第0話:僕は目立たないはずだった
神力に目覚めるのは8歳から12歳までの間だ。
それはこの国では常識で、誰もが一度は期待される。突然、身体の奥から光が溢れて力が生まれる。神に選ばれた証だ、と。
だから、8歳になると子どもはみんな妙にそわそわし始める。
昨日までただの村の子だったやつが、朝起きたら巨大な岩を持ち上げてたり、緑に光って走り回ったり。
そうなったらもう普通の生活には戻れない。即、王都に呼ばれ、ラプラス神力学校に入学。あとは訓練、訓練、訓練。
村の子供達も何人かはもう目覚めていた。
緑に光った子はちょっとした英雄扱いで、村中から祝福されていた。
本人たちは誇らしげに「ゲーリュ団に入るんだ!」なんて叫んでいるけど、僕から見れば未来が消し飛んでいるようにしか思えなかった。
だって、戦うんだろ?魔物やら脅威やらと。怖くないのか。
でも僕は違う。12歳になったけど、まだ何も起きていない。
正直ホッとした。
これでもう「神に選ばれないまま」平凡な人生を歩ける。壁の中で、静かに、誰の目にも触れずに。
僕は目立ちたくない。騒ぎに巻き込まれるのなんてまっぴらごめんだ。
そう、思っていたんだ。昨日までは。
僕の名前はウルス・アークト。12歳。
特技は「気配を消すこと」。夢は「誰にも気づかれず卒業すること」。
母さんからは「もっと堂々としなさい」って言われるけど、いやいや逆だろ。堂々としたら狙われるんだ。こういう物語では目立ったやつから退場していく。僕は絶対安全圏にいなきゃいけない。
僕の住むクロカ王国は、壁に囲まれている。比喩じゃなくて本当に。
北も南も、西も東も。見渡す限り巨大な灰色の壁が視界の端を塞いでいる。
その外に何があるか?神官は「災厄だ」「魔物だ」「人の住む場所ではない」と言う。
だけどたまに、夜に壁の向こうから風が吹く。草の香りや湿った匂いを運んでくる。それを嗅ぐたびに僕は思うんだ。
——ほんとは外にも世界があるんじゃないか?
いやいやダメだ。こういう疑問を抱くやつは昔話だと真っ先に退場する。僕は壁の中で大人しく暮らす。これが生き残るコツ。
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この国の人々は皆「ゲルリオン教」を信じている。
ゲルリオン。
今から何百年も前、この星に襲いかかってきた7匹の神獣を倒した英雄。
彼の剣と力で星は救われ、彼は「唯一神」となった。
クロカ王国の王家はゲルリオンの子孫とされていて、つまり国王は「神の血筋」ってことになっている。
教科書の挿絵のゲルリオンはいつだって眩しい。背に光の翼、大剣を振り下ろし、顔は1.3倍増しのイケメン加工。国中で「この世で最も偉大な者はゲルリオン」と教えられている。
でも母は時々、ぽつりと呟く。
「神の子孫なら、もっと国を良くしてほしいのに」
母さん、それ命知らずすぎる発言だからやめて!僕の寿命が縮む!
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父は村の騎士団の団長だった。僕が小さかった頃は肩車をしてくれたり、剣を見せてくれたりした。けどもういない。
村で英雄扱いされてた父は、もう死んだ。
壁の外の魔物を倒す任務に行って以来帰ってこない。
母はそのうち戻ってくるって言ってるけど、僕には分かる。
父はもうここに帰ってくることはない。
きっと魔物に倒されて死んでしまったんだ。
母は僕を悲しませないようにそう言ってるんだ。
絶対そうだ。
あと、父は魔物に殺されました。なんて言ったら、ますます僕が壁の外に出るのを拒むようになるのを危惧しているんだろう。
母は僕に、父のような村を守った英雄になって欲しいって思ってるからな。
絶対そんなの嫌だ。壁の外に出て魔物と戦うなんて、自分から死ににいくようなもんだ。
そういうのは、神力に目覚めた神に選ばれし子が担当するべきだ。
そんな僕の日常は、地味で、平凡で、目立たない。午後の仕事は「猫よけ」だ。家の垣根に干してある魚を猫から守る。
同年代のやつらは石を浮かせたりしている。その横で僕は竹の棒一本で「猫!シッシッ!」。比べると涙が出る。いや、むしろ安心だ。神力なんて目覚めなくていい。僕はこのまま猫よけの達人として生きていく。
……のはずだった。
その日、鼻がむずむずした。あ、やばい。くしゃみが来る。
止めろ、止めろ僕!ここでくしゃみしたら絶対嫌な予感がする!
「……っくしょん!」
次の瞬間。
垣根がドカーン!!!
干してあった魚14匹が空を舞い、木片が飛び散り、村人たちが一斉に空を見上げた。母さんが絶叫する。
「ウルスううう!?魚が爆発したああ!!」
いや、僕のせいじゃ……いや僕のせいか!?
胸の奥で何かが鳴っていた。骨の隙間に音叉を差し込まれたみたいに、身体の奥が共鳴している。手のひらが熱い。指先に淡い光がにじむ。
その夜にはもう事件に名前がついていた。
「石塀爆砕くしゃみ事件」。
村の連中、命名早すぎだろ!?
同年代の子が囁く。
「お前……神力に目覚めたんじゃね?」
僕は全力で否定した。
「いやいやいや、ただのくしゃみだから!」
でも分かっていた。これはただのくしゃみじゃない。
12歳の僕が「もう平凡だ」と信じていた日々は音を立てて崩れ始めていた。
母さんはその夜、1通の封書を渡してきた。分厚い紙に刻まれた紋章、封蝋には王都の印。
「ラプラス神力学校からよ。……あなたを特例編入したいって」
目立たず生きるはずだった僕の未来は、この一枚の紙で決まってしまった。
——平穏ライフ、終了のお知らせ。
そしてここから、僕の世界は壁の外へ広がっていく。