第146話:囚われた鍵
突風が村を裂いた。
焚き火の炎が大きく揺れ、砂が宙に舞う。
魔物たちの視線が一斉に闇の奥へ吸い寄せられる。
「……スサが帰ってきたか」
ガルドの低い声が、夜を縫うように響いた。
⸻
砂煙の中から、槍を手にした影が現れた。
長い柄の先で紫の光がきらめき、風を従えているように見える。
あの丘で僕らを圧倒した、嵐の魔物——スサ。
全身が覚えていた。
刀を構えても、全く歯が立たなかった恐怖を。
心臓が勝手に暴れ出し、呼吸が浅くなる。
魔物たちが一斉に膝をついた。
あの荒っぽい連中まで頭を垂れ、静まり返る。
焚き火の炎だけが音を立て、僕らを照らしていた。
「……人の子。また会ったな」
スサの声が風に混じり、僕らを射抜く。
「外から来たと聞いた。……まさか、壁の中の住人だったとは……団の連中の使いか?」
心臓が跳ねる。
パールの顔が青ざめ、デーネは眼鏡を押さえて震えている。
ライネルの表情は動かないのに、その瞳が鋭く僕を見た。
ここで返答を間違えれば、僕たちはここで殺られる。
なぜかは分からないけど、このスサという魔物、ゲーリュ団に強い恨みがあるように見える。
なんて答えるのが正解だ?
返答を考えている一瞬の沈黙。
その一瞬の間に、スサの穂先がこちらに向いた瞬間、全身が凍った。
隠し通すなんて不可能だった。
圧に押し潰され、気づけば声が勝手に出ていた。
「僕らは……逃げてきた。
団に追われて、命を狙われて……。
砂に刻まれた印を追ったら、導かれるようにここまで来たんだ」
声が震えていたけど、止められなかった。
吐き出した瞬間、胸の奥がひりついた。
スサはしばらく黙って僕らを見つめていた。
風がざわめき、槍の刃が紫に揺れる。
永遠に感じる沈黙の後、低い声が落ちた。
「……嘘をついているようには見えないな」
魔物たちがざわめき、すぐに口をつぐむ。
その言葉ひとつで、場の空気が少しだけ緩んだ。
息がようやく肺に戻ってくる。
だがスサは立ち去らなかった。
槍を地に突き立てたまま、炎の向こうで動かない。
その背後で、1匹の魔物がためらいがちに声をあげた。
「……スサ。ノウは……取り戻せそうか?」
僕は息を呑んだ。
“ノウ”——それが、この村の本当の痛みの名前なんだと、その時に気づいた。
その声は、焚き火の揺れと一緒に夜の空気を震わせた。
場が一瞬で静まり返る。
炎が砂に赤い模様を刻む中、魔物たちの目が一斉にこちらに向けられた。
ガルドが口を開く。
「ノウは我らの仲間。……だが今、ゲーリュ団に囚われている」
え?
「……団に?」
パールが目を丸くして呟いた。
「でも魔物って……人を襲う側でしょ? なんで団が捕まえてんの?そんな話聞いたことない!」
その問いに、焚き火の周りがざわめく。
怒りとも悲しみともつかない気配が押し寄せてきて、呼吸が浅くなる。
ガルドの声がそのざわめきを断ち切った。
「ノウは……滅んだとされているヨンカ族のひとりだ」
その言葉が落ちた瞬間、胸が締めつけられる。
ヨンカ族——前も聞いた名前。天候を操る一族だとライネルは言っていた。
「……やはり生き残っていたのか?」
ライネルの声が震えていた。
「歴史では……もういないと……」
ガルドは静かに首を振った。
「歴史はいつも、力を持つ者が書き換える。
本当のことを残す者は少ない」
焚き火の向こう、スサが槍を抱いたまま口を開いた。
「ノウは……我が半身。
取り戻すまでは、風も休まらぬ」
その声は風そのもののように低く響き、体の奥に突き刺さった。
“半身”という言葉が、ただの比喩じゃないことを本能で感じた。
「……だからあんたら、団と敵対してるのか」
パールが呟くと、魔物たちの一人が低く唸った。
「敵対ではない。だが……我らの者を奪った。その罪は深い」
僕は手のひらを膝に押し付けていた。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
魔物は知能を持たない、獣だと教えられてきた。
でも今、目の前で彼らは怒り、悲しみ、理屈を語っている。
これは……本当に魔物なのか? それとも……。
答えが見つからない。
ただ、団の影がまた僕らに迫っていることだけは分かる。
⸻
焚き火の赤い揺らめきが、魔物たちの顔を浮かび上がらせていた。
鋭い牙や爪を持っているのに、その瞳には人と同じ光がある。
僕はどうしても落ち着かなくて、膝を握りしめていた。
ガルドが低い声で問う。
「……で、お前たちは何を求めてここに来た?」
その一言で、僕の胸がぎゅっと縮んだ。
言わなきゃ。黙っていたら何も進まない。
「僕たちは……ガイド川を渡りたいんだ」
声が思った以上に大きく響いた。
「座標が示しているんだ。川の向こうに“次”があるって」
村の空気がざわついた。
魔物たちの間にざわめきが広がり、焚き火の炎も強く揺れた気がした。
パールが慌てて言葉を継ぐ。
「でもさ、あの川ってめっちゃ広いし、流れも速いでしょ? あんなの人が泳いで渡れるわけないし……」
デーネも眼鏡を押し上げて続けた。
「何か渡れる方法はないかしら?教えてくれたら何でもするわ」
確かに、ガイド川近くに村を作っている魔物たちは、僕たちよりもずっとガイド川に詳しいはずだ。
どうにかして渡る方法を知ってるかもしれない。
でも大丈夫なのか?
何でもするって言っちゃったよね?
変なことに巻き込まれたりしない?
沈黙。
やがて、ガルドが唇を動かした。
「……ならば、ノウだ」
「ノウ……?」
思わず声が裏返った。
焚き火の向こうで、魔物たちが頷き合う。
「ノウなら……」
「ノウの力があれば……」
ガルドがはっきりと告げた。
「ノウは気温を操る。氷を呼び、川を凍らせる力を持っている。
……だがその力は、今は団に奪われた」
体の奥がぞわっと震えた。
川を渡る手段、あった。
でもそれってつまり……
パールが身を乗り出す。
「じゃあ! ノウを助ければ、川を渡れるってことだよね!」
その勢いに、魔物たちの目が一斉に鋭さを帯びる。
焚き火の炎が彼らの影を長く伸ばし、僕の喉がひりついた。
ガルドは重く頷く。
「そうだ。……だが、団に囚われた者を取り戻すことは、命を懸けることと同じ」
黙って聞いていたスサが口を開いた。
「我が弟ノウ。
あやつを奪い返すのを手伝ってくれるというのか」
低い声が、風のうなりと混ざって胸に響いた。
僕はその言葉に、焚き火の熱とは別の震えを覚えた。
ノウを取り戻せば……川を渡れる。かもしれない。
でも、それは団と正面からぶつかるってことだ……。
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