第130話:しつこい奴ら
太陽が真上に昇ると、砂漠は光の海になった。
砂丘の斜面は白く焼け、見渡す限り逃げ場なんてなかった。
歩くたびに靴底が沈み、汗が目に流れ込む。
ただ進む、それだけで精一杯だった。
「もう少しで丘を越えれば風が通る。休めるのはそこだ」
ライネルの声に、僕らは黙って頷いた。
けれどその言葉が終わる前に、耳に嫌な響きが割り込んできた。
——砂を蹴る音。
一定の間隔。重い足音。
1、2、3。1、2、3。
背筋が凍る。
⸻
砂丘の稜線に、黒い影が立っていた。
陽炎の向こう、布を巻いた団員たちがこちらを見下ろしている。
布の隙間からのぞく目が、獲物を測るように鋭く光った。
「……ゲーリュ団」
呟いた途端、空気が張り詰めた。
次の瞬間、矢が放たれた。
風を切る音とともに、砂のすぐ横に突き刺さる。
焼けた砂がぱっと散り、熱が頬をかすめた。
「走れ!」
ライネルの号令に、体が反射的に動いた。
砂丘を駆け下りる。けれど足は沈み、全然速度が出ない。
背後で足音が迫る。
1、2、3。1、2、3。
胸の奥で鐘が鳴るように響く。
「やばっ! 狙ってきてる!」
パールが短剣を抜きかけた。
でも僕は彼女の腕を掴んで叫んだ。
「止まるな! 奴らの狙いは足を止めさせることだ!」
「なにそれマジで!? ……わかった、走る!」
驚いた顔をしながらも、彼女は力強く頷いて足を速めた。
矢がもう一本飛んできた。
デーネのすぐ脇に突き刺さり、砂が舞い上がる。
「ひっ……!」
彼女が息を呑んだ瞬間、別の影が砂丘を滑り降り、刃を構えて迫ってきた。
「デーネ!」
刀を抜いた。
紫の光が走り、刀身を包む。
刃と刃が交差し、火花が散った。
やばい。本気で僕たちを殺しに来てる。
衝撃が腕に食い込む。重たい。けれど、押し返せないほどじゃない。
「国を裏切った反逆者たちよ。裏切り者は生かしてはおけん」
……はは、やっぱり僕たち、国の中ではもう裏切り者扱いなのね。
「下がれ!」
一歩踏み込み、紫の閃きを走らせる。
影が呻き声をあげ、砂に叩きつけられた。
背後でパールが叫ぶ。
「うわっ! やるじゃんウルス! 今のちょっとカッコよかったんだけど!」
息を切らしながらも、彼女の目は輝いていた。
もうひとり、背後から影が迫っていた。
僕は体を捻り、刀で刃を受け止めた。
火花が飛び、熱が頬を撫でる。
呼吸を整え、力で押し返す。
紫の神力が刀を脈打ち、光が強くなった。
「やっちゃえウルス!」
パールの声が飛ぶ。
その声に背中を押されるように、僕は力を込めた。
ライネルが横から突き入り、敵を切り払った。
砂丘を駆け抜け、影が遠ざかる。
息が喉で千切れそうになり、砂に手を突いた。
心臓はまだ暴れている。
怖い。けれど、体は動いた。仲間を守れた。
顔を上げると、パールとデーネが僕を見ていた。
その目には、驚きと安堵と……少しの信頼が混じっていた。
僕は刀を鞘に収め、深く息を吐いた。
恐怖は消えない。
でも、もう逃げるだけじゃない。
砂丘を駆け下りても、追撃の足音は止まらなかった。
むしろ近づいてきている。
1、2、3。1、2、3。
背後に鳴り響くそのリズムは、踊りの村で耳に残った太鼓の音と重なって聞こえた。
「しつこっ!」
パールが短剣を振り回しながら叫ぶ。
「もうちょっとで振り切れると思ったのに!」
「相手は慣れてる。砂漠での動きも迷いがない」
ライネルの声は低く、焦りを隠していた。
「つまり……本気で捕まえに来てるってことだ」
⸻
砂丘を抜けると、小さな窪地に出た。
そこは風が吹き溜まる地形で、砂が渦を巻くように舞っていた。
視界は悪い。けれど、隠れるにはちょうどいい場所でもあった。
「ここで一気に撒こう!」
僕は声を張った。
パールとデーネが驚いて振り返る。
「え、ウルスが言うの!?」
「いつもなら『隠れよう』とか『逃げよう』でしょ……」
「隠れるだけじゃ足音で見つかる。だから……動きを逆に利用するんだ」
僕は刀を握り直した。
砂煙の向こうから影が3人、滑り込んでくる。
矢を番える者、短剣を構える者。
団員の目は砂漠に慣れた猛禽みたいに鋭かった。
「パール! 右から来る奴を足止めして!」
「了解っ!」
彼女は短剣を逆手に持ち、砂煙へ突っ込んでいく。
「デーネ! 神力で風を起こして、煙をもっと濃くして!」
「えっ……わ、わかった!」
彼女が両手を前にかざすと、神力が空気を震わせ、砂煙が厚く広がった。
「いいぞ、そのまま!」
敵の視界が奪われた瞬間、僕は砂を蹴って前へ飛び込んだ。
紫の光が閃き、矢を持った腕を弾き飛ばす。
敵は呻いて膝を折ったが、すぐに反撃の刃が迫る。
僕は呼吸を合わせ、刃を受け止める。
火花が砂煙を照らし、敵の顔が一瞬だけ浮かんだ。
無表情、冷酷。
だからこそ、僕の中の恐怖が逆に冷静さへと変わっていく。
「……下がれ!」
一閃。紫の神力が刀身を走り、敵を弾き飛ばす。
背後でパールが「おりゃー!」と叫びながら、敵の足を蹴り飛ばす音がした。
「どーだ! やるでしょ!」
「助かった!」
「えへん!」
⸻
風が止み、砂煙が薄れたとき、敵の姿はもう見えなかった。
彼らは完全に引いたわけじゃない。
けれど、僕らをここで仕留めきるのは諦めたらしい。
砂丘の稜線の向こうに、また黒い影が揺れていた。
遠い。けれど確かにこちらを見ている。
「……まだ、ついてきてる」
デーネの声が震える。
「大丈夫だ」
そう言って刀を鞘に収めると、パールが横でにやりと笑った。
「ふふん。やっぱ頼れるじゃん、ウルス」
僕は苦笑いしながら、汗を拭った。
怖さは残っている。
でも今は、その怖ささえ力に変えられる気がした。
⸻
砂漠の夜は、昼の灼熱を嘘みたいに消し去っていた。
吐く息は冷たく、星明かりに砂が淡く光る。
昼間の追撃をどうにか振り切ったはずなのに、体の緊張は解けなかった。
焚き火を小さくして、僕らは岩陰に身を寄せていた。
デーネは本を胸に抱いたままうとうとと眠り、パールは仰向けで空を見上げている。
「星、多すぎ。なんか落ち着かないんだけど」
彼女が大きな声を出しかけて、ライネルに「静かに」と制された。
僕は刀を膝に置き、砂の上に耳を澄ませていた。
砂漠は静かだ。
虫の声も、水の音もない。
だからこそ——小さな音がやけに鮮明に響く。
ザッ……ザッ……。
微かな砂を踏む音。
昼間の足音よりもずっと静かで、獣の忍び寄る気配に近い。
背筋が粟立つ。
でも、呼吸を乱さなかった。
恐怖に飲まれたら終わる。
だから僕は刀をゆっくり抜き、月明かりに紫の光をかざした。
「……来る」
僕の小さな声に、パールが体を跳ね起こす。
「マジで!? また?」
「静かに」
ライネルが鋭く制した。
次の瞬間、影が砂の上を滑るように現れた。
布を巻いた団員が3人。
光を反射させないよう全身を覆い、闇に溶けている。
「しまっ——」
パールの声が上がるより早く、矢が放たれた。
ひゅん、と風を裂く音。
僕は刀を振り抜き、矢を弾いた。
火花が散り、紫の光が闇に閃いた。
「立て! 全員!」
ライネルの号令と同時に、砂の上で乱戦が始まった。
1人がデーネに狙いを定めて迫る。
「デーネ、下がれ!」
僕は駆け出し、刃を受け止める。
火花が目を焼く。
敵の腕は重い。
だけど恐怖で固まっていた昔と違い、体は自然に動いた。
「……っ!」
一気に踏み込み、紫の光を走らせる。
敵がよろめき、砂に膝をついた。
背後からパールの声。
「やるじゃん! もっといけ!」
振り向けば、彼女は短剣を両手に握り、果敢に飛び込んでいた。
デーネは震える手で風を操り、砂を巻き上げて敵の目を塞いだ。
「これで……っ、少しは!」
「ナイス!」
パールが声を弾ませる。
けれど敵は退かない。
砂の闇の中、さらに影が動いていた。
数は……昼間より多い。
「包囲される……!」
ライネルの低い声に、胸が冷たくなる。
僕は刀を構え直し、仲間の前に立った。
怖い。喉は乾いて、指先は震えていた。
でも、もう分かっている。
恐怖は消せない。
だからこそ——振り切って動くしかない。
闇の中、足音が四方から迫っていた。
1、2、3。1、2、3。
一定のリズムが心臓を締めつける。
矢が飛ぶ。
砂に突き刺さり、火花を散らした。
闇に溶けた影が二重三重に揺れる。
「数、多すぎ!」
パールが短剣を構えて叫ぶ。
「さっきの倍はいるよ!」
「デーネ、下がれ!」
ライネルの声が鋭く飛ぶ。
1人が飛びかかってきた。
紫の光が刀を包み、火花とともに弾き返す。
腕に響く衝撃で足が震える。
でも、ここで止まるわけにはいかない。
「ウルス、右!」
パールの声。
すぐに体を捻り、迫る刃を受け流した。
砂が散り、敵のバランスが崩れる。
「おりゃあっ!」
パールが突っ込んで敵の足を蹴り飛ばす。
砂に倒れ込んだ影を、僕が一閃で切り払った。
「ナイス!」
「ふん、当然でしょ!」
パールの笑い声が頼もしく響く。
だがすぐに、別の矢が闇を裂いた。
デーネのすぐ横に突き刺さる。
「ひっ……!」
彼女の手から本が落ちそうになる。
敵が一斉に押し寄せてきた。
3人、4人、もっと。
囲まれる——!
息を呑んだ瞬間、胸の奥でなにかが弾けた。
恐怖で硬直していた足が、勝手に前へ動いた。
「下がってろ!」
声が自分のものじゃないみたいに響いた。
刀を両手で握り、神力を全開にする。
紫の光が刀身から迸り、夜を裂いた。
振り抜いた瞬間、衝撃波のような風が走り、砂を巻き上げる。
敵の数人が吹き飛び、砂の上に倒れ込んだ。
残った影たちも足を止める。
闇の中に緊張が走った。
……手が震えている。
でも、その震えを隠す必要はなかった。
仲間の前で、震えながらでも立っていればいい。
「……これ以上来たいなら、相手になる」
刀を構え直す。
紫の光が脈打ち、砂の夜を照らす。
敵は互いに視線を交わした。
そして——砂の闇に引いていった。
⸻
静寂が戻ると、耳が痛いほどだった。
パールが息を弾ませながら僕の肩を叩く。
「うわっ! 今のめっちゃカッコよかった! ウルス、見直した!」
「……は、はは……」
笑ったつもりだったのに、喉が乾いて声が掠れた。
デーネは落とした本を抱き直し、震える声で言った。
「怖かったけど……ありがとう。ウルスが前に出てくれたから、今ここにいる」
僕は返事をせず、ただ刀を鞘に収めた。
手はまだ震えている。
けれど、その震えごと前に進めばいい。
東の空がわずかに白み始めていた。
読んでいただきありがとうございました。
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筆者がものすごく喜ぶと同時に、作品を作るモチベーションにも繋がります。
次回もよろしくお願いします!




