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間話:反逆者を追え

 夜明け前、砂漠の縁が群青からじわりとほどけていく。

 靴底が砂を押して、戻る。戻るたびに、列の拍子が揃う。


 1、2、3……1、2、3……。


 訓練で体に染みついた歩調は、熱にも寒さにも、余計な感情にも動かされない。


 先頭の兵がしゃがんで砂を指ですくい、角度を変えた。薄闇の中で声が滑り込む。

「足跡、南西。数は4。体重が軽いのが二人混じってる」


 隊長は短く頷くだけ。顔は岩のように動かない。

「標的は外へ出た。壁の外に出た時点で、命は砂と同じだ」


 列の中ほどで、背の高い兵が鼻で笑う。

「命なんかどうでもいい。捕まえりゃ報奨金だ。屋根の雨漏りも直せる」


 隣の小柄な兵は肩をすくめた。

「俺は母ちゃんの薬代。冬に咳が出ると寝込むんだよ」


 最後尾の奴が金具を確かめながらぼそっと言う。

「俺は妹の婚礼資金だ。名誉章ひとつで家の面目が上がる」


 欲を口にしても、足並みは一度も乱れない。

 金でも名誉でも命令でも、結局は足が動く。


―――


 砂丘をいくつか越えると、夜風に混ざる匂いが変わる。

 焦げた肉の甘さ、乾いた草のざらつき、そして、水の匂い。


 先頭がまた止まった。砂地が帯状に均され、誰かが通った跡が新しく伸びている。

「人の手だ」


 背の高い兵が目を細める。地平の低いところに、かすかな灯りが揺れた。

「……村か?」


 小柄な兵が思わず声を漏らす。

「壁の外に村があるなんて、あるのかよ」


 隊長は驚かない。淡々と告げる。

「掟破りだ。配給も守りもない土地で生きるのは背き。処分の対象に変わりはない」


 それだけで話は終わる。考えを止める方が楽だからだ。


 行軍は続く。1、2、3……1、2、3……。


「報奨金で屋根を張り替えりゃ、夏も多少はマシになる」

「母ちゃんに甘い干し果を買ってやる。歯が弱いから煮戻してやるんだ」

「名誉章があれば、道歩いてても謝られるようになるぜ」


 笑いはいくつか起きるけれど、全部短くて砂にすぐ沈む。

 標的が誰か、そんなことは問題にならない。反逆者=悪、それで世界は説明できる。


―――


 隊長が砂を撫でて進路を定める。

「方角は東、ガイド川。水場に先回りして渡河地点を潰す」

「了解」


 返事はそろって同じ高さだ。背の高い兵が軽口を挟む。

「川までに片をつけりゃ報酬も早い。母ちゃんも喜ぶだろう」


 小柄な兵が笑いながら頷く。

「団の兵が来たってだけで近所が集まる。袋に砂糖菓子でも詰めて帰りたい」


 最後尾の奴が留め具を直す。

「名誉章は左胸だ。妹の婚礼で光らせるんだ」


 そのとき、中ほどの兵がぽつりと言った。

「南西の四人って、あの三人が混じってるんじゃねえか?」


 周りがぎょっとする。小柄な兵が怪訝に振り返る。

「どういう意味だ?」

「見たことあるんだ。赤毛の小僧、白銀の髪の女、メガネの本好きのやつ。壁の中でちょっと有名なやつらだ」


 空気がピリッとする。けれど隊長は振り返らずに言いきる。

「標的に名は要らん。俺たちは国の命令に従うだけだ」


 その言葉で会話は終わる。だけど、中ほどの兵の胸の中では別の音が鳴り続けていた。


―――


 群青が薄れて砂の稜線に色が差すころ、オアシスの黒い輪郭が現れる。

 水面がわずかに光り、低い屋根が並び、細い煙が空に溶ける。


 兵の一人が足をほんの少しだけ遅らせ、呟いた。

「……本当に人が住んでる」


 すぐに列は元の速度に戻る。周縁を回って影に紛れ、灯り、見張り、物音を観察する。隊長の声も歩調と同じリズムだ。

「接触は早い。だが報告が先、確保は次」

「まずは国に報告だ」


 報告、包囲、確保、生け捕り。末端が復唱する。順序に迷いはない。


―――


 夜がまた濃くなる。焚き火の灯りが砂丘の縁に小さな赤を作る。

 その向こうに、四つの影。肩の細い二人と、残りの二人。布の擦れる音が夜に混じる。


 背の高い兵が松明の芯を絞り、炎を小さくする。

「見えるか?」

「見える。標的はあそこだ」


 小柄な兵が喉を鳴らす。

「生け捕りだ。手足は傷つけず逃げ道を断つ。訓練どおり」


 最後尾が頷く。

「訓練どおりだ」


 その瞬間、さっき名を出した中ほどの兵の心がざわついた。

 彼は昔、壁の市場で赤毛の小僧が転んだのを見かけたことがある。白銀の女が慌てて手を差し伸べて、メガネのやつは本を胸に抱えながら笑っていた。三人は喧嘩腰でも、どこか楽しげで、周りの空気を少し和らげていた。小さなやり取りが、俺の中にひっかかっている。


 思いはすぐに体温になり、指先の震えになりそうになる。でも、彼はそれを飲み込む。理由は単純だ。明日の屋根の補修代、母の薬、妹の婚礼資金――現実が前に立ち塞がる。命令が降りれば、それが正義になる。人間らしい気持ちは、命令の陰に沈めるものだ。


 彼は息を整え、声を張る。

「報告を優先だ。俺たちは国の命令に従うだけだ」


 言葉は硬いけれど、どこか自分を慰めるための合言葉にも聞こえた。足は動く。心のざわつきは砂に飲まれて目立たなくなる。だが完全には消えない。ほんの小さな皺や跡のように、彼の胸に残る。


―――


 伝令が影に溶けて砂を蹴る。残った足が包囲の位置につく。

 1、2、3……1、2、3……。規則正しい足音が夜の底に刻まれていく。砂はすぐに崩れる。けれど足音は崩れない。


 その拍子が、反逆者を追い詰める鎖になる。

 誰かの胸に残った小さな記憶は、鎖の隙間で静かに揺れている。


読んでいただきありがとうございました。

面白かった、続きが気になると思ったら評価、ブックマークよろしくお願いします。

筆者がものすごく喜ぶと同時に、作品を作るモチベーションにも繋がります。


次回もよろしくお願いします!

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