第15話:再突入
翌日。
授業。
眠い。
昨日のあれこれで心臓が疲れ果てているのに、先生は容赦なくチョークを走らせていた。
「はい、ここ重要。試験に出るぞー」
黒板の文字は、もはや芸術的なくらいびっしり。
僕は一行目からすでに脳が拒否反応を起こしていた。
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「……これ、どうやって覚えんの」
僕が机に突っ伏すと、隣のデーネが眼鏡を押し上げて言った。
「昨日教えたでしょ。“語呂合わせ法”」
「え、あれ本気で言ってたの?」
「もちろん」
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デーネは小声でノートを指差した。
「“外壁南端に王立の守備隊が常駐したのは、建国から37年後”」
「……長いな」
「語呂にすればいい。“南端の壁にミナ見張り、みんな見張りは37人”」
「語呂っていうか……駄洒落では」
「そうやって覚えるの」
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さらに彼女は淡々と続ける。
「“ガイド川が凍るのは冬の2ヶ月間” → “ガイドさん、冬に2回アイスを買う”」
「……」
「“ゲルリオンが神獣を倒したのは7日間の戦い” → “ゲルリオン、毎朝7時に筋トレ”」
「いやそれ歴史歪むから!!」
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前の席のパールが笑いを堪えて肩を震わせていた。
レグは逆に感動して「すげぇ! 俺も筋トレで覚える!」と腕立てを始めかけたので、先生にチョークを投げられた。
「静かにしろ後ろ!」
「す、すみません……」
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◆
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午後。
再び僕らは図書室に集まった。
昨日の“影合わせ”で仕掛けは確かめてある。
今日は、扉の中に入る。
パールが髪を結び直して呟いた。
「昨日よりは、もっと堂々と。怪しまれたら、また私が誤魔化すから」
「誤魔化しって……昨日のはけっこうギリギリだったよ」僕が小声で返す。
「ギリギリを楽しむのが人生でしょ」
「いややめて」
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レグは「よっしゃ、今日は“落とす小”バージョンな!」と拳を握りしめていた。
デーネは「静かにね」とだけ釘を刺す。
僕らはそれぞれ“いつも通り”の本を手に取り、奥へ。
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影の角度を合わせる。
棚の隙間から差し込む光に、僕とデーネがそっと立ち位置を調整する。
「ここ……」
「あと半歩……」
影が重なる。黒と黒がぴたりと重なり合った瞬間、扉の錠がひとりでに“カチリ”と鳴った。
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冷気。紙の匂い。
昨日よりはっきりと、中の空気がこちらに流れ込んでくる。
僕らは互いに目を合わせ、ほんの少しだけ扉を押し開いた。
薄暗い空間の中、積まれた木箱と布に覆われた巻物が見えた。
それは確かに——“使用禁止記録庫”だった。
しばらくして、息が落ち着いた。
僕らは恐る恐る木箱の山から抜け出し、奥の棚へ足を進めた。
そこには——一際古びた巻物が積まれていた。
他のよりも丁寧に布で包まれていて、端に赤い蝋の封が押されている。
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「……触っていいのかな」
僕が呟くと、パールがにやっと笑った。
「いいに決まってるでしょ。禁止されてるってことは、面白いに決まってる」
「その理屈やばくない?」
「おみくじで“凶”が出たら逆にテンション上がるのと同じ」
「いや違う」
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レグがごそごそと布をほどき始めた。
中から現れたのは、茶色く変色した巻物。文字は黒ずんでいるけれど、まだ判別できる。
デーネが息を飲んだ。
「これ……神代文字だ」
僕らの視線が一斉に集まる。
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「読めるの?」僕が聞いた。
「……たぶん」
デーネは眼鏡を少し上げ、指で文字をなぞる。
そして、小声で読み上げた。
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「《神獣は星を守るものなり》」
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空気が止まった。
僕の耳が、自分の心臓の音でいっぱいになる。
「は?」パールが口をぽかんと開ける。
「守るって……嘘でしょ。だって、教科書には……」
「“神獣は人類を滅ぼそうとした”って書いてあったよな」僕も震える声で言った。
デーネは巻物をさらに読み進める。
「《竜は炎をもって星を焼かんとした。ゲルリオンは真実を隠し……》」
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その瞬間、
「おっとっとっとォ!」
背後でレグが別の木箱に肘をぶつけた。ガタッと音が鳴る。
「しっ……!」僕ら全員が慌てて口を塞いだ。
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だが遅かった。
外から、あの足音。
軽くて、深くて、迷いのない。黒い外套だ。
扉の向こうで止まる気配。
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「閉じろ!」デーネが巻物を抱えたまま囁く。
僕とパールが慌てて布を巻き戻し、箱に押し込んだ。
ギリギリで扉が軋む。
黒い影が差し込む直前、僕らは本棚の影に潜り込む。
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「——誰か、いるのか?」
低い声が記録庫に響いた。
心臓が凍りつく。
返事をしたら終わりだ。
でも返事をしなくても終わりかもしれない。
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そのとき、パールが突然立ち上がった。
「ハァイ! えっと……掃除です! 先生に頼まれて! ほら、埃がすごいんで!」
笑顔。
完璧な笑顔。
この状況でよくそんな嘘が出るな、と僕は逆に感心した。
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黒外套の影は、しばらく黙っていた。
やがて、低く一言。
「……気をつけろ」
扉が再び閉じられる。
足音が去っていった。
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沈黙。
僕らは同時に、ばたりとその場に座り込んだ。
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「……死ぬかと思った」
「いや、死んだでしょ心臓」
「ていうかパール、今の何」
「必殺“とっさの誤魔化しスマイル”。女の子にしかできない奥義よ」
「男女平等ってなんだっけ」
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でも、笑いながらも、胸の奥は冷たかった。
さっき聞いた言葉が、まだ耳に残っている。
——神獣は星を守る。
——竜は炎をもって星を焼かんとした。
授業で教わった歴史と、真逆の記録。
本当の歴史はどっちなんだ。
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その問いが、僕の頭から離れなくなった。