第124話:笑う導き獣
朝日が岩棚の端から差し込み、顔にじりじりと熱を感じて目が覚めた。
……寒いと思って寝たのに、朝はやけに暑い。
起き上がると、パールとデーネはまだ寝袋の中でぐっすり。
その間にライネルはすでに荷物の整理を終え、鍋に湯をかけていた。
「おはよう」
「おう」ライネルは短く返し、木のカップを突き出してくる。
覗き込むと、湯気の向こうで何やら黒っぽい塊がぷかぷかしていた。
「……これ、なに?」
「ルナからもらった“秘密の酒”を温めた」
「朝っぱらから酒!?」
「寒い朝はこれが一番効く」
ライネルはそう言ってぐいっと飲み干した。
……たしかに体は温まりそうだけど、僕は「心臓が2回止まる」という説明を忘れていない。
「おーはよ……って、あんたら何飲んでんの?」
パールが寝袋から顔を出し、ぼさぼさの髪のまま僕の手元を覗き込む。
「飲む?」
「飲む」即答だった。
「やめとけ!」と言う間もなく、パールはカップを奪って一口。
次の瞬間、無言で空を見上げ、目を閉じた。
「……どうした?」
「いや……心臓、一瞬止まった」
「やっぱり!」
そのやり取りを見ていたデーネが呆れ顔で起き上がる。
「朝から騒がしい……で、それ私には回ってこないわけ?」
「デーネまで飲む気!?」
「興味あるし」
「やめとけって!」
結局、僕以外の全員が秘密の酒で喉を温めるという、謎の朝が始まった。
支度を終えて谷の奥へ向かうと、朝の光で景色が一変していた。
昨日は黒く沈んで見えた岩肌が、今は赤茶色に輝き、所々に青い筋が走っている。
「あれ……神代文字っぽい」
デーネが立ち止まって目を凝らす。
近寄ると、それは岩に刻まれた溝で、そこから淡く光が漏れていた。
「これ……裂け目の時と同じだな」
僕がそう呟いた瞬間、パールが岩肌を軽く叩く。
「中、空洞っぽい」
「そんな雑な見分け方ある?」
「雑じゃない! 経験則!」
「経験則で空洞がわかるって何の人生送ってきたのよ」
言い合いをしていると、突然、岩壁の下から低い地鳴りが響いた。
足元の石が揺れ、砂がぱらぱらと崩れ落ちる。
「……今の、地震か?」
「違う、下から何か——」
ライネルが手を挙げて制した。
「話は後だ。揺れが収まったら中に入るぞ」
その言葉に、僕の胸がざわつく。
けれど、隣でパールが「もし宝物とかあったら、私が一番に掴むからね」と笑って言った瞬間、妙な緊張は少しだけ緩んだ。
揺れが収まると、岩壁の青い筋が一瞬だけ強く光った。
その直後——バキン、と乾いた音がして、目の前の岩が縦に割れた。
「うわっ……勝手に開いたぞ」
割れ目からは冷たい空気がふわりと流れ出し、同時に中の匂いが鼻をつく。
カビ……と、何か焦げた匂い?
「宝物の匂いじゃないわね」
パールが鼻をつまむ。
「宝物って匂いあるのか?」
「ある。大体甘い匂い」
「……絶対嘘だ」
デーネが即答した。
⸻
中は狭い通路になっていて、天井は僕の背より少し高いくらい。
壁には同じように青い筋が走っており、足元を照らしてくれている。
「便利だな……明かりいらないや」
数歩進んだところで、ライネルが急に手を挙げて止まった。
「足元、見ろ」
見ると、床一面にタイルのような石板が並び、その一部が少し沈んでいる。
「これ、踏んだら何か起きるやつだ」
デーネが目を細める。
「じゃあパール、先に——」
「何で私なの!?」
「……経験則で空洞がわかるんだろ」
「それは踏んだ後の話よ!」
くだらない押し付け合いの末、結局ライネルがすっと飛び石のように安全そうな部分を渡っていった。
その後を真似しながら進んでいた僕——うっかりつま先が沈んだタイルに触れた。
次の瞬間、通路の奥から「ボフッ!」と音がして、なぜか大量の粉が噴き出した。
「げほっ! な、何これ!?」
「……小麦粉?」
粉まみれの僕を見て、パールが腹を抱えて笑う。
「はははっ、白髪になったじゃない!」
「笑い事じゃ——ぶわっ、口に入った!」
デーネは粉を指でつまんで匂いを嗅ぎ、「たぶん穀物だね。古代の保存食……にしては保存状態悪いけど」なんて冷静に分析していた。
その後も、頭上から古びた網が落ちてきたり(ライネルが片手で持ち上げて終了)、壁の穴から吹き矢が飛んできたり(パールが逆に吹き返そうとしてむせた)と、仕掛けに翻弄されながら奥へ進んだ。
やがて通路が開け、広い円形の空間に出る。
中央には巨大な石の台座があり、その上には……何かが布を被って座っている。
「……像?」
僕が近づこうとした瞬間、その布がふわっと動いた。
「え、今動いたよね」
「うん、動いた」
「いや、動いたっていうか……こっち見た」
次の瞬間、布の中から大きな耳と丸い目が飛び出した。
「ひゃあああ!」パールの悲鳴と同時に、それは飛び上がって僕の肩にしがみつく。
毛むくじゃらで、体は子犬くらいの大きさ。けれど尻尾が妙に長く、先端が青く光っていた。
「……お前、もしかしてここ守ってたのか?」
返事代わりに、そいつは僕の頬をぺろりと舐めた。
ライネルが腕を組んで言う。
「歓迎ってことだな」
「いや、粉まみれ歓迎会はやめてほしかった……」
肩に乗った小動物は、まるで長年の相棒みたいに馴れ馴れしく、僕の頭を勝手に前足でワシャワシャとかき回してくる。
毛はふわふわ……というより、やけに温かい。というか熱い。
「おい、やめろ、髪が鳥の巣になる!」
僕が頭を振ると、そいつは「きゅっ」と短く鳴き、尻尾の青い光をぴこぴこ揺らした。
「可愛い〜!」
パールが駆け寄ってきて、目を輝かせる。
「ねえ触っていい? この尻尾! 光ってるよ!」
「いいけど、なんか熱いから気をつけろよ」
パールがそっと触れた瞬間、「あっつ!」と手を引っ込める。
「……ほらな」
「なにこれ、ストーブ? 生き物の温度じゃないでしょ」
「ストーブって……」
デーネが呆れ顔をしながらも、その目は興味津々だ。
ライネルが近づき、じっと小動物の目を見つめる。
「……こいつ、ただの小動物じゃないぞ」
「え、そうなの?」
僕は少し身を引く。
「ああ、目の奥……光の揺れが普通じゃない。昔、山岳部隊で見た“導き獣”に似ている」
「導き獣?」
デーネが聞き返す。
「古い言い伝えじゃ、ある場所まで案内する代わりに……最後は何かを奪っていくってやつだ」
「……え、それ怖いやつじゃん」
僕とパールの声が重なった。
すると、まるで話が分かっているかのように、小動物はニッと口角を上げ——笑ったように見えた。
その瞬間、背筋にぞわりと冷たいものが走る。
「……今、笑ったよな」
「笑ったね」デーネがあっさり言う。
「動物って笑うの?」パールが首をかしげる。
「普通は笑わない」ライネルが即答する。
小動物は僕の肩からぴょんと飛び降り、台座の奥の暗がりへと進んでいった。
時折こちらを振り返り、尻尾の光をチカチカ点滅させる。
まるで——「ついてこい」と言っているみたいに。
僕たちは顔を見合わせた。
「ねえ……ついてったら戻れないパターンじゃない?」
「でも行かないと何もわからないだろ」
「わかるけど……」
パールは唇を噛んだ。
デーネは眼鏡を押し上げ、「まあ、ここまで来て引き返す選択肢はないわね」と呟いた。
そしてライネルが、静かに頷く。
「決まりだ。……案内、してもらおうじゃないか」
暗がりの向こう、小動物の光がまたチカチカと瞬く。
その光のリズムが、なぜか妙に——心臓の鼓動と合っている気がした。
僕らは肩をすくめ合いながら、小動物の光を追った。
通路は台座の裏からさらに細く、くねくねと曲がりながら奥へ続いている。壁の青い筋はここでは消えていて、頼りになるのはあの尻尾の明かりだけだ。
「……これ、完全に誘い込まれてるよな」
「うん。でも帰り道覚えてる?」
パールの声が少し心細い。
「え、えっと……曲がり角、さっき3つ……いや4つか?」
「やっぱ覚えてないじゃん」
デーネが冷たく突っ込む。
先を行く小動物は、時々立ち止まって僕らを振り返り、またチカチカと光らせる。まるで「まだか?」と急かしてくるみたいだ。
やがて通路が少し広くなり、低い天井から何かが垂れ下がっているのが見えた。
「……なにこれ、蔦?」
僕が近づこうとすると、パールが袖を引く。
「やめときなさいよ。触ったら……」
僕の指先がその蔦にかすった瞬間、頭上から「バサッ」と音がして、細かい砂と羽虫みたいなものが一気に降ってきた。
「ぎゃあああ! 目ぇ! 目に入ったぁ!」
慌てて払い落とす僕を見て、パールが涙目で笑い、デーネは「あーあ」とだけ言って眼鏡をくいっと上げた。
その騒ぎの間にも、小動物は先へ進んでしまっている。
追いついたとき、そこは小さな空洞だった。中央に石の円盤があり、その縁には古い文字がぐるりと刻まれている。
「……神代文字だ」
デーネが息をのむ。
彼女が読み取ろうと近づいた瞬間、小動物がぴょんと円盤の上に飛び乗った。
尻尾の光がふっと強くなり、円盤の溝を伝って青い光が走る。
すると床全体がわずかに沈み——どこか遠くから低い「ゴウン」という音が響いた。
「ねえ……これ、扉の音じゃない?」
パールが小声で言う。
「いや、もっと嫌な音だな」
ライネルの顔は硬い。
光る尻尾が再び点滅した。
そのリズムは、さっきよりも速く、そして妙に……胸の鼓動に絡みつくようだった。
僕は無意識に胸を押さえる。なぜだか息が浅くなる。
「……こいつ、本当に案内してるだけなのか?」
そう呟いた僕に、小動物はまたニッと笑った——気がした。
僕らは円盤の奥へ続く通路へ足を踏み入れた。
案内役の小動物は、得意げに尻尾をピコピコ揺らしながら跳ねて進む。僕らが追いかけるたび、「ついて来れてるか?」とでも言いたげにチカチカと点滅する。
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1つ目の罠:床板スライド地獄
しばらく進んだところで、パールが小さく「あ」と声を上げた。
「ねえ、床の模様……さっきから少しずつずれてない?」
その瞬間、僕の足元が「スッ」と横に滑った。
「うわっ!? やべっ!」
必死で壁に手をつくと、床板が一枚、カタンと外れて闇の中へ落ちていく。
「ウルス〜、動きがコントみたい!」
パールは笑ってるが、僕は笑えない。
「笑ってないで引っ張れ!」
デーネが冷静に僕の腕をつかみ、ライネルが肩を抱えて引き上げてくれた。
小動物は、そんな危険などない顔でピョンと飛び越えていく。……絶対わざとだ。
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2つ目の罠:壁からの吹き矢
次の曲がり角を抜けた瞬間、「シュッ!」と空気を裂く音。
僕の耳元を細い矢が通り過ぎ、壁に突き刺さった。
「ちょっと! 誰だ今の!」
「誰じゃなくて“何”だろうな」
ライネルが矢を抜いて匂いを嗅ぐ。
「……麻痺薬だ。かすったらアウトだぞ」
「そんな大事なことサラッと言うな!」
小動物はまたも平然と尻尾を光らせて先に進む。こいつ、完全に罠の位置を知ってる。
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3つ目の罠:天井落下式サプライズ
次の通路はやけに静かだった。
「なんか嫌な予感……」
パールが呟いた直後、天井から「ガシャーン!」と大きな石板が落ちてきた。
「ぎゃあああっ!」
僕らは反射的に飛び退く。石板は床に激突し、粉塵がもうもうと舞い上がった。
「……今の、ほんとに笑い事じゃないからな」
僕は咳き込みながら言う。
「でもウルスの飛び退き方、カエルみたいだった」パールはまだ笑っている。
「やかましい!」
小動物は、石板の隙間をすいっと抜け、またこちらを振り返る。まるで「ほら、遅いぞ」と煽っているようだ。
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連続するトラップをなんとか切り抜けた僕らは、やっと少し開けた場所に出た。
そこは天井が高く、中央に奇妙な石の台があり、その上に黒い箱が置かれている。
「……宝箱?」
パールの声が上ずる。
だがデーネは眉をひそめ、「罠の匂いしかしない」と言った。
小動物はその箱の横にちょこんと座り、またニッと笑った——ように見えた。
読んでいただきありがとうございました。
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次回もよろしくお願いします!




