第122話:谷を目指して
谷の奥から、ガラガラと石を蹴る音が響く。
やがて影が形を持ち、3匹……いや4匹の魔物が現れた。
さっき魚頭をくわえて逃げたやつの、友達か家族か親戚か知らないけど、全員こっちを見てる。しかも目が完全に「おかわり」を求めている目だ。
「……ねえウルス」
パールが小声で言う。
「何」
「魚頭二号、ある?」
「あるけど!? まだ袋の中だし、投げたら確実に囲まれる!」
「じゃあ三号も持っとこうか」
「三号って何だよ!!」
ライネルが静かに言う。
「干物でもいいんじゃないか」
「そういう問題じゃないでしょ! 全部エサになるわ!」
僕は叫ぶ。
その間にも魔物たちはじりじり距離を詰めてきていた。
デーネが眼鏡を押し上げ、冷静に言う。
「戦闘と餌付け、どちらに比重を置くか決めたほうがいいわね」
「餌付けメインの戦闘とか嫌なんだけど!」
「……じゃあ、やっぱり投げるしか」
パールが僕の背に手を伸ばす。
「待て待て待て!」
僕は慌てて袋を抱きしめた。
「じゃあどうするのよ!」
「普通に戦う!」
そう言った瞬間、先頭の魔物が突進してきた。
僕は神力を纏い、足を踏み込み、真正面から肩でぶつかる。
骨に衝撃が走るが、何とか押し返す。
その横で、パールが短刀をひらめかせ、ライネルが巨大な剣を片手で振り払う。
デーネは後方から回復と牽制の光弾を撃ち込んでいた。
……いい感じに押し返せてる——と思った瞬間。
谷の奥から、さらに2匹追加。
「増えてる増えてる増えてる!」
「だから魚頭!」
パールが叫ぶ。
「お前、絶対魚頭投げたいだけだろ!」
もう仕方がない。僕は覚悟を決め、袋から魚頭二号を取り出した。
ずっしり重い、村長の“たぶん安全”兵器。
狙いを定めて——谷の奥へと全力で投げた。
魚頭は空中でくるりと回り、見事に魔物たちの群れの真ん中に落ちた。
その瞬間、全員の動きがピタリと止まる。
——そして、全員で魚頭を取り合いながら、奥へ戻っていった。
「……え」
パールがぽかんと口を開ける。
「まさかの平和解決?」
「いや……多分、あの奥で戦争が始まるだけだ」
ライネルが淡々と言った。
デーネがメモを取りながら首を傾げる。
「この方法、再現性は低そうね」
「いや、再現性って言葉を使う時点でおかしいから!」
僕は全力でツッコんだ。
谷の空気は再び静かになった。
僕らは顔を見合わせ——そして一斉に荷物を抱えて走り出した。
背後では、まだ「ガルルル!」という争奪戦の声が響いていたが、振り返らない。
息を切らしながら谷を抜けたところで、パールが笑い出した。
「ねえ、これから“魚頭作戦”って名前で伝説になるんじゃない?」
「やめてくれ、恥ずかしい……」
「でも、あれで助かったのは事実よ」
デーネが淡々と加える。
「そうだな」
ライネルも短く同意する。
……やめろ、その真顔で褒めるのが一番恥ずかしいんだ。
***
谷を越えると、一気に景色が変わった。
背後の岩山と違い、眼前にはなだらかな草地と、ちょっとした集落らしき影が見える。煙突から白い煙が上がっていて、どうやら人が住んでいるらしい。
……が、問題はその手前だ。
「なんか……におわない?」
僕は鼻をひくつかせた。
「焼き肉の匂い……?」
パールが目を細める。
「いや、もっとこう……“何かを無理やり焼いてる”匂いだな」
ライネルが警戒する。
「科学的に説明すると、あれは“焦げ+油+たぶん獣毛”」
デーネが真顔で分析していた。
嫌な予感がした。
そして、その予感は数秒後、確信に変わる。
草地の向こうから現れたのは、背丈2メートル近い男たち数人。全員が巨大な串を肩に担いでいる。串の先には……なにか黒く焦げた、正体不明の物体。
「おおーっ! 旅人だ!」
「ちょうどいい、味見していけ!」
そのまま僕らの前にドンと置かれた串。焦げすぎて、形がほぼ炭。
「……これは?」
僕が恐る恐る尋ねると、先頭の男が誇らしげに言った。
「名物、“谷越え獣”の丸焼きだ!」
「……どこらへんが獣なんですか?」
デーネがメガネ越しに凝視する。
「このへん」と言って、男は黒焦げのかたまりを指でつつく。……ボロッと崩れた。
パールが笑顔で僕の背中を押す。
「ほら、ウルス。こういうのは経験だよ」
「いや、経験って言葉は何にでも使えばいいわけじゃない!」
「でも、お腹すいたでしょ?」
「すいたけども!!」
ライネルはもう黙って座っていた。串の横で、木の皿を受け取っている。
「……もしかして、食べるの?」
「食べる」
「すごい勇気!さすが壁の外で生きてきた人は違う!」
恐る恐る口に運んでみると……
「……あれ?」
思わず声が出た。
「おいしい?」
パールが身を乗り出す。
「いや……味は……えっと……焦げしかない」
「でしょうね」
デーネが満足げにうなずいた。なんで満足なんだ。
村の人たちは大喜びで追加を焼き始めた。
「おお! もっと持ってこい!」
火の上で、また黒いかたまりがゴロゴロ転がっていく。
「これ、絶対明日のお腹やばいやつだよな……」
僕は心の中でつぶやいた。
でも、村人たちの笑顔と、このよく分からない熱気に、少しだけ肩の力が抜けた。
魚頭と焦げ肉。僕らの旅の食事、なぜこうもネタみたいなラインナップになるんだろう。
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焦げ肉祭り(勝手に命名)の後、僕らは村唯一の宿へ案内された。
木造2階建て、壁はちょっと傾いているし、階段はきしむし、窓はなぜか斜めについている。まあ寝られればいい。
部屋に荷物を置いた瞬間、1階からドンガラガッシャーン!と騒音が響いた。
「……宴、始まってるな」
ライネルが短く言い、さっさと階段を降りていった。
僕らも後を追うと、もう酒盛り真っ最中。
昼間の焦げ肉を焼いていた男たちが、今度は巨大なジョッキを両手に笑っている。テーブルは酒瓶だらけ、床はすでに何かこぼれてベタベタだ。
「おお! さっきの旅人だ!」
「飲め飲め!」
気づけば木のジョッキを押し付けられた。
「いや、僕は……」と言いかけた瞬間、パールが横から一気に飲み干した。
「ぷはーっ! ……あ、ごめん、これウルスのだった」
「いや、絶対わざとだろ!」
次の瞬間、別のジョッキが差し出される。
「これ飲んだら男だ!」と酔っぱらいが笑う。
「いや僕もう男です」
「そういうことじゃない!」
無理やり口をつけられ……ごくり。
舌が熱くなる。喉が火事。胃が暴動。
「うわあああああ……」
たぶん、今の僕の顔は真っ赤どころじゃない。
パールが爆笑して背中を叩く。
「お子様には早かったか」
「お子様じゃない!」と反論したつもりだが、舌がもつれて「おこさまじゃにゃい」みたいになった。
その横で、デーネが静かにワインを飲んでいた。
「……強いな」
僕がつぶやくと、彼女は淡々と答える。
「司書の仕事は集中力が必要だから、多少の酒じゃ乱れないの」
なるほど……と思ったが、その直後、デーネが僕の顔をじっと見た。
「……顔、熱い。無理しないで」
その声が妙に柔らかくて、僕は言葉を失った。
なんだろう、胸の奥がざわざわする。これって……いや、酔ってるだけか?
——と思ったら、パールが僕の肩に腕を回してきた。
「おーいデーネ、ウルスは私の相棒なんだから横取り禁止ー!」
「横取りじゃない」
デーネは少しだけムッとした。
「いやいや、これ恋の三角関係ってやつか?」と酔っぱらいが騒ぎ、周囲が「おおー!」と盛り上がる。
「違う!」「違う!」僕とデーネが同時に否定するが、パールはにやにや笑っていた。
——この人、絶対わざと煽ってる。
その後も村人たちは僕らを酒で攻め続け、気づけば夜が更けていた。
ライネルは隅で静かに飲んでいたが、時々こっちを見ては薄く笑っていた。
あの笑いは……たぶん「若いっていいな」的なやつだ。
でも僕はもう、顔も胸もぐちゃぐちゃで、何が何やら分からない。
部屋に戻る頃、パールはご機嫌で鼻歌、デーネは少しだけ頬が赤くなっていた。
僕は布団に倒れ込み、天井を見つめた。
酔いと熱と、なんだか説明できない感情がぐるぐる回って……眠れる気がしない。
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夜が明けるより先に、僕は目を覚ました。
……いや、正確には「起きてしまった」。
頭は重いし、口の中は砂漠みたいに乾いている。舌の上に昨夜の酒の苦味がまだ残っていて、それがやけにリアルに昨日の記憶を呼び戻してくる。
酒場、ジョッキ、酔っぱらい、そして……パールの腕。
あの距離感の近さ、酔ってたからなのか、それとも……。
思い出した瞬間、胸のあたりがじんわり熱くなる。やめろ、これは二日酔いのせいだ。
でも、そのすぐ後にデーネの顔も浮かんだ。
薄い笑みと、「無理しないで」と言った声のやわらかさ。
あれは、なんだったんだろう……。
うーん、ややこしい。頭痛の原因の半分は酒で、もう半分はこれだ。
ごそごそと隣の布団から音がして、パールが頭だけ布団から出した。
「……あんた、朝から顔赤くない?」
「二日酔いだ」
「ふーん? 昨日、私に抱きつかれてそんなにドキドキしたのかと思った」
言いながら口元だけで笑う。完全にわざとだ。
「抱きついてきたのはそっちだろ!」
「証拠は?」
「……昨日の村人が全員証人だ!」
「酔っぱらいの証言ほど信用ならんもんはないわね」
くそ、勝てる気がしない。
そのやりとりを、起き上がったデーネが冷めた目で見ていた。
「……朝から何の話?」
「いや、別に」
僕は反射的に逸らした。
「別にって顔じゃないけど」
デーネは淡々とそう言い、長い髪を指で払った。
その仕草が、なぜか目に焼きつく。
……なんだこれ、余計ややこしい。
階下からは、すでに朝食の匂いが漂ってきていた。
焼きたてのパン、魚のスープ、そしてほんのり香るハーブ。
胃が刺激され、頭のもやもやも少し和らぐ……かと思いきや、昨日のことがふたたび押し寄せてきた。
——酔った勢いでパールに抱きつかれ、村人全員の前で「相棒宣言」され、
——デーネにはやたら優しくされ、
——そして周りからは「三角関係」だの何だのと茶化され。
……いや、冷静に考えると、昨日一日で僕の人間関係の図がぐちゃぐちゃに書き換えられてる。
これから谷へ向かうってのに、心の中では別の冒険が始まってしまっている気がする。
朝食の席につくと、村人たちがもう囲んでいた。
「おー! 昨日の“若いの3人組”だ!」
「今日は誰と誰が隣に座るんだ?」
やめろ、そのノリ。
パールがわざと僕の隣に腰を下ろし、デーネは反対側に座った。
僕はサンドイッチの具みたいに板挟みになったまま、スープをすする。
……これ、谷に行く前から疲れそうだな。
読んでいただきありがとうございました。
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筆者がものすごく喜ぶと同時に、作品を作るモチベーションにも繋がります。
次回もよろしくお願いします!




