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第152話:出発の日

 2日後の朝。

 空は、夜の名残をほんの少しだけ残していた。

 薄い群青が、白に溶けていく。

 空気が張り詰めてるのが、肌で分かる。


 ——今日、出発する。


 焚き火の跡から、まだ煙が上がっていた。

 パールは荷袋を背負いながら、盛大に伸びをして言った。


「よしっ、行くかぁ……! あーでもだるっ、行く前から帰りたい!」

「行く前に帰るな」


 僕が返すと、デーネが眼鏡を押さえて笑った。


「寝坊しなかっただけ、成長したわね」

「うるさい! うちだって本気出せばやる時はやるの!」


 その“本気出せば”が不安なんだよ。

 でも、こうして笑い合えてるうちはまだ平気だと思えた。

 風が吹いた。

 砂が低くうなって、地平の方で何かが動いたように見えた。

 スサが立ち上がり、槍を地面に突き立てる。

 その姿は、まるで風そのものを指揮しているみたいだった。


「……来る」


 短く言ったその声だけで、空気が変わった。

 地面の奥が、かすかに鳴っている。

 ドン……ドン……ドン……。

 音じゃない。

 これは——鼓動だ。

 砂丘の向こうから、巨大な影が現れた。

 最初はただの砂嵐かと思った。

 でも違う。

 砂を裂きながら、黒い四つ足が飛び出してくる。

 その背丈は、建物ひとつ分はある。

 頭が二つ。

 片方は黒く、もう片方は灰色。

 どちらの目も、獣のそれじゃなかった。

 人間を見て“測ってる”ような、そんな視線だった。


「……え、なにあれ……」


 パールが呆然と呟いた。

 声が震えてるのに、目は離せない。

 スサがゆっくりと歩み出て、その獣の前に立つ。


「眠っていたか、オルトロス。ノウの命に代わり、我が呼びに応えよ」


 風がうなる。

 砂が巻き上がり、獣のたてがみが逆立つ。

 両方の頭が低く唸ったあと、同時に空を仰いで咆哮した。

 空が震えた。

 足元の砂が波のように揺れた。

 鼓膜が痛い。けど、誰も動けなかった。


「オルトロス……」


 デーネがかすれた声で言う。


「本当に、存在してたのね……。記録の中では“風の化身”とされていたのに……」


「風を従える者のもとにしか現れぬ」


 スサが振り返り、僕らを見る。


「主らがノウを救う意思を持つ限り、この獣は敵にはならぬ」


 敵じゃない、か。

 でも、正直言って怖い。

 あの巨体に一撃でも弾かれたら、僕なんか一瞬で砂の下だ。


「なぁ……ほんとに、これ乗んの?」


 パールが言った。


「落ちたら死ぬやつじゃん」

「落ちなければいい」


 ライネルが淡々と答える。


「軽く言うなよ……」

「風が守る」


 スサが静かに言った。


「我が神力で包めば、主らは風の中にいる。呼吸も、重力も、空気の抵抗も感じぬだろう」

「……つまり、ふわっと運ばれるってこと?」


 パールの声が震える。


「便利……だけど、こわ……」


「風は怖がる者を拒まぬ」


 スサがわずかに笑った。


「ただし——嘘をつく者は、必ず振り落とす」


 その言葉に、パールが一歩下がった。


「……ウルス、なんか怖いこと言われたんだけど」

「気のせいだと思う」


 いや、気のせいじゃない。僕も今、背筋が冷えた。

 オルトロスの足元の砂が舞い上がる。

 その動きに合わせるように、スサの神力が広がっていくのが見えた。

 風が形を持ち、まるで目に見える“流れ”になって渦を描く。


「……行くぞ」


 スサの低い声が響く。


「風が南を示している。クロカの壁の中、その奥に眠るタイフまで——風は導くだろう」


 僕は深呼吸をした。

 恐怖と興奮とが、胸の中でごちゃまぜになっている。

 振り返ると、村の魔物たちが見送ってくれていた。

 誰も言葉を発しない。ただ、静かに頷いていた。

 パールが隣で息を吸い込む。


「よし……行くか」


 デーネは小さく頷き、ライネルは無言で前を見ている。

 風が吹く。

 オルトロスのたてがみが立ち、空気が震えた。

 砂が弾けて、光が散る。

 ——風が、僕らを包んだ。


——


 一方その頃。

 

 風が熱い。

 昼でも夜でも関係なく、砂は容赦なく肌を焼く。

 けど、歩みは止めない。

 俺たちは、20人だけの精鋭部隊。

 魔物の村を殲滅するために、壁の外を進んでいた。


「前方異常なし! このまま進軍します!」


 偵察兵の声が風にちぎれて流れる。

 俺は返事もせず、遠くの地平を見ていた。

 砂の奥に、黒い影が揺れている。

 あれが……“村”なんだろうか。


 魔物が村を作る? 笑わせんな。

 それ、もう人間じゃねぇか。


 馬の歩みが止まり、前方から声が飛ぶ。


「全隊、休止!」


 アル団長の命令だ。

 砂煙の中でも、あの人はまったくブレない。

 背筋を伸ばして地図を見つめてる姿、ほんとに「王の側近」って感じがする。


 隣に立つのは、副官のシャーウラ。

 黒髪を後ろで束ね、無駄な言葉は一切ない。

 けど、誰よりも団長の指示を通す人だ。


「報告を」


 アルの低い声に、偵察兵が膝をつく。


「村の周囲に動きはありません。ただ……灯りの数が多すぎます。人が暮らしているような……」


「“魔物が暮らす村”か」


 シャーウラが吐き捨てるように言った。


「そんなもの、あり得ません」


 アルは静かに目を細める。


「見た者がいる。報告を疑う理由はない」


 その言葉で、誰も何も言えなくなった。

 風が、砂をさらっていく音だけが響く。


「……団長」


 俺は馬から降りて、一歩前に出た。


「この20人で、足りるんですか? 相手が“群れ”だったら――」


「問題ない」


 アルは即答する。


「選び抜かれた者しかここにはいない。ルナーアとギウスには、クロカ国内の防衛を任せている。

 我らが動けば、十分だ」


 シャーウラも続ける。


「この規模で十分。むしろ、少数のほうが早く動けます」

「……了解です」


 そう言いながらも、胸の奥に小さな引っかかりが残った。

 “殲滅”。

 あの言葉の響きが、どうしても好きになれない。


 アルは地図の一点を指差した。


「あと3日の行程だ。日の出とともに進む」

「……3日か」


 俺は呟いた。

 その声を聞いて、アルが微かに笑う。


「怖じ気づいたか、レグ・ルースリア」

「まさか」


 俺は拳を握って答える。


「ただ、妙に静かだと思って」


「嵐の前は、いつだって静かなものだ」


 シャーウラの言葉に、誰も反論しなかった。


 焚き火の炎が砂を赤く染める。

 夜の冷気の中、みんなの息が白く揺れている。

 その輪の少し外、俺はひとりで空を見上げた。


 星が、やけに近い。

 壁の中では見えなかった星だ。

 ……ウルス、見えてるか?

 お前は今、どこで何をしてんだ。


 ほんとは捕まえるためじゃない。

 ただ、確かめたい。

 お前が何を見たのか。何を信じてんのか。


「レグ、眠らないのか」


 アルの声に肩を跳ねた。


「すみません、考えごとしてました」

「構わん」


 団長は炎の向こうで腕を組む。


「お前の拳は鈍っていないか」

「まさか」


 俺は軽く構えを取る。

 砂を踏む音が響いた。

 ――たぶん、笑ったのは初めて見たかもしれない。


「ならいい。お前の拳は、戦場にこそ相応しい」


 その言葉を残して、アルは夜の闇に溶けていった。


 拳を見つめる。

 俺は戦うことしかできない。

 でも、それでもいい。

 ウルス、お前がどんな場所にいようと――

 俺は、お前を連れ戻す。


 風が冷たく吹き抜けた。

 地平の向こうには、まだ見ぬ村の灯り。

 そこに何が待っているのか、誰も知らない。


 けど、確かなのは一つ。

 この20人が進む先に、必ず何かが終わるってことだ。

読んでいただきありがとうございました。

面白かった、続きが気になると思ったら評価、ブックマークよろしくお願いします。

筆者がものすごく喜ぶと同時に、作品を作るモチベーションにも繋がります。


次回もよろしくお願いします!

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