第180話:無音明け
静けさの中で、自分の心臓の音だけがやたらうるさく聞こえた。
誰も大きな声は出さない。
兵士でさえ、足音をできるだけ小さくしてる。
――これ、本当に“休め”って時間なのかな。
そんなことを考えていた時だった。
キィィン……。
耳の奥で、細い金属をこすったみたいな音がした。
「……今の、聞こえた?」
思わず隣のデーネを見たけど、首を横に振られた。
「何も。ウルスだけじゃない?」
「え、僕だけ?」
ノウが、ちらっとこっちを見た。
「耳鳴りだろ」
「いや、なんか……下から来た感じがしたんだけど」
「下?」
「うん。地面の底で、何かが軋んでる、みたいな」
言いながら、自分でもよく分からないこと言ってるなと思った。
でも、足の裏が、うっすらと震えた気がしたのは確かだった。
……その瞬間。
ふっと、光が戻る。
消えていた機械音。
水の流れる音。
遠くの工場の重い響き。
全部が、一気に“戻ってきた”。
同時に、人の声も少しずつ大きくなる。
深く息をつく人。
「終わった」と小さく呟く人。
広場の空気が、再びざわざわと動き出した。
「ふーーーっ……」
パールが思いっきり息を吐いた。
「だめだ、やっぱこの時間苦手。胸のとこぎゅって掴まれてる感じする」
「分かる」
デーネも肩をぐるぐる回していた。
「“おとなしくしてろ”って言われると、余計考えちゃうんだよね。自分のこととか、病のこととか、明日のこととか。休めって言われてるのに、頭は休まらない」
「……そういう時間、毎日あるのか」
ライネルの声が低く落ちる。
「それだけでも、十分な負荷だな」
その時だった。
「おい、そこの!」
短い叫び声がして、僕らは振り向いた。
広場の端で、一人の男の人がふらついていた。
さっきまで普通に歩いていたのに、足がもつれたみたいに膝をつく。
近くにいた人が慌てて支えようとするけど、その人の目はどこも見ていない。
「……あれ」
デーネが小さく息を呑む。
「さっき診療場にいた人と、表情が似てる」
確かに。
さっきのカイと同じ、“どこかに置き忘れた”みたいな目だ。
「医師を呼んでこい!」
誰かが叫ぶ。
光殿の方から、白い上着の人たちが走ってくる。
ミーナもいた。
さっきのノリとは違う、完全に“仕事の顔”だった。
「無音明け、三度目……」
彼女が小さく呟くのが耳に入った。
「え?」
パールが聞き返す。
「ここんとこ続いてるんです。無音の時間が終わった直後に、急に“落ちる”人が出るの。全部がサイク病ってわけじゃないけど……関係ないって言い切れない」
ミーナは男の人の瞳を覗き込み、脈を取りながら、素早く指示を飛ばす。
「意識はある。自分の名前は?」
「……わからない」
「家族は?」
「……わからない」
「今日、何してた?」
少しの沈黙。
「……光殿に、書類を運んで……た」
それだけ言って、口が閉じる。
まぶたが重そうに降りていく。
「寝ないで。ここはまだ寝るところじゃない」
ミーナが軽く頬を叩く。
男の人はうっすら目を開けたけど、その光は薄かった。
「搬送する!」
白衣の人たちが、手早く担架を用意して男の人を乗せる。
その間、周りの人たちは……驚いてはいたけど、叫んだりはしなかった。
誰かがぽつりと言う。
「……またか」
「最近多いな」
「光殿、何とかしてくれるんだろうか」
“驚き”じゃなくて、“慣れた心配”。
それが、逆に怖かった。
「見た?」
ロゼルが、僕たちを振り返る。
「無音の時間そのものとは言い切れないけど……“きっかけ”になってる可能性は、ずっと議会でも話題になってる」
ノウが腕を組む。
「静かにさせられてる間は、なんとか保ってんだろうな。で、制限が外れた瞬間、どっと“何か”が崩れる」
「何かって?」
レグの問いに、ノウは少しだけ首をひねった。
「さぁな。怒りか、不安か、疲れか……積もり積もったもんが、静寂の蓋を外された瞬間にどっかに流れるんだろ」
そこまで言って、ノウはふっと笑った。
「……専門家っぽいこと言ったから、今の忘れてくれ」
「かっこよかったのに」
「だから忘れろ」
ちょっと空気が軽くなったところで、ジルが口を開いた。
「サイク病の“前兆”として、無音の時間明けの発作――みたいなものがあるかどうか。光殿の連中は、それをデータで見たがってる」
「データ?」
デーネの目が光る。
「つまり、“無音の日に倒れた人リスト”とか、“発症前の生活記録”とか?」
「そう。それが全部、光殿の記録庫にある」
ロゼルがうんざりした顔をした。
「でもあそこ、一般人はなかなか触らせてもらえないんだよねぇ……“生の記録は解釈を誤る危険がある”とか言ってさ」
クロカ王国のゲーリュ団本部の“使用禁止記録庫”を思い出した。
どこも似たようなこと言うんだな、偉い人って。
「じゃあ」
僕は、バングルを握りしめながら言った。
「その“誤解するかもしれない目”として、僕らがちょうどいいってことですね」
ロゼルとジルが、同時に笑った。
「そういうこと」
「そういうことだね」
パールが腕まくりする。
「よし、決まりだね! 今日の目標、“光殿の記録庫にたどりつく”!」
「ちょっと待って、目的地の難易度急に上がってない?」
「なぁに、大丈夫大丈夫。こういうのは勢いが大事だから」
「お前が言うと不安しかないんだけど」
レグがにやっと笑って、僕の肩を叩く。
「でもまぁ、俺も賛成だ。どうせウルス、どっかのタイミングで記録庫に突っ込んでいくだろうし」
「なんで僕が突撃前提なんだよ」
「顔がそう言ってる」
「どんな顔だよそれ!」
デーネも、ペンを握り直して言う。
「サイク病を追うなら、症状と同じくらい、“街の記録”が重要。誰が何を恐れて、どこから目を逸らしてきたか。それが分からないと、見えてこないものがある」
ライネルが、光殿の塔を見上げた。
「……グラフが言っていたな。“星そのものの病”に近づく、と」
星の病。
父さんが追いかけていたもの。
サイク病。
無音の時間。
人工太陽。
全部、バラバラに見えて――どこかで一本の線になってる気がする。
「ロゼル」
僕はロゼルを見た。
「光殿の記録庫って、どこにあるの?」
「光の塔の、真ん中あたり」
ロゼルは、指で塔の中腹を示した。
「“光の調整階”の一つ下。昔は、研究者と技師だけが出入りしてた場所。今は……議会の“目”が多い」
「目、ね」
ジルが小さくため息をつく。
「まぁ、正面突破は難しい。でも、“外から来た客人”って肩書があるうちに、できるだけ近づいといた方がいい」
「近づくだけじゃ嫌なんだけどなぁ……」
思わず本音が漏れたら、ロゼルが笑った。
「そういうところ、ほんと父親に似てる」
また父さんの話だ。
「レオンもね、“ちょっと見るだけ”って言って光殿に来て、気づいたら一週間くらい帰ってこなかったことあるから」
「何やってたの父さん……」
「光殿中の図面と記録を描き写してた」
「何やってたの父さん!!」
デーネの目がキラキラし始めた。
「その写し、どこかに残ってないかな」
「ねぇ、それどこかに残ってないかな」
デーネと声が揃った。
ロゼルは肩をすくめる。
「さぁね。でも、まったく残ってないとは思えない。あの人、何するにも“この星のためになるかどうか”で動いてたから」
バングルが、じわっと温かくなった気がした。
「なら――」
僕は、はっきり言った。
「光殿の“今”も、“昔”も、ちゃんと見に行きたいです。サイク病のことも、無音の時間のことも、父さんが見てた景色も。どうせなら全部、まとめて」
ロゼルが、少しだけ誇らしそうな顔をした。
「……うん。そう言うと思ってた」
ジルが手を打つ。
「じゃ、次の予定決まりだな。“議会に顔を出して、外からの意見を聞かせろ”って話が、きっともう光殿の中で回ってる」
「早いね」
「光より早いよ、あの人たちの噂話は」
レグが笑う。
「じゃあ、俺らの仕事は一つだな」
「何?」
「全員で、なるべく元気な顔して歩くこと」
パールが指を鳴らす。
「任せて! 元気な顔なら得意だよ!」
「うるさい顔は十分だしな」
ノウがぼそっと言って、パールに小突かれていた。
広場のざわめきは、もうさっきと変わらない“日常の音”に戻っていた。
でも一度、音が消えた世界を見たあとだと――
その日常が、前より少しだけ危うく見える。
僕は塔を見上げた。
あの中に、何が隠れてるんだろう。
父さんが描き写した何かと。
この街の病と。
星そのものの病と。
その全部を繋いでるものが、きっとどこかにある。
「行こうか」
ロゼルが言った。
「光殿の中で、“よそ者の目”を使い倒される時間だよ」
ジルが笑う。
「安心しなよ。使われるだけじゃ、終わらせないでしょ、ウルス」
「……どうかな」
そう言いながらも、どこかで分かっていた。
またどうせ――巻き込まれる。
でも、それで誰かの“無音”が少しでも変わるなら。
それなら僕は、いくらでも真ん中に立ってやる。
バングルを握り直して、僕たちはもう一度、光殿の階段へ向かって歩き出した。
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