表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
118/160

第112話:父の背中

 森は風を失い、まるで息を潜めて僕らを見ているみたいだった。

 レオンが消えた瞬間の静寂は、耳鳴りがするほど重い。

 その沈黙を切り裂いたのは、アル団長の鋭い号令だった。


「追え! 逃すなッ!」


 彼の声は低いのに、全員の胸を貫く迫力があった。

 すぐにギウス団長が大剣を担ぎ直して叫ぶ。


「お前に言われるまでもねぇッ! てめぇ、あいつを捕まえて何を企んでやがる!」

「貴様の脳では理解できん計画だ」


 アルの冷笑が返る。


「テメェ……っ!」


 ギウスの怒りが森の空気をさらに張り詰めさせた。


「止まれ!」


 ルナーアの落ち着いた声が響く。

 馬を操り、2人の間にわずかに距離を作る。


「この状況で味方同士の小競り合いは愚かだ。敵は——あの男だろう」


 眼鏡の奥の瞳は冷え切っていて、一切の感情を見せない。

 ギウスは吐き捨てるように舌打ちし、アルは何も言わず先を急いだ。


 僕は走りながら、その3人の背中を必死に追う。

 パールも後ろで短刀を握りしめ、気配探知を全開にしている。


「……ウルス、前方20メートル先。気配1つ。——速い」

 パールの声が耳に届くたび、心臓がさらに跳ねた。



 足跡は木々の間を縫うように続いている。

 まるで僕らを誘うためにわざと残しているみたいに、踏み固められていた。

 その度に背筋が寒くなる。

 あの人は逃げてるんじゃない。——僕らを呼んでる。


「レオン・アークト……」


 ルナーアが低く呟いた。


「10年前の英雄。国を守った騎士団長。死んだと報告された男。

 まさか……ウルス、お前の父親とはな」

「……っ!」


 心臓が締め付けられた。

 でも反論はできない。

 父の目が、確かに僕を見て名前を呼んだから。

 あの一言は夢でも幻でもない。



 突然、前方で音が弾けた。

 何かが木を薙ぎ倒す轟音。

 アルが動きを止めるより早く、銀色の閃光が視界をかすめた。


「——っ!」


 咄嗟にしゃがむと、僕の頭上を剣が掠めていった。

 レオンだ。

 木の上から飛び降り、地面に静かに着地する。


「遅かったな」


 レオンの声は、冷たい夜風みたいに澄んでいた。

 アルが剣を構え、笑う。


「逃げる気はないらしいな」

「追わせたのは、お前らの“力”を見るためだ」


 次の瞬間、レオンの剣が一閃した。

 誰も目で追えないほどの速度。

 アルが咄嗟に防御し、火花が散った。


「くっ……!」


 アルが一歩下がるのを見たのは初めてだった。


「はっ、面白ぇじゃねぇか!」


 ギウスが大剣を振り下ろす。

 赤黒の神力が炎のように燃え、地面を割った。

 だがレオンは軽やかにそれをかわし、ギウスの背後へと回る。


「遅い」


 その一言と共に、レオンの蹴りがギウスの背を打ち、大剣が地面に叩きつけられた。


「ぐっ……!」


 ギウスの巨体がよろめく。

 ルナーアの矢がその隙を突くが、レオンは指先で弦を払って矢を逸らした。


「馬鹿な……!」


 ルナーアの眉が動く。



 3人の団長がかりでも、レオンには届かない。

 その圧倒的な強さに、背筋がぞわりとした。

 でも——怖いよりも、誇らしい。

 目の前にいるのは、僕の父さんだ。


「ウルス」


 レオンが僕を一度だけ見た。

 戦闘の最中なのに、その瞳は優しい。


「どんな鎖に縛られても、お前は自分で選べ。——その時が来る」


「父さん……!」


 声が震えた。

 でも、彼はもう視線を戻していた。


 アルが剣を構え直し、冷たく笑った。


「捕らえるぞ。ここで終わりだ、レオン・アークト」

「終わるのは、お前らの時代だ」


 次の瞬間、森全体が揺れるほどの衝撃音が響く。

 レオンの神力が爆発し、地面に花のような光の紋が浮かんだ。


「なっ……!」


 アルの身体が吹き飛び、ギウスが大剣を支えに踏ん張る。

 ルナーアは馬ごと後退し、矢を握りしめたまま歯を食いしばる。


「パール、デーネ、レグ……っ!」


 僕は叫ぶ。


「下がれ!」


 レオンの神力は、ただの武器じゃない。

 森そのものを圧迫しているみたいだ。


 でも——僕は目を逸らせなかった。

 あの背中は、僕がずっと知らなかった父親の姿だったから。


------


 森の奥に残されたのは、花びらのような足跡と、切り裂かれた空気の余韻だけだった。

 耳の奥でまだ剣戟の音が鳴っている気がする。足跡を見下ろす僕の視界は、妙に鮮明だった。


 ルナーア団長が静かに眼鏡を押し上げる。


「……やはり、ただ者ではなかったな」


 その声は感情を削ぎ落としたように冷静だけど、瞳の奥には確かに動揺があった。


 アル団長は笑みを浮かべたまま、剣先を地面に突き立てる。


「“レオン・アークト”。昔話の中の亡霊だと思っていたが、生きていたとはな」


 彼の声は低く、静かな熱が混じっている。


「これは……面白いことになってきた。捕らえられれば、国の秩序を揺るがす切り札になる」

「お前は黙ってろ、アル!」


 ギウス団長が声を荒らげる。


「あんな動きをする奴……今のお前じゃ絶対捕まえられねぇ!」

「では、あんたにならできるのか?」


 アルの視線が鋭く光る。

 2人の間に再び殺気が走った。


 僕は刀を握りしめ、足跡から目を離せなかった。

 あの声。あの目。

 記憶の中に眠っていた、父さんの笑顔と重なってしまった瞬間、胸の奥がざわりと揺れる。

 でも信じられない。生きているはずがない。

 そう思うのに、心臓が「違う」と叫んでいる。


 ——父さん。


 名前を口に出したら、何かが壊れてしまいそうで、僕は唇を噛んだ。



 パールが僕の袖を軽くつまんでささやく。


「ウルス……顔色悪いよ」


 その声で少しだけ呼吸を思い出す。


「……大丈夫。たぶん」


 たぶん、なんて言葉を使う時点で全然大丈夫じゃないのに。


 デーネは足跡をじっと見つめ、記録板を取り出して写し取る。


「この足跡、何度も消そうとした痕跡がある……でも完全には消せなかった。彼は、ここで“見せた”のよ」

「見せた?」

「わざと残したの」


 その言葉に、背筋が寒くなる。あの男は、僕らに自分の存在を知らせるためにここに現れたのか?



 ルナーアが鋭い視線をアルに向ける。


「これ以上の追跡は危険だ。奴は明らかに意図的に痕跡を残している。誘っているんだ」

「だからこそ行く価値がある」


 アルは即答した。

 ギウスが舌打ちして地面を蹴る。


「クソッ……相変わらず考え方が狂ってやがる」


 2人の声にルナーアが短くため息をついた。


「お前たちの衝突で部下を巻き込むな。今は退く」

「退けだと?」


 アルが不満げに眉を上げる。


「退け。……今はまだ、駒を並べる段階だ」


 ルナーアの声は静かだが、圧を含んでいた。



 森に静寂が戻る。けれど、僕らの胸の鼓動は収まらない。

 レグが拳を握ったまま口を開く。


「あの人……マジでヤベぇ強さだったな」


 パールは唇を噛んで小さくうなずく。


「でも……悪い気配じゃなかった」

「……そうだな」


 僕は呟く。


 デーネが視線を僕に向けた。その瞳は鋭いけど、どこか迷いがあった。


「ウルス、あなた……あの人、知ってるの?」


 一瞬、心臓が止まったような気がした。


「……わかんない」


 自分でも驚くほど掠れた声だった。

 本当は知ってる。あの目も声も、僕の記憶に刻まれている。

 でも、今はまだそれを言葉にできなかった。



 アルが再び足跡を見下ろし、剣先で軽くなぞった。


「これは“宣戦布告”だ。俺たちに挑んでいる。……あの男、必ず捕らえる」


 その言葉にギウスの顔が険しくなる。


「テメェの欲で動くな。あいつはそんな軽い相手じゃねぇ」

「……見極める。それだけだ」


 アルは微笑を浮かべ、踵を返す。

 森の奥を見据えるその背中は、危ういほど冷たかった。



 その夜、壁内に戻った後も、僕の頭の中はあの声でいっぱいだった。

 レオン。アルやギウスたちが知っていたその名前。

 団長たちの様子からして、彼はただの“影”じゃない。

 ——父さん、あなたは何者なんだ。

 窓の外の闇を見つめながら、刀の柄を握る手が震えていた。


読んでいただきありがとうございました。

面白かった、続きが気になると思ったら評価、ブックマークよろしくお願いします。

筆者がものすごく喜ぶと同時に、作品を作るモチベーションにも繋がります。


次回もよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ