった。

 ……なんか、すごく惨めだ。



 家の戸を開けると、母さんが鍋の前で腕を組んでいた。

 白髪が少し増えている気がしたけど、目の鋭さは昔のままだ。


「……あんた、やっと帰ってきたんだね」


「ただいま」


 僕は小さく頭を下げる。母さんは口元だけで笑って、すぐに背中を向けた。


「ご飯、冷める前に座りな」



 夕食は魚の干物と野菜の煮込み。懐かしい味に胸が熱くなった。

 箸を進めながら、僕は学校でのことを一気に話した。入学してからの騒動、レグにタイマンを挑まれ続けていること、パールやデーネとの出会い、そして必死に神力を鍛えている日々。


 母さんは黙って聞いていたけれど、僕が「もっと強くなりたい」と口にしたとき、驚いたように目を見開いた。


「……あんた、そんな顔する子じゃなかったのにね」


「え?」


「前はどこか、流されてばかりで。悔しいとか、怒ってるとか、そういう色を出す子じゃなかった。でも今の顔は……悔しさでいっぱいだ」


 図星を突かれた気がして、僕は言葉に詰まった。確かに、あの頃の僕はただ「弱いまま」だった。でも今は——弱い自分にイラついて仕方がない。



 食事が終わると、母さんは小さな箱を持ってきた。

 蓋を開けると、中には銀色のバングルが入っていた。


「これ……」


「父さんから預かってたのさ。いつか、あんたが“悔しさに耐えられなくなる時”が来たら渡せってね」


 静かな声だったけど、心臓が跳ねた。

 僕は震える指でそのバングルを掴む。ひんやりと冷たいのに、不思議と熱が宿る。


「……父さんが?」


「そうさ。何の意味があるのかは知らない。けど、あの人は本気でそう言ったんだよ」


 母さんは少しだけ笑った。


「悔しいなら、その気持ちを燃料にしなさい。それが、あんたを一番強くする」



 夜が更け、布団に潜り込んでも眠れなかった。

 バングルは枕元に置いた。

 月明かりに照らされて、銀色の輝きがまるで僕を見つめ返しているように感じた。


 ——父さんは、何を見てきたんだろう。

 ——このバングルに、どんな意味があるんだろう。


 答えはまだわからない。

 けど、母の言葉とこの重みだけは、しっかりと胸に刻まれた。



 翌朝。


「お土産持っていきな!」


 母さんは笑顔で、干物を袋いっぱいに詰めて僕に押し付けてきた。


「ま、またこんなに……」


「育ち盛りなんだろ。友達と分けな」


 背中を押されるように村を出る。

 袋の中で干物がガサガサと鳴って、なんだか賑やかだ。


 バングルの重みと干物の重み。

 どちらも僕にとって、たしかな「帰郷の証」だった。


 僕は小さく息を吸い込み、学校への道を歩き出した。


——強くなる。絶対に。



***



 1年半ぶりに村へ帰って、母さんから“父の形見”を受け取った僕は、妙な高揚感と、妙な不安を抱えたまま学園に戻ってきた。


 腕には冷たい金属の感触。——そう、父さんが残したバングル。

 母さんは真剣な顔で「お前が自分を信じられるようになったら使いなさい」と渡してくれた。


 正直、まだ“信じられる”なんて自信はない。

 でも、持っているだけで胸の奥が熱くなるような気がした。


 


 学園の門をくぐると、待ち構えていたのは——。


「ウルスーッ! やっと帰ってきたか!」

 声量だけでガラスを割れそうなレグの声だった。

 正面からタックルされ、僕は尻もちをついた。


「ぐえっ……!」

「お前がいなくて俺の毎日がどれだけ退屈だったか! 殴り合いの練習台がいないと筋肉が泣くんだぞ!」

「僕は練習台じゃないから!」


 周囲の生徒がくすくす笑っている。なんか、ちょっと恥ずかしい。


 


「ウルス! 帰ってきたのね!」

 パールがぱたぱたと駆け寄ってくる。

 いつもの元気な笑顔。けどその瞳の奥に、ほんの少しだけ安堵が見えた。……気のせいかもしれない。


「どこ行ってたのよ。寂しかったじゃない」

「ただの里帰りだよ。母さんが心配してたから」

「ふーん……まぁいいけど」

 パールは腕を組んでそっぽを向いた。耳が少し赤いのは、気のせいじゃないだろう。


 


「おかえりなさい、ウルス」

 デーネは相変わらず落ち着いた口調で眼鏡を押し上げた。

「村での暮らしはどうだった?」

「うん、懐かしかったよ。……でも、やっぱりここに戻ってきてよかった」

「そう。なら、ちゃんと勉強の遅れは取り戻してね」

「うっ……」


 彼女の言葉が一番痛い。現実的すぎる。


 


 そんな再会劇のさなか、僕の心臓はずっとバクバクしていた。

 理由は一つ——バングル。袖口から見えないように、必死で左腕を押さえている。


 


「なぁウルス、その手どうしたんだ?」

 ……レグの視線がピンポイントで突き刺さる。さすが脳筋、変なところに勘が鋭い。

「えっ!? な、なにが!?」

「その腕! 怪我してるのか!? 見せろ!」

「だ、大丈夫! 何もないから!」


 僕は慌てて袖を握りしめ、後ろに隠した。

 けど、こういう時のレグの行動力は異常に高い。


「隠すな! 友の体調は筋肉にとっても大事なんだ!」

「筋肉にとっては関係ないだろ!」


 もみ合う僕らの横で、パールが眉をひそめる。

「なによ? 何か隠してるの?」

「ち、違う! 本当に違うから!」

 僕の声は裏返り、余計に怪しさが増してしまった。


 


 やばい。完全に追い詰められている。

 ここでバングルを見せるわけにはいかない。母さんとの約束だ。

 でも、このままじゃ——。


 


「ウルス!」

 突然デーネが僕の肩を叩いた。

「宿題、出してないでしょ」

「えっ」

「今日までのやつ。今すぐ私に見せなさい」


 え、えぇぇ……!?

 まさかの勉強ネタで救われるとは思わなかった。


 その場の空気は一瞬で「宿題サボり犯ウルス」にシフトし、レグとパールの関心は完全にそっちに移った。


「やっぱり! ウルス、また忘れたんでしょ!」

「こいつ! 筋トレの時間はあるくせに勉強はサボるとは! 俺の拳で叩き込んでやる!」


 ……助かったのか、助かってないのか分からない。


 


 その夜、寮のベッドでバングルを外し、僕はじっと見つめた。

 銀色の光がランプに反射して、ぼんやりと部屋を照らす。


 父さんは、なぜこれを僕に託したのだろう。

 母さんは「信じられるようになったら」と言った。

 でも僕はまだ、自分を信じきれていない。


 それでも。

 レグやパールやデーネと出会って、ここまで来れた。

 弱い僕でも、少しずつ変わってきた。


 だったら、きっと——。


「僕は……負けない」


 小さな声で、誰にも聞かれないように誓った。

 バングルを握りしめながら。


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