第28話:誰ですか
噂は思った以上に根強く、そしてしつこかった。
僕らが“使用禁止記録庫”に忍び込んだことは誰にも言っていないはずなのに、気がつけば校舎のあちこちで囁かれていた。
最初は数人が面白がっているだけだった。だが次第に「本当に入ったらしい」「何かを見つけたそうだ」と尾ひれがつき、気がつけば僕らは学校全体の注目を浴びることになっていた。
……嬉しくなんて、全然なかった。
⸻
昼休みの廊下。
パンを片手に歩いていると、不意に肩を強くぶつけられた。
「おっと、悪いな」
振り返れば、同じクラスの男子。けれど目は笑っていなかった。
周囲にいた生徒が「やったな」と小さく笑う。
「お前ら、すごいんだってな。禁止区域に入れるほど頭も度胸もあるって」
「俺たち庶民じゃ絶対無理だわ」
その言葉の端々に、羨望と嫉妬と皮肉が混ざっていた。
「ちょっと!」パールがすぐさま声を上げる。「わざとぶつかったでしょ!」
「はは、そんなつもりはねぇよ。……ま、禁書庫に通ってるくらいだし、オレらとは住む世界が違うんだろ?」
挑発的な笑みに、僕の拳が震える。
言い返そうとしたが、デーネが冷静な声で遮った。
「やめなさい。騒ぎを大きくしたら、それこそ相手の思う壺よ」
その言葉で、喉まで出かかった怒りをどうにか飲み込む。
だけど胸の奥は、しばらくじんじんと熱を帯びたままだった。
⸻
授業中も妙な違和感は続いた。
歴史教師が板書を止め、こちらをじっと見る。
ただ視線を送られただけなのに、背筋が固まってしまう。
(まさか……噂を先生まで知ってる?)
神力の実技の授業では、教官が腕を組み、僕らを見ながらぼそりと呟いた。
「お前ら、最近ずいぶん目立つな」
その声に含まれていたのは冗談めいた調子……だけど、それ以上に妙な重さだった。
僕はただ「……はい」と答えることしかできなかった。
⸻
その夜。
寮の窓から外を見下ろすと、校庭の隅に“誰か”が立っていた。
黒い外套をまとい、月明かりに逆らって立ち尽くす影。
顔は暗闇に溶けて分からない。けれど、確かに僕を見ていた。
心臓が跳ね、手のひらに冷たい汗がにじむ。
(……あれは誰だ? 生徒じゃない。教師でも……ない?)
気づけばカーテンを勢いよく閉じていた。
胸の鼓動がうるさくて眠れない。
まるで、全身が“見張られている”と告げているようだった。
⸻
翌日も、噂は止まらなかった。
「禁書庫で竜の像を見つけたんだって」
「いやいや、神獣を呼び出したらしいぞ」
くだらない尾ひれがついて広がっていく。
人は“ありもしない秘密”の方を信じたがるらしい。
気づけば僕らは、特別な存在にされていた。
けれど、それは尊敬ではなく、ただの重荷だった。
⸻
心のどこかで、こう思った。
——秘密を暴くなんて無理だ。
今の僕らじゃ、国にだって先生にだって、到底太刀打ちできない。
でも同時に、胸の奥に火がともる。
——ゲーリュ団に入る。
強くなって、もっと大きな力を手に入れる。
そうしない限り、僕らは“真実”に近づけない。
まだ青い神力のままの僕だけど。
それでも一歩ずつ進むしかない。
窓の外をもう一度見た。
そこに影はなかった。
けれど、見張られている気配だけは消えなかった。