第13話:使用禁止記録庫へ
朝、窓の鍵をもう一度ひねってから寮を出た。
昨夜、鍵が小さく鳴った気がして眠りが浅かったせいで、体が少し重い。けれど、今日はやることがはっきりしている。
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——使用禁止記録庫。
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図書室の奥の、そのまた奥。立入禁止の札がぶら下がる扉。
噂では、古い記録や回収された資料が眠っているらしい。ほんとかどうかはわからない。でも、僕らが探している「外への手がかり」があるとしたら、あそこしか思いつかない。
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中庭で落ち合うと、パールが短く指を鳴らした。
「合図いくよ。今日の作戦は“いつも通り作戦”。目立たないのが一番目立たない」
「それ、意味わかるようでわからない」
「つまりね、堂々と図書室に行って、堂々と本を借りて、堂々と奥まで歩くの」
「奥は堂々と行けないだろ」
「行けるとこまで行って、そこからは小声で堂々と」
よくわからないが、パールの顔がやたら自信満々なので、うなずくしかなかった。
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デーネは肩から分厚い本を2冊下げている。
「今日は“見学”が目的。入れなくても、仕掛けの形と巡回の時間を見ておきたい」
「じゃあ俺は?」レグが胸を張る。
「静かにする」
「最大難易度の任務きたな……」
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午前の授業はいつも通り。板書、音読、小テスト。
でも僕らの意識は、昼の鐘に向かっていた。
廊下の端で、また黒い外套を見た気がした。今度は2人。宣教師か、それともただの巡回か。どちらでもよかった。こちらは“いつも通り”で通す。
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鐘が鳴る。昼休み。
僕らは弁当を早めに詰めこんで、図書室に向かった。
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扉を開けると、木と紙の匂いが混じった空気がふわっと出迎える。
窓からの光は弱く、棚の影が床に格子模様を作っている。司書さんがカウンターの向こうで本に紙片を挟み、時々咳払いをした。
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「まず、いつも通りの本を3冊借りる」
パールが囁く。「レグは“白紙のノート”禁止」
「ちぇっ……」
僕は王国史の薄い概説書、デーネは地図帳、パールは詩集を持った。レグは……『入門・漢字の書き取り』を渋々手に取った。えらい。
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4人で閲覧席に座る。
表面上は本を開き、目線はページへ。だけど、耳は別に働かせる。
すぐに気づいた。今日は、いつもより足音が多い。棚の間を通る影が、いつもより長い。入口の立て付けが鳴る音が、いつもより近い。
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「見回り、増えてる」
デーネが、ページの端に小さく書いて僕に押しやった。
——11刻:教師1。
——13刻:司書+宣教師1。
——15刻:空白(巡回交代?)
短いメモが、少しだけ心を落ち着かせた。ルールが見えると、息が整う。
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僕らは本を閉じて立ち上がり、何もないふりで奥の棚へ移動した。
詩集の棚、地理の棚、古い記録の棚。視界の端、壁際に、小さな鉄扉がある。
“使用禁止記録庫”。札は古びている。鍵穴は2つ。けれど、その前の床に、変な模様が影で浮かんでいた。
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「……なにこれ」
光と棚の形が重なって、床に描かれている影が、どう見ても“ゲルリオンの紋章”っぽい形を作っていた。
「影合わせの仕掛けだね」デーネが小声で言った。
「扉の前の丸い印に、ちょうど棚の影が合う時刻じゃないと、開かない」
「へぇ……つまり“日光パズル”か」パールが目を輝かせる。
「俺、影得意だぞ」レグが胸を張る。
「どう得意なの?」
「夕方とか、影が伸びたら筋肉も2倍に見えるだろ? あれ」
「ただの自慢だった」
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僕は床を見た。丸い印の中心に、今はまだ影がずれている。
でも、窓からの光が少し傾けば……紋章がぴたりと重なりそうだった。
「本当にこれで開くの?」僕が尋ねると、デーネは頷いた。
「見たことある。“影が合わない時は触れるな”って親に言われた」
「じゃあ、影が合ったら……触れる?」パールがにやりと笑う。
「そう。鍵じゃなくて、影と呼吸を合わせる」
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その時、レグが急に立ち上がって両腕を広げた。
「よし、俺の影も入れて最強にしよう!」
「やめろ! 人影混ざったら意味なくなる!」僕が慌てて押し戻す。
「筋肉影法師・完全版……」レグは悔しそうに呟いた。
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影はまだ印から少し外れている。
今はやれない。だから僕らはそっとその列を離れた。
でも頭の中では、光と影がぴたりと合う瞬間を、もう何度もシミュレーションしていた。
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放課後。裏庭で鍛錬を切り上げ、次の段取りを決めた。
「開けるのは今日じゃない」デーネが言う。「明日の15刻。巡回の空白。東窓の光が影を紋章に重ねる時刻」
「合図は?」パールが身を乗り出す。
「私が吸う、ウルスが吐く、3拍目で影を押す。失敗したら即撤退」
「呼吸合わせか……」僕は深く息をした。
レグが真剣な顔で言う。
「俺、明日までに呼吸鍛えてくる。影に筋肉つけて」
「呼吸に筋肉は要らない」
「だよな!」
どうやら納得したらしい。
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僕はまだ心臓が落ち着かなかった。けれど、不思議と怖さよりもワクワクが勝っていた。
影が重なる瞬間に、扉が開く。そこに何が眠っているのか。
胸の奥で、期待と不安がせめぎ合っていた
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翌日、15刻。
図書室は静かで、光は柔らかく傾きはじめていた。
カウンターの司書さんは湯飲みに口をつけ、新聞を広げている。宣教師の姿は今のところ見えない。
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「合図は呼吸ね」
デーネが小声で確認する。
「俺、昨日の夜から呼吸鍛えてきたぞ!」レグが胸を叩く。
「どうやって?」
「10秒息止め、3回!」
「……普通すぎる」
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僕らは本を抱えたまま、奥の列へ歩いた。
影は扉の前に伸びている。
床の印の中心に、棚の影がぴたりと合いそうになっていた。
「あと……5数える」デーネが囁く。
心臓がどくどく鳴る。呼吸を整える。
「1……2……3」
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影がちょうど印に重なった瞬間、デーネが息を吸い、僕が吐いた。
床の影が紋章の形に完成する。
——カチリ。
小さな音が響いた。扉の鍵穴の金属が、ひとりでに回っていく。
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「……開いた?」パールが目を丸くする。
「まだ」デーネが冷静に答える。
影はゆっくりと動いている。外の太陽が進んでいるからだ。
完全に重なる時間は、ほんのわずか。
「今だ」
僕とデーネが同時に扉へ手を伸ばし、押した。
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——ギィ。
重たい音とともに、扉がわずかに開いた。
冷たい空気がふっと流れ出し、紙と埃の匂いが鼻をついた。
中は暗い。棚が並び、布に覆われた巻物や、鉄の箱が置かれているのが見えた。
「よし、入ろ——」
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「ちょっと待って!」パールが手を伸ばす。
「なに?」
「影、ズレてきてる」
見れば、紋章の影は少しずつ印から外れはじめていた。
扉の蝶番がきしみ、再び閉じようとする。
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「やばい!」僕は慌てて足を突っ込んだ。
「痛っ!」
見事に挟まれた。
「ウルス! 無理やり足でストッパーするな!」デーネが青ざめる。
「だって閉じるんだもん!」
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レグが勢いよく走ってきた。
「任せろ! 俺の筋肉でこじ開ける!」
「いや、静かにって言ったでしょ!?」パールが止める。
でもレグはもう遅い。全身で扉を押した。
——バキィッ!!
蝶番がひしゃげ、扉が全開になった。
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「……」
4人、沈黙。
「……開いたね」パールが小声で言った。
「影合わせ、意味なかったな……」僕は額を押さえた。
「いや! 影でロック外して、筋肉で完全解錠だ! 影と筋肉の合作!」レグがドヤ顔をしている。
「そんなパワープレイの記録庫、聞いたことない」デーネは頭を抱えた。
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でも、もう扉は開いてしまった。
闇の中に続く通路。木箱と布に覆われた記録。積まれた巻物の影。
僕らはごくりと息を呑み、足を踏み入れた。
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その瞬間。
——カツン。
後ろで足音。
棚の隙間に、黒い外套の裾がちらりと見えた。
「来てる!」パールが囁く。
「中へ! 早く!」デーネが僕の腕を引く。
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僕らは扉の隙間から一気に中へ滑り込み、闇に身を沈めた。
背後で、ひしゃげた蝶番が、ぎりぎりと悲鳴をあげる。
外套の影が、すぐそこまで迫っていた。