第22話:課外授業
入学して1年が過ぎた頃、僕たちに課せられたのは「野外実習」だった。
課題は単純。クロカ王国の東側に広がる森で、特定の植物を採集してくる。それだけ。
先生はさらりと言ったけど、東側といえば「魔物が多い危険地帯」と散々聞かされてきた場所だ。
……なのに、クラスの連中は案外ノリノリだった。
「東側ってさ、外壁の外と似てるんでしょ? わくわくするわね」
パールは目を輝かせて、まるで遠足前日の子どもみたいに落ち着かない。
「課題は“安全な範囲”って先生が言ってたろ。魔物が出る前に帰れば問題ねぇ」
レグは拳を握りしめて自信満々だ。むしろ魔物が出てきた方が嬉しそう。
「……でも記録によれば、この森の奥には古代の碑文が残ってる可能性がある」
デーネは資料を片手に、何やら危険な方向に食いついている。
僕? 正直、行きたくなかった。
だって絶対面倒なことになるに決まってる。いや、僕の人生だいたいそうなんだけど。
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東側の森に入ると、空気の色が一変した。
王国の中では感じたことのない湿った匂い。木々は空を覆うように高く、差し込む光はまだら模様。
鳥の鳴き声はするのに、どこか不気味で落ち着かない。
心臓が妙に早く打つ。
神力を纏う練習を続けてきたはずなのに、緊張で足が重くなる。
「おーい、見て! 赤い花!」
パールが茂みから顔を出した。手には教科書に載っていた薬草。課題達成だ。
「よし! もう帰ろう!」僕は即決した。
「まだ始まったばかりでしょ?」とパールが唇を尖らせる。
嫌な予感しかしない。
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案の定。
「待て、あっちにもっと珍しいのがある」
デーネが森の奥を指した。
「それ、課題に必要?」僕は食い気味に確認する。
「必要ないけど、調べておく価値はある」
「必要ないなら帰ろう!」
しかしレグが「未知との遭遇チャンスじゃん!」と叫んで突撃。
パールまで「行くわよ!」と笑顔で追いかける。
……僕? もちろん付いていくしかなかった。置いて行かれたら怖い。
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森の奥は空気が重く、音が妙に遠のいていく。
木の幹には奇妙な刻印。人為的に削られたような模様があった。
「……神代文字かもしれない」デーネが呟く。
ランプを近づけると、確かに教科書で見た記号に似ていた。
背筋が粟立つ。
これってただの実習じゃない。もっと大きな秘密に繋がってる——そう思った瞬間。
「お、おい……」
レグが珍しく声を震わせていた。
彼が指差す先、木陰で何かが動いた。
四つ足。低い唸り声。
魔物だ。
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空気が一気に張り詰める。
僕は咄嗟に神力を纏おうとしたけど、手足が震えて集中できない。
パールも顔を引きつらせ、デーネは眼鏡越しに必死に相手を見極めている。
ただ、レグだけが笑っていた。
「来たな……! 最高の授業だ!」
おいおい、授業の範囲はとっくに超えてるだろ!
木陰から現れたのは、狼に似た魔物だった。
けれど普通の狼じゃない。毛はところどころ灰色に焦げていて、目は真っ赤に光っている。牙は人の腕ほどの長さがあった。
喉がひゅっと鳴る。
頭では「冷静に」「神力を纏え」って自分に言い聞かせているのに、体は石のように固まって動かない。
レグだけが一歩前に出た。
「よっしゃ、相手してやる!」
拳を握りしめる音がやけに大きく聞こえる。
「ちょっ、待ちなさいよ!」
パールが慌てて制止する。
「課題は薬草よ! 魔物討伐じゃない!」
「でも、今逃げたら追ってくるわ」
デーネが冷静に分析していた。
「魔物は群れで動く。ここで対処しないと危ない」
……その冷静な言葉が逆に僕の心臓を締めつける。
そうだ。逃げても無駄なんだ。戦うしかない。
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魔物が低く身をかがめた。
その動きに合わせて、僕も神力を腕に纏おうとする。……けど、思うように集中できない。
頭の中が「怖い」「逃げたい」「でも守らなきゃ」でいっぱいいっぱい。力が入らない。
横でパールが息を呑んだ。
彼女の神力がふわっと広がり、周囲の気配を探っているのが分かる。
「……3匹いる」
ぞわり、と背中を冷たいものが走った。
1匹だけじゃない。もう2匹、茂みの中で目が光っている。
足が震える。喉が乾く。
このままじゃ、死ぬ——。
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その時だった。
レグが大声で笑った。
「いいじゃねぇか! 全員まとめてかかってこい!」
……狂ってる。いや、勇敢なのか?
彼は拳を鳴らし、真正面から狼型の魔物に突っ込んだ。
「レグ!!」
僕とパールとデーネの声が重なった。
拳と牙がぶつかり合う音が響く。
レグの体が後ろに弾かれたけど、彼は倒れなかった。逆に踏ん張って、もう一度拳を叩き込む。
魔物が唸り声を上げる。
その隙に、デーネが叫んだ。
「ウルス、今よ!神力を纏って!」
僕の胸に熱が走る。
……怖い。
でも、僕だけ逃げたくない。
両腕に意識を集中させる。
光が滲む。青い神力がようやく、震える僕の体にまとわりついた。
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気づけば、目の前に魔物が迫っていた。
咄嗟に腕を突き出す。
ドンッ!
体が吹き飛ばされるかと思ったけど、逆だった。
魔物の方が、数歩後ろに弾かれた。
「……やった?」
一瞬、静寂。
けれど次の瞬間、森の奥からさらに低い唸り声が重なって響いた。
まだ、終わっていない。
むしろこれからが本番だ。