第14話:扉の向こうへ
中は外の図書室よりずっと冷たかった。
空気が重く、息を吸うと、古い紙の匂いが鼻に張りつく。
光はほとんど入らない。開いた扉から漏れる、わずかな夕光だけが頼りだった。
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「うわ……なんか、カビたパンツの匂いしない?」パールが鼻をつまむ。
「黙れ、雰囲気ぶち壊しだろ!」僕は小声で突っ込んだ。
「でもほんとにカビ臭いんだって! あと鉄っぽい匂い!」
「紙とインクと鉄。保管庫の典型だね」デーネが冷静に分析する。
「俺は……筋トレ後の更衣室を思い出す……」レグがしんみり言った。
「そっちのほうが嫌だ!」
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暗闇に慣れてくると、棚が並んでいるのが見えた。
普通の図書室の棚より低い。天井も低く、圧迫感がある。
布で覆われた巻物。木箱。金属製のケース。どれも厚い埃をかぶっていた。
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「……誰も使ってない、って雰囲気」僕は思わず呟いた。
「じゃあ、なんで影合わせなんて凝った仕掛けを残してるんだろうな」パールが首を傾げる。
「外套の人たちが、時々確認してる」デーネが言う。「あの影の仕組みは、彼らのために残されてる」
「俺たち、めっちゃ泥棒じゃん……」僕は胃が痛くなった。
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その時、足元が「コツ」と鳴った。
見れば、床の石板の一部が少し沈んでいる。
「おい、ウルス! 今踏んだろ!」パールが僕の腕をつかむ。
「いや! ただ歩いただけ!」
「罠かも……」デーネが身を固くする。
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……しかし何も起きない。
「ほら、セーフ」僕は胸をなでおろす。
直後。
——ゴロロロロ。
天井の奥から、何かが転がるような音が響いてきた。
「セーフじゃなかったーー!!」
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みんな慌ててしゃがみこんだ。
……けど、何も落ちてこない。
代わりに、壁の一部が「ガコン」と外れて、小さな木の箱が飛び出してきた。
「……なんだ、これ」僕は恐る恐る手を伸ばした。
「罠じゃなくて……“渡す用”?」デーネが目を細める。
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箱を開けると、中には薄い冊子が3冊。
革の表紙には、神代文字らしき記号がびっしり刻まれている。
「うわ……読めねぇ……」レグが頭をかく。
「デーネ、読める?」パールが期待の目を向ける。
「うん、少しだけ。……でもこれは、意図的に崩してある。読ませたくない誰かが、細工してる」
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その時。
——ギシ。
扉の蝶番がまた鳴った。
光が差し込み、黒い外套の影が床に落ちた。
「やばい!」僕は思わず声を上げた。
次の瞬間、レグが冊子をひったくり、自分のシャツの中に突っ込んだ。
「俺の腹筋で守る!」
「守れるか!」
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影が、すぐそこまで迫っていた。
闇に浮かぶ黒外套の影が、ゆっくりこちらへ近づいてくる。
息を呑む音すら響きそうで、僕らは同時に口を押さえた。
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「……どうする?」
パールの目が必死に訴えている。
「隠れるしか……」僕が囁いた瞬間、レグが勝手に動いた。
彼は隅の木箱をひょいと開け、僕らに手招きする。
「こっち! 入れ!」
「いや無理だろ! 全員は!」
「大丈夫、俺の筋肉が圧縮してくれる!」
「筋肉は収納機能ない!」
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でも、背後の足音はどんどん近づいてくる。
仕方なく僕とデーネが木箱に押し込まれ、パールは布を被って棚の陰へ。
レグは……普通に木箱の蓋をしめた。
「おい! お前は外かよ!」
「俺が入ったら箱が壊れるだろ!」
「正しいけど納得いかねぇ!」
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その瞬間。
黒外套が列の角を曲がった。
影がすぐ近くに伸びてくる。
木箱の隙間から、ブーツの先が見えた。
規則正しい呼吸の音。……司書のそれじゃない。訓練された、兵士のような気配。
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扉の方へと視線が動いていく。
ほんの一呼吸の差で、僕らのいる木箱には気づいていない。
その時。
——くしゅん!
パールが布の下で小さくくしゃみした。
「……」
影が止まる。
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心臓が爆発しそうになる。
そのまま、黒外套は布の影へ手を伸ばした。
黒外套の手が、布を掴もうとした瞬間——。
「……あっ、ありがとうございます!」
布の下から、パールの声が飛び出した。
黒外套の指が一瞬止まる。
「いやぁ〜、助かりました! さっきこぼしたインクを拭こうと思って、布を探してたんです!」
勢いで布をひらひらさせるパール。
どう見ても「隠れていた」以外の何物でもない。
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「……インク?」
低い声。
「はい! 机に、ちょっとだけ! だから拭いてただけで、別に怪しいことなんて全っ然ないです! はい!」
妙に笑顔を作り、布を畳みながら後ろ手で棚をトントン叩く。
その棚の陰には、僕とデーネを押し込んだ木箱がある。
——完全にバレる。
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けれど黒外套は、じっとパールを見つめたまま、何も言わなかった。
沈黙が長い。冷や汗が耳を伝う。
その時、レグが突然――
「インクか! 俺もさっき机に汗落としちまってな!」
「それインクじゃない!!」
木箱の中で、僕とデーネが同時に心の中で叫んだ。
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黒外套はゆっくりと視線を棚の方へ滑らせ……
ほんの一拍だけ止まり、そして無言で踵を返した。
足音が遠ざかる。
パールは息を吐き、布をぎゅっと握りしめた。
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「……今の、バレてたよね?」僕が小声で言う。
「バレてた。でも、“誤魔化しきったことにした”顔だった」デーネが冷静に返す。
「俺のナイス援護も効いたな!」レグが胸を張る。
「いや逆に危なかったからな」
「えっ!?」
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その後、僕らは心臓の鼓動を無理やり抑えつけながら閲覧席に戻った。
何も起きていないふりをして、本を開く。
けれど、黒外套の気配はまだ遠くに残っている気がした。