第113話:それぞれの決断
あれから、1か月が経った。
街は嘘みたいに静かで、何事もなかったかのように時間が過ぎている。
訓練場の掛け声や剣戟の音、魚市場の喧騒、壁の上の見張りの交代の声——全部が日常の風景に戻った。
けど、この平和が本物だなんて、僕にはどうしても思えなかった。
森の中で見たあの背中。
父さん。
その名前を心の中で呼ぶたびに、胸の奥がひやりとする。
僕は父が死んだと思っていた。
でも、生きてた。目の前で剣を振るい、団長たちを圧倒していた。
あの一瞬だけ、僕を見て言った言葉——
「自分で選べ。その時が来る」
その意味を、今も考え続けている。
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あの日以来、団内の空気も少し変わった気がする。
ギウス団長は以前よりさらに険しい顔で訓練場を見回ってるし、ルナーア団長は何かを計算してるように常に無表情だ。
アル団長に至っては……笑っているのに背筋が凍ることが増えた。
会議室の前を通るたび、視線を感じて息を止めるのも日常になった。
「……ねぇウルス、最近あの人、ずっとあんたのこと見てない?」
夕暮れ時、訓練を終えてパールがぼそっと言った。
その声がやけに真剣で、僕は苦笑するしかなかった。
「気のせいじゃないかな」
「そう?だったらいいんだけど」
パールの目が探るみたいに僕を見て、それ以上は何も言わなかった。
デーネもレグも黙ってるけど……多分、みんな同じことを思ってる。
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夜、自室の窓を開けて外を見る。
壁の上の灯りが一定間隔で並び、月明かりが静かに街を照らしている。
——平和なはずなのに、どこか牢獄のように感じるのは、僕の心が騒いでるせいだろうか。
父さんの残した足跡。
影の領域の扉。
記録庫で見た、破られた文書の断片。
全部が頭の中で線を繋いで、胸のざわめきを強くしていく。
1か月経った今も、そのざわめきは消えるどころか、日に日に大きくなっていた。
静けさが、怖い。
魔物の襲撃もないし、外壁の向こうも不気味なほど何もない。
でも、あの夜見た父さんの剣と背中が、僕に「時間がない」と告げている気がした。
心臓の鼓動が耳に響く。
この平和はきっと嵐の前触れだ。
僕は窓枠に肘をつき、夜風を受けながら深呼吸した。
何かを変えるためには、きっとまた動かなきゃいけない。
でも、その“動く”一歩を踏み出せば、今の生活には戻れない。
——怖い。
だけど、それでも行かなくちゃ。
父さんの言葉が、心の奥で何度も何度も繰り返されていた。
よし、決めた。
みんなと話そう。
気がつけば、僕はみんなを寮の屋上に呼び出していた。
昼間の喧騒が嘘みたいに静まり返って、月の光が石畳を青白く照らしている。
「……で、話って何?」
パールが短刀を腰にぶら下げたまま、屋上の手すりに座る。
彼女の目はいつもみたいに茶化したようでいて、探るみたいな鋭さを帯びていた。
こういう時のパールは絶対に冗談を言わない。
「また行きたいんだ。……あそこに」
自分でも驚くくらい小さな声だった。
言った瞬間、胸の奥で鼓動がひとつ大きく響いた。
デーネが小さくため息をつき、膝の上に置いたノートを閉じる。
「予想はしてたわ。……でも、今は監視が強い」
冷静な声。でも彼女の指先は少し震えていた。
パールが手すりから飛び降り、僕の前に立つ。
「理由、ちゃんと聞かせて」
彼女の瞳がまっすぐ僕を射抜く。
隠し事なんてできるわけない。僕は小さくうなずいて、言葉を探した。
「あの夜……父さんは、何かを伝えようとしてた。
あの足跡も、扉も、全部がヒントだと思う。
今行かなきゃ……きっと、手遅れになる」
静寂が屋上を包む。
パールは腕を組んでしばらく黙っていたが、やがて口元をわずかにゆるめた。
「……ほんっとあんた、初めて会った日から変わったよね」
そう言って苦笑したが、その笑みはどこか覚悟を決めた色をしていた。
「わかった。私も行く。ウルスを1人で行かせるわけないでしょ」
デーネも眼鏡を押し上げて言う。
「危険だけど……放っておいたら、逆に何か大きな波が来る気がする。私も行くわ」
彼女の声は震えていたが、目には迷いがなかった。
そして、レグ。
彼は壁に背を預けたまま、いつもより長い沈黙を保った。
「……やめとけ」
その声は低く、押し殺したようだった。
「レグ?」
彼は目を閉じたまま、頭をかいた。
「今は動く時じゃねぇ気がする」
言葉は淡々としていたけど、その奥に何か葛藤があるのはすぐにわかった。
「何かあったのか?」
僕の問いに、レグは視線を逸らしたまま小さく笑った。
「悪い。……でも、今回は見送る」
彼の表情を見て、それ以上追及できなかった。
何かがある。でも今は聞かない方がいい気がした。
パールもデーネも、視線を交わして小さくうなずいた。
静かな夜風が頬を撫でる。
3人の間に沈黙が落ちたけど、その沈黙は不安よりも覚悟に近かった。
僕は改めて刀の柄を握りしめる。
——またあの扉へ行く。
そこに、父さんの真実があるなら。
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夜更けの訓練場裏。
昼間の活気は跡形もなく消え、松明の光だけが石畳をぼんやり照らしている。
僕ら3人はその暗がりにしゃがみ込み、声を潜めて地図を広げていた。
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「……ここが草地の入り口」
デーネが指先で地図の北側をなぞる。
「その先に砂地があって……例の歯車装置を動かせば、扉が開くはず」
彼女の声は冷静そのもので、表情も落ち着いている。
でも、ペンを握る手が僅かに震えているのを僕は見逃さなかった。
「油も持っていかないとね。あの機械、前回はギリギリ動いたけど……今度は動かなかったら笑えないし」
パールが腰のポーチを確認しながら肩をすくめる。
冗談っぽく言ってるけど、声は少し硬い。
「問題はタイミングだな」
僕は腕を組み、壁の方を見た。
「団長たちの視線が厳しいし……門の監視も、今は以前より増えてる」
ルナーア団長もアル団長も、あの日以来、部下の動きに目を光らせてる。
正面突破なんて絶対に無理だ。
「だから、こっちの抜け道を使うの」
デーネが地図の端を指差した。
「古い記録を漁って見つけたわ。寮の倉庫裏に、昔使われてた非常口がある。
今は使われてないけど……多分、まだ外壁の下まで繋がってる」
「多分って……」
僕は思わず苦笑した。
でも、デーネの調べ物の精度を信じてないわけじゃない。
彼女の“多分”は、ほとんど“確実”と同義だ。
「でも……レグ、やっぱり来ないのか」
言った瞬間、空気が少し重くなった。
パールが視線を伏せ、デーネは小さくため息をつく。
「本人がそう言うなら、仕方ないわ」
デーネの声は冷静だけど、瞳には迷いがあった。
パールも腕を組み、短くつぶやく。
「……アイツ、何か隠してる」
僕は何も言えなかった。
レグの顔を思い出す。
僕らを止めるでもなく、送り出すでもなく、ただ複雑な表情をしてた。
——本当は一緒に来たかったんじゃないか?
でも、それを口に出したら何かを壊してしまう気がして、僕はただ拳を握りしめた。
「……よし、決まりね」
パールが顔を上げ、いつもの笑みを浮かべる。
「行くのは明日の夜。監視の交代時間に合わせて。
どうせ団長たちに止められるのはわかってるし、なら黙って行くしかない」
彼女の声は軽いけど、その目は真剣だ。
デーネも地図を丁寧に畳みながら頷いた。
「全員、最低限の荷物だけ持って。撤退も視野に入れるわ」
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僕は夜空を見上げた。
壁の上の灯りが、まるで街を囲む檻のように連なっている。
この平和は牢獄だ。
父さんが残した足跡を追うためには、ここから出るしかない。
「行こう。全部、確かめるために」
言葉にした瞬間、胸のざわめきが少しだけ落ち着いた気がした。
---レグ視点---
——森での戦いから、1か月。
毎日の訓練は、これまで以上に過酷になった。
自分で言うのも何だけど、最近の俺は強い。
いや、正直言えば「強くなりすぎて怖い」くらいだ。
壁の上の見張り兵たちも、俺の名前を聞くだけで一歩引くようになったし、先輩団員たちの目も変わった。
褒められることが増えた。
けど——その分、心の奥の重さも増えた。
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あの日、俺は見た。
ウルスの親父さん——レオン・アークトっていう男の背中。
あれは“強さ”って言葉じゃ片づけられねぇ化け物だった。
アル団長の剣が防がれ、ギウス団長が吹き飛ばされ、ルナーア団長の矢も触れられもしない。
あの人の動きは、人間の限界を越えてた。
でも、怖さよりもワクワクしたんだよな。
俺もいつか、ああなりてぇって。
あの強さを超えたら、何が見えるんだろうって。
バカだな、俺。
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あれから団の評価がガンガン上がった。
「お前は近いうちに昇格だ」「団長候補かもしれんぞ」
そんなことを真面目な顔で言われるたび、胸の奥がざわつく。
俺はただ強くなりたいだけだったのに。
でも、この道を進めば“上”に行ける。
そうすればウルスの親父さんのことだって、全部知れるかもしれない。
だったら今は——仲間に背を向けても、この道を選ぶべきなんじゃないのか?
でもなぁ……ウルスたちの顔を見ると、迷うんだよな。
ウルスはいつも通りの顔してるけど、あいつの目の奥にはずっと火が灯ってる。
パールもデーネも同じだ。
あいつら、何も言わねぇけど絶対動く気だろ。
俺も一緒に行きてぇよ。
バカだからこそ、そういう気持ちは正直なんだ。
でも、もし俺が今ここで一緒に行けば、このチャンスを全部棒に振る。
強さを追う道も、昇格の話も、俺が夢見てきた未来も全部。
……それでいいのか? 本当に?
⸻
「強さってなんだよ」
夜中の訓練場で、一人で素振りしながら何度もつぶやいた。
俺はただ強くなりたいだけだと思ってた。
でも、強さだけじゃ足りない気がする。
あの親父さんの背中には、剣の技術や力だけじゃない“何か”があった。
仲間のためか、何かを守るためか……
ああいう強さは、俺が拳を振り回すだけじゃ一生届かない。
だから、俺は悩む。
今はウルスたちと行動を共にしない方が正しいのかもしれない。
でも、心のどこかで叫んでるんだ。
「お前も行けよ」って。
この選択は間違ってるかもしれない。
俺、頭悪いから分からねぇ。
だからせめて、俺は強くなっておく。それくらいしかできないから。
——あいつらを守れるくらい、バカみたいに強く。
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