第114話:古代の封印陣
夜の寮は、昼間の騒がしさが嘘みたいに静かだった。
廊下を歩くたびに靴音が響いて、まるで「おい、お前たち今コソコソしてるだろ?」って廊下にバレてる気がする。
僕ら3人は部屋に集まって、机の上に広げた地図と持ち物を前に最後の確認をしていた。
「保存食、よし。水袋、よし。薬草と包帯もある」
パールが荷袋を手際よく詰めながら小声で言う。
腰には短刀が2本、きっちり収まっている。パールの準備の早さは信頼できるけど……僕の心臓はその100倍の速度で鳴っていた。
「火打ち石も持ったわ」
デーネが冷静に確認しながら、眼鏡をクイッと上げる。
その横顔はいつも通り落ち着いてるけど、指先はほんの少し震えていた。
——あぁ、そうだよな。怖いよな。僕も怖い。めっちゃ怖い。
でも「やっぱやめよっか」なんて言える雰囲気じゃない。
「……これでいいな」
僕は呟くように言って刀の柄に触れた。
この刀が妙に重く感じるのは気のせいじゃないだろう。
「レグは来ないの?」
パールが声を落として聞く。
僕は少し視線を逸らしてうなずいた。
「来ないみたい」
あの時のレグの目を思い出す。
普段は脳筋ゴリラ代表みたいな顔なのに、あの日だけは何かを押し殺したみたいな真剣な目だった。
……うん。あいつなりに考えてるんだろうな。考えて……るよな? レグだしな?
いや、きっと考えてる。バカなりに。
「レグのことは今はいいでしょ」
デーネが言った。
冷静な声なのに、その一言に少し寂しさが混ざっているのがわかった。
⸻
窓の外には、月明かりに照らされた壁と、規則正しく並ぶ松明の灯り。
普段なら安心するはずなのに、今はまるで牢屋の鉄格子を見上げてるみたいだった。
「……行こう」
僕の声はひどく小さかったけど、パールもデーネも同時に頷いた。
廊下を抜けると、石畳に足音が響く。
静まり返った夜の空気は冷たく、鼻の奥までひやりと刺す。
息を潜めて歩くたび、心臓の鼓動が「バレるバレるバレる!」と叫んでいる気がした。
門番の視線を避け、古びた監視塔の影に滑り込んだ瞬間、ようやく息を吐けた。
「ふぅ……誰にも見られてないよね」
「大丈夫。パールの気配探知があるから」
「任せて」
パールがドヤ顔で胸を張ったが、その額には薄っすら汗がにじんでいた。
——やっぱり怖いよね。だよね。
⸻
壁の向こうに広がるのは、あの北側の森だ。
影の領域の扉も、父さんの足跡も、全部その奥にある。
刀の柄を握りしめ、もう一度仲間の顔を見た。
パールの瞳は鋭く、デーネの目は迷いがなく、2人とも何かを決意してる顔だった。
「よし……行こう」
小さくつぶやくと、街を背にして闇の中へ足を踏み出した。
街全体が僕らを見送ってるみたいに感じるのは……ただの被害妄想であってほしい。
道順はもう頭に焼き付いている。あの紙片に書かれていた4つの単語——草、砂、油、汗。
それは暗号なんかじゃなく、ただの順路のヒントだった。数か月前、僕らはその先に“扉”を見つけた。
⸻
鬱蒼とした草地を抜け、
足を取られる砂丘を渡り、
油を差して錆びついた歯車を動かし、
汗をかきながら重たいハンドルを回して——
再び、僕らはその先に立った。
冷たい空気が肌を刺す。
森の音が遠のき、背後の世界が閉ざされたような錯覚に襲われる。
目の前には、あの日と同じ分厚い鉄の扉。
でも今回は違う。もう迷いはない。
「開けるよ」
僕の声にパールがうなずき、デーネは無言で眼鏡を押し上げた。
扉を押し開くと、世界の色が変わる。
中から吹く風は生ぬるいのに、背筋が凍るような冷たさがあった。
その感覚を、僕は知っている。
——影の領域だ。
足を踏み入れた瞬間、世界の音がすべて消えた。
草のざわめきも、虫の羽音も、背後の森の匂いすらもなくなる。
ここに存在していいのは僕らの呼吸音と足音だけ。
「……やっぱり気味悪い、ここ」
パールが小声で呟く。声が空気に溶けて、すぐに消えた。
僕は刀の柄を握り直す。怖い。怖いけど……進まなきゃ。
足元の床は黒曜石みたいに光沢があった。
視界の端で何かが揺れた気がして振り返るけど、そこには誰もいない。
ただ影が濃くなっただけ。
——いや、違う。誰かいる。
背中に刺さる視線が消えない。
「止まって」
パールの声が静かに響いた。
彼女は目を閉じ、神力を広げて探知している。
でも、眉間に深い皺を刻んで首を振った。
「……何も感じない」
「何も?」
「うん。やっぱり感知が遮断されてる。ここは普通の空間じゃないわ」
その時だった。
床の影が波紋のように揺れて、僕らの前でゆっくりと形を成した。
——来た。
黒い霧を凝縮したような人影。
輪郭は曖昧で、目も口もないのに、そいつは確かに僕らを見ていた。
「……試す影だ」
デーネの声が低くなる。
影は無言で一歩前に出る。
その瞬間、僕の胸に何かが刺さったような痛みが走った。
息が詰まる。
心の奥の奥まで覗かれているような感覚。
隠し事を全部剥ぎ取られて、裸にされるみたいで、背筋が冷える。
——あぁ、やっぱり嫌だ、これ。
でも、逃げちゃダメだ。
父さんが何を残したのか知るためには、ここを越えなきゃ。
影の足元から黒い波が広がる。
床の光沢が液体みたいに揺れて、僕の足首まで闇が浸食してくる。
僕は一歩踏み出した。
怖い。怖いけど、止まれない。
影は一瞬だけ形を歪めて、ゆっくりと退いた。
前方の通路が、まるで道を開けるように闇から浮かび上がる。
「……通してくれた」
パールが呟いた。
彼女も影の前に立ち、躊躇なく進む。
続いてデーネも歩みを進めた。
後ろを振り返ると、闇は完全に閉ざされていた。
もう戻れない。
刀を握り直し、僕は2人の背中を追った。
道の先には何があるんだろう。
怖い。でも……胸の奥のざわめきは「行け」と言っている。
通路は息を呑むほど静かだった。
壁も天井も見えない。ただ黒い石畳の道が、どこまでもまっすぐ続いている。
足音だけが響くけど、その音すらすぐに闇に飲まれて消える。
後ろを振り返っても、闇しかない。
——もう完全に、退路は断たれた。
緊張で手のひらにじっとりと汗がにじむ。
刀を持つ手が少し滑りそうになって、慌てて握り直した。
⸻
「……嫌な感じがする」
パールが小声で言った。
僕も頷いた。
言葉にしなくても、この場の全員がわかっている。
——この先には、何かがいる。
デーネが立ち止まり、眼鏡の奥で目を細める。
「ここ……空気の流れがおかしい」
指先で床をなぞると、微かな光の粒が舞った。
ただの埃じゃない。
——封印の気配だ。
記録庫で読んだ文章が頭をよぎる。「古代の封印は“呼吸する”」と書かれていた。
今、その言葉の意味がわかる気がする。
「ねぇ……聞こえる?」
パールが囁く。
耳を澄ますと、遠くから低い音が響いてきた。
ゴウン……ゴウン……と、巨大な心臓の鼓動みたいな音。
その音に合わせて、床の模様がぼんやりと浮かび上がった。
「封印陣……」
デーネの声は震えていた。
でも、彼女は恐怖を押し殺して一歩前に出る。
その姿を見て僕も息を飲む。
怖いのは同じ。でも、進むしかない。
父さんが見た景色に近づけるのは、今だけだ。
足元の封印陣が脈打つたびに、胸の奥の鼓動も早まる。
息が詰まりそうだ。
あぁ、これ、たぶん誰かが冗談で「命懸けの肝試し」とか言ったら張り倒したくなるやつだな。
でも、笑えない。
この静けさは命を奪う静けさだ。
「ウルス」
パールが僕を見た。
その目は強くて、まっすぐで——僕の背中を押してくれる。
その視線に頷き返して、刀を構えた。
胸のざわめきが叫んでる。
——進め。
——何があっても、ここで止まるな。
その瞬間、封印陣が白く光り、僕らを包むように巨大な光の膜が立ち上がった。
視界が一気に真っ白になる。
息を飲む暇もない。
まるで世界そのものが反転したみたいだった。
光が消えたとき、そこはさっきまでの通路じゃなかった。
天井のない巨大な円形の広場。
無数の石柱が立ち並び、空は真っ黒な天井に変わっている。
蜘蛛の巣のような光の筋が空間全体を縫っていた。
「……ここが、中枢」
デーネの声が震える。
息を呑む音がやけに大きく響く。
——ついに来た。
何かが待っている、この場所に。
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