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第10話:壁の中の歴史

 朝よりも夕方の方が、壁は高く見える。

 斜めから差す光が影を濃くして、灰色の石が黒ずんだように見えるからだろう。

 僕は裏庭の端で、パールに言われた通り、短距離の往復を繰り返していた。


「もっと膝を高く! それと腕、振って!」


 パールは両手を腰に当てて、走る僕を睨んでいる。

 彼女の銀色の髪は夕日に光って、風に流れていた。見た目はやたら爽やかだけど、言ってることは体育教師だ。


「ひっ、ひっ……!」


 息が切れる。体力が尽きかけた時、背後でドスンと重い音がした。

 振り返ると、レグが大きな木の丸太を肩に担いでいる。


「持ってきたぞー! 今日はこれで腕も鍛える!」


「……走りじゃなくなるんだけど」


「強くなるには全部だ!」


 彼はそう言って、丸太を地面に落とした。砂埃が舞い、夕日の赤と混ざる。

 その埃の向こうで、パールが口元を緩めた。


「いいじゃん、レグ。ついでに私もやる」


「お、やる気だな。じゃあウルス、お前から――」


「えっ、僕から!?」


「1番弱いとこから潰す!」


 レグの笑顔は、本人にとっては励ましなんだろうけど、受ける側にとっては脅迫に近い。

 僕は半ば流されるように丸太を持ち上げ……半分も上がらなかった。腕が悲鳴をあげる。


「おお、まだまだだな! でも最初はそんなもんだ!」


 レグは軽々と持ち上げて見せた。横でパールが腕を組んでうなずく。


「明日もやろう。明日は背筋」


「え、毎日やるの?」


「当たり前」


 ……なんでこう、周りの人間はみんな前向きなんだろう。



 その日の夜。

 寮の部屋の窓から、壁の影が見えた。月明かりに照らされて、頂上の見張り台がぼんやり浮かんでいる。

 昼間の鍛錬のせいで全身が重い。椅子に座っても背中が痛い。でも机の上には、パール特製の過去問が広がっている。


 鉛筆を握った瞬間、廊下の向こうで小さな足音がした。

 スッ、スッ、とゆっくり近づいてきて――僕の部屋の前で止まった気がした。


 心臓が1拍、大きくなる。

 でも、ノックはない。

 気のせいだと思いたい。でも耳の奥がまだ“そこに誰かいる”と告げていた。


 窓を閉め、鍵をかけた。

 その夜はなかなか眠れなかった。



 翌朝。授業の初めに、歴史の先生が教室に入ってきた。

 背が高く、灰色の髪を後ろで束ね、長いマントを羽織っている。声は低くてよく通る。


「今日は『王国史・基礎』だ」


 黒板に大きく『クロカ王国』と書かれる。

 僕は鉛筆を握り直した。デーネの言う通り、筋を追って覚える。数字より、まずは流れ。


「ガメア大陸における唯一の国家、それがクロカ王国だ。

 王国は大きな壁に囲まれており、これはおよそ300年前、外からの侵入を防ぐために築かれた」


 先生のチョークが壁の絵を描く。四角く囲まれた内側に、街や川の線が引かれていく。


「東に行けば自然が豊かになる。だが同時に魔物も多く、人はあまり踏み入らない。

 壁は、人を守る盾であると同時に、王国の秩序を守る境界でもある」


 “秩序”という言葉が、黒板よりも強く耳に残った。


「我らが信じる唯一神はゲルリオン数。

 かつて天から降りてきた7匹の神獣からこの地を守った英雄、ゲルリオンが創始者であり、我らの信仰の中心だ」


 ゲルリオン。名前だけは小さい頃から聞き慣れている。

 けれど、その物語は何度聞いても遠くの出来事のようだ。先生は淡々と続ける。


「ゲルリオンは神力者を集め、ゲーリュ団を結成。

 この団がなければ、我々はとっくに神獣に食われ、国は滅んでいただろう。

 よってゲーリュ団は王国の盾であり、外の世界に対する唯一の戦力だ」


 僕は少しだけ、背筋を伸ばした。

 ――壁の外へ出るためには、ゲーリュ団に入らなければならない。

 そのためには、強くなるだけじゃなく、こういう“物語”を理解しておく必要がある。


「クロカ王国の西には高位ウェズダ人の住居区がある。彼らはかつてゲルリオンの側近であり、今も地位を保っている。

 北には武具職人の街、南は未開拓地だ。食は主に魚。農作は困難だが、保存技術によって民は飢えをしのいできた」


 チョークの音が止まり、先生は生徒たちを見渡した。


「この国の歴史と秩序を理解することは、神力の鍛錬と同じくらい重要だ。

 試験では、数字だけでなく、この“意味”を問う」


 意味。

 僕は思わずデーネの方を見た。彼女はまっすぐ黒板を見ていて、眉ひとつ動かさない。



 放課後、また鍛錬の時間になった。

 裏庭の砂地を走る。レグが丸太を担ぎ、パールが腕立てをしている。

 僕は午前の歴史の授業が頭から離れないまま、汗を流していた。


「なぁウルス」

 レグが丸太を下ろして言った。「ゲルリオンって、本当に神獣倒したのかな?」


「え……授業でそう言ってたじゃん」


「いや、俺もそう習ったけどさ……なんか、違う話も聞いたことがある気がするんだよな。昔。子どもの頃」


 パールがピタリと動きを止めた。

 風が、壁の上を滑っていく音がやけに大きく聞こえた。


「違う話って?」


「忘れた。夢だったかもしれねぇし」


 彼はそれ以上言わなかった。

 けれど、その1言は、砂の上にぽたりと落ちて、じわりと広がる水みたいに、僕の中に残った。


 ――違う話。


 鍛錬が終わり、寮に戻る途中で、あの黒い外套をまた見た。

 今度は、廊下ではなく壁の上。

 月の光の下で、影はじっとこちらを見下ろしていた。

 目は見えない。でも、確かに“視線”だけは届いていた。


読んでいただきありがとうございました。

面白かった、続きが気になると思ったら評価、ブックマークよろしくお願いします。

筆者がものすごく喜ぶと同時に、作品を作るモチベーションにも繋がります。


次回もよろしくお願いします!

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