第116話:対照的な2人のお迎え
---アル視点---
夜の森は静かだった。
月明かりが木々の隙間から差し込み、僕の影を地面に長く伸ばす。
その影を踏まぬように歩くのは、ただの癖だ。
音を立てずに動くのは呼吸と同じ。もはや意識することもない。
⸻
やっぱり、ここに来たか。
薄闇の中に立つウルスの姿を見た瞬間、胸の奥で小さく笑う。
彼の目は迷っていなかった。
恐怖を押し殺し、何かを求めて踏み出そうとしている。
あの目は——レオンに似ている。
レオン・アークト。
かつての英雄。
彼は規格外だった。剣の腕も、神力の練度も、胆力も。
そして何より、組織に従わない意志の強さ。
国に忠誠を誓いながらも、その忠誠は「民」に向けられていて、「王」には向いていなかった。
だからこそ、彼は“消えた”。
あの夜、森でレオンと交わした一瞬の剣。
彼はまだ死んでいないどころか、全盛期以上の気配を纏っていた。
あの時の衝撃は今も指先に残っている。
そして、あの男が見ていたのは僕じゃない。
——ウルスだ。
息子、か。
誰に似たのか、あの少年もよく似ている。
目の奥の光は素人ではない。
戦場を知らないはずなのに、あの緊張感に飲まれず、選択をした。
「この先を見たい」
そう言った時、僕は確信した。
この子はレオンの“血”だけでなく、“意思”を継いでいる。
なら、どうする?
普通なら潰す。芽のうちに摘む。
だが、彼にはもっと価値がある。
ウルスは駒だ。彼を泳がせれば、レオンは必ず動く。
その糸をたどれば、“本当に敵に回すべき相手”の居場所に辿り着ける。
だから殺さない。だから罰さない。
ただ鎖を見せて、恐怖を刻む。
⸻
「北の森、夜間の無断外出……やるじゃないか、君たち」
わざと柔らかく言う。
怖がらせるには、優しい声が一番効く。
案の定、彼らの肩が一斉に揺れた。
特にウルスの瞳は、恐怖と決意が混じった色をしていた。
その目が、レオンに似すぎていて、笑いそうになる。
守るふりをする。優しい言葉をかける。
それで十分だ。
彼らはもう、自分の足で“こちら側”から遠ざかっていく。
その道の先で何を掴もうと、僕は全部見ている。
レオン。
君の息子は、君に似て強くなるだろう。
だから、僕は利用させてもらう。
君の意思も、君の血も、君の影も。
——すべて僕の計画のために。
---ウルス視点---
アル団長は笑っていた。
でもその笑顔は、月より冷たく、背筋を切り裂く。
剣の柄に添えた指は動かさない。
でも、僕の心臓は握り潰されたみたいに縮んだ。
「北の森。使用禁止区域。夜間の無断外出。……やるじゃないか、君たち」
声は柔らかいのに、背筋が氷の刃を当てられたみたいに硬直する。
「……アル団長」
喉が詰まるのを必死にこらえる。
「どうしてここに……」
「“監視”していたからさ」
彼は軽く肩をすくめた。
笑顔のまま、当たり前のように言う。
その一言で背中を冷たい汗が伝った。
「君たちが動くなら、必ずここだと思っていた」
視線が扉の奥に滑る。
「中には、入ったのか?」
「……まだ」
「そうか。なら助かった」
アルの口元が僅かに上がる。
「君たちはまだ、ギリギリ戻れるところにいる」
優しい声なのに、その奥に潜む冷たさは刃物より鋭い。
「僕らは、君たちを守りたいと思っているよ。
でも——忠実で素直な部下ならば、だ」
パールが小さく息を呑んだのがわかった。
デーネも唇を噛んでいる。
「……君はどうしたい?」
アルは僕を見た。
逃げられない。
目を逸らせば殺される気がした。
刀を握る手に力が入る。
胸の奥が叫ぶ。——ここで退いたら、何も得られない。
「……僕は、この先を見たい」
震えそうな声を押し殺して言った。
アルは一瞬だけ目を細めて、それから楽しそうに微笑んだ。
「やっぱり。君はそういう顔をしていた」
彼はゆっくりと近づいてきて、僕らのすぐそばで立ち止まる。
剣は抜かないのに、空気が押しつぶされそうに重い。
「覚えておきなさい。
——この森に来たことも、今日見たことも、すべて“なかったこと”にできなければ、君たちは生きていけない」
パールの肩が小さく揺れた。
デーネの視線が僕を探る。
怖い。でも、逃げられない。
「さあ、帰ろう。僕が護衛してあげる」
アルは柔らかく笑った。
「従順な部下には、僕はとても優しいんだ」
その声が優しければ優しいほど、背筋を這う冷たさは強くなった。
僕は一度だけ扉の奥を振り返り、それから視線を下げてアルの後ろを歩き出した。
森の中を歩くたび、足音がやけに大きく響く気がした。
アル団長の背中が少し前を歩き、その背筋が月明かりを浴びて鋭い線を描いている。
まるで月明かりさえ、彼に従って道を照らしているみたいだ。
怖い。
でも、彼は剣を抜いていないし、声を荒げてもいない。
ただ静かに歩くだけなのに、全身が凍りついて息が浅くなる。
背中に突き刺さる視線が、まるで「一歩でも動きを間違えたら斬る」と言っているようだった。
後ろを振り返ると、パールとデーネも無言でついてくる。
パールの目は鋭いまま、感情を押し殺しているのがわかる。
デーネは小さく唇を噛んでいて、肩がほんの少し震えていた。
それでも2人とも足取りは止まらない。
「……君たちは好奇心が旺盛だね」
不意にアル団長が言った。
穏やかな声なのに、背筋がビクリと震えた。
「その年でこれだけの計画を立てて、森の奥まで潜り込む。大したものだよ」
褒め言葉みたいなのに、声の奥に冷たい棘が潜んでいるのを感じた。
誰も返事をしなかった。
下手なことを言えば、その場で命が尽きる気がしたからだ。
アルはそれを面白がるように、肩越しにこちらを振り返り微笑む。
その笑顔は夜の闇よりも冷たかった。
「でもね……優秀な若者ほど、早死にしやすい」
その言葉に心臓が強く跳ねた。
パールの視線が一瞬だけこちらに流れた。
何も言えない。足音だけが、無駄に耳に響いた。
森を抜けると、壁の上の松明が見えた。
夜風が少しだけ冷たくて、息がしやすくなる。
でも、その“自由”の空気の先でアル団長が微笑むのを見て、再び胸が締め付けられた。
「さあ、帰ろう」
その声は優しいのに、僕らの足取りは鉛のように重かった。
⸻
月明かりの下、アル団長の冷たい視線を受けながら歩いていた時だった。
——ヒュッ。
何かが空を裂いた。
気付いた時には、黒い外套の男が僕たちの前に立っていた。顔の半分を覆った布の奥から覗く鋭い瞳。その視線は、まるで僕たちの全てを見透かしているようだった。
「誰だ」
アル団長が即座に剣を抜く。その動きには一切の迷いがない。
しかし男は答えず、一瞬で距離を詰めてきた。
「っ!?」
息を呑む暇もなく、僕の体が宙に浮く。両脇にはパールとデーネ。男は信じられない速さで、僕たち3人を同時に抱え上げた。
「何をする気だッ!」
アル団長が怒号を上げ、剣が光を放つ。
だが男は動きを見切っているかのように軽く身をずらし、枝を蹴って跳躍した。
森の木々が一瞬で流れ去る。風圧が顔を打ち、視界が揺れる。
「……お前、何者だ!」
アルの声が森に響く。
「名乗る必要はない」
低い声が僕の耳元で響いた。
冷たくも穏やかな声。どこか懐かしい響きが胸を刺す。
「3人を離せッ!」
アルの剣が閃き、飛ぶような斬撃が迫る。だが男は片手で枝を掴み、剣の軌道を受け流した。
次の瞬間、目の前にに閃光が走る。地面が弾け、白い煙が一気に森を覆った。
「っ……!」
一瞬にして、視界を失った。
煙の中、謎の男は静かに告げた。
「——時は来た」
短い言葉。意味を測る間もなく、僕たちの体はさらに高く舞い上がる。
木々の梢を越え、月光の下で男の瞳が一瞬だけ輝いた。
パールとデーネの名前を呼ぶアルの声が、煙の向こうで遠ざかる。
世界が音を失った。
木々の影も、冷たい風も、すべてがあっという間に遠のいていく。
「……君たちは、これから大きな波に呑まれる」
布で隠された口元が、わずかに笑ったように見えた。
その声は、不思議と恐怖よりも——懐かしさを伴って胸を締め付けた。
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