第128話:夜の足音
夜明け前、まだ空が群青に沈んでいるころ。
僕はふいに目を覚ました。冷たい風が隙間から入り込んで、頬を撫でていったせいだと思う。
集会所の中には、規則正しい寝息が並んでいる。パールは布団を蹴飛ばして丸くなっていて、デーネは本を胸に抱いたまま眠っていた。ライネルは仰向けで、まるで眠っている間も警戒を解かないような顔をしていた。
僕はそっと起き上がり、扉を押し開けて外に出る。
村の灯りはもう消えていて、夜の残り火みたいにかすかに煙だけが漂っている。
足を砂に沈めながら集落の外れへ歩いていくと、ふと気配を感じた。
視線の先に、砂地を無理やりならしたような跡が残っている。動物じゃない。人の靴跡だ。しかも、まだ新しい。
心臓が跳ねる。
思わずしゃがみ込み、跡を確かめた。
足跡は数人分。村の方ではなく、外から内へ向かっている。昨夜の宴の最中に、誰かがここを歩いたのだ。
「……気づいたか」
背後から声がして、僕は飛び上がりそうになった。
振り返ると、ライネルが松明を持って立っていた。
「君は眠りが浅いな。悪いことじゃない」
彼は砂地を覗き込み、淡々と続けた。
「これは……団員の足跡だな。追っ手が来ている」
その言葉に喉がひりつく。
まだ遠くのはずだと思っていた。砂嵐に足止めされているはずだと、自分に言い聞かせていた。
けれど、現実はそうじゃなかった。
「見つかるのも時間の問題だ。……次の村に長くは滞在できん」
ライネルの低い声は、夜の冷たさと同じ重みを持っていた。
⸻
朝になって僕らは村を発った。
村人たちは名残惜しそうに見送ってくれる。子どもたちは「また来てね!」と手を振ってくれた。
その明るい声が、逆に胸に刺さる。僕らの影に何が潜んでいるのか、彼らは知らない。
砂漠の道を進むうちに、パールが口を尖らせた。
「ねぇ、ウルス。なんか暗い顔してない?」
「……別に」
本当は言いたかった。追っ手が来てるかもしれないことも、村が巻き込まれるかもしれないことも。
でも口にしたら、現実になってしまう気がした。
デーネは本を閉じて、じっと僕を見つめていた。
彼女の瞳には、言葉にしなくても「隠してるでしょ」という色が滲んでいた。
⸻
その日の夕暮れ、振り返ったとき。
遠くの砂丘の上に、黒い影が3つほど立っているのが見えた。
風に揺れる布、こちらをじっと見据える輪郭。
胸が凍りつく。
もう気のせいじゃない。僕らは確実に追われている。
次の瞬間、影は砂の向こうへ消えていった。
けれど、その視線の冷たさだけが背中に突き刺さったままだった。
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砂漠の夜は冷えるはずなのに、焚き火の炎がやけに熱く感じる。僕らは火を小さくし、布をかぶって体を寄せ合っていた。
眠りに落ちかけたころ、耳の奥をかすかな音が叩いた。
砂を踏む、重たい足音。
はっとして目を開ける。
炎の向こう、闇に人影が揺れた気がした。
喉がひゅっと狭まり、呼吸が止まる。
「……ライネル」
声を出したつもりが、掠れて風に飲まれた。
隣で目を閉じていたライネルは、既に短剣に手を伸ばしていた。
「気づいたな。……まだ眠ったふりをしていろ」
その低い声が、余計に背筋を凍らせた。
火がぱち、と小さくなった。
その音にかき消されるように、足音がもう一度響いた。
近い。すぐそこにいる。
布越しにデーネの肩が微かに震えているのが分かる。彼女も起きていた。
パールは布団に顔を埋めたまま拳を握っていた。眠っているふりをしながら、今にも飛び起きそうな気配。
闇の中で、ふっと息を呑む気配がした。
人の声だ。数人いる。
「……ここだ」
「間違いない。あの光を追ってきた」
ひそやかな囁きが、砂を這うように耳に届く。
僕の心臓は喉までせり上がっていた。
次の瞬間、ライネルが布を跳ね除けて立ち上がった。
炎に照らされ、黒い影が3つ、砂丘の上に浮かび上がる。
彼らは完全に僕らを見下ろしていた。
「ゲーリュ団……」
ライネルの声が、砂漠の夜に鋭く響いた。
相手はすぐには仕掛けてこなかった。こちらを観察するかのように、しばらく動かない。
焚き火の炎が揺れ、その隙間から見える布の紋章。間違いない、王国の団員だ。
パールが小さく息を呑む。デーネは唇を噛み、僕の腕を掴んだ。
そのとき、影のひとりが短く言い捨てた。
「……座標の先で、必ず捕らえる」
そして砂の闇に溶けるように姿を消した。
静けさが戻ると、焚き火の音だけが妙に耳についた。
僕は膝を抱え、震える足を必死に押さえ込む。
ただの追跡じゃない。はっきりと狙われている。
ライネルが短剣を収め、僕らを見回した。
「彼らはまだ仕掛けてこない。だが……もう後戻りはできん」
その言葉が夜に沈んだ瞬間、胸の奥で何かが重たく沈み込んだ。
村の笑顔や子どもたちの声が、一気に遠いものになっていく。
これから先、逃げ場はないんだと理解させられた。
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