第101話:視察者来訪
王都からの視察が来る——
その告知が出てから街の空気は一気にざわつき始めた。
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当日朝。
内壁沿いの通りには、補給物資を積んだ馬車と兵士の列がひっきりなしに動いていた。
いつもなら「出立の鐘」を聞いてから動き出すはずなのに、今日は違う。
街全体が「何か」を隠そうとするみたいに、せわしなく動いている。
「なあ……これ、どう見ても“準備”じゃないよな」
レグがぼそっと呟く。
「うん。防衛線じゃなく“網”を張ってる」
パールが鋭い目で柵の位置を数えている。
「一昨日の獣の件……王都には『突発的な群れ』って報告したはず」
デーネは冷静に地図を広げ、広場の配置を写し取った。
「それなのに兵の密度をこんなに上げるなんて……“突発”じゃない証拠」
僕は刀の柄に無意識で指をかけていた。
胸の奥が重い。
バングルの内側はまだ昨夜の熱を覚えている。
そんな中、やっぱり出てきたのが——
「赤毛!」
エルナートだ。
相変わらず黒いコートを翻して登場し、妙にカッコつけた笑みを浮かべている。
「……また君たちか。運命は妙だな」
「おはようございます」
僕は一応礼を言うけど、心の声はこうだ。
(何で毎回出てくるのこの人……)
「視察者の到着はもうすぐだ。お前らは警護に回る。——俺が直接指揮を執る」
「マジすか師匠!!」
レグが目を輝かせて叫ぶ。
「……誰が師匠だ」
「俺が師匠って思ってるんだから師匠だ!」
「思うだけなら勝手にしろ」
ため息をつくエルナートの耳がまた赤い。
このやり取り、もはや癒やし枠。
その時、空気が変わった。
城下の大通りから王都の使者の列が現れたのだ。
白い馬車に王家の紋章。旗を持つ兵士たち。
広場のざわめきが一瞬で静まる。
「視察者が到着します!」
号令が飛び、全員が整列する。
僕も背筋を伸ばし、息を飲んだ。
馬車の扉が開く。
現れたのは、黒衣を纏った壮年の男。
王家の紋を胸に付け、整った髭と鋭い目を持つ——いかにも「王都の人間」って雰囲気の人だった。
「……よくやった、アル団長」
低く響く声。その言葉で、あの男の名前を呼ぶ。
アル団長は柔らかな笑みで深く一礼した。
「恐れ入ります、陛下の勅命通り、壁外の防備を強化しております」
……なんでだろう。笑顔なのに、ぞくりとした。
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その後の会議は兵士や団員には聞こえないよう、広場中央の天幕で行われた。
僕らは周囲で警護任務を任されたけど、ただ立ってるだけでも息苦しい。
パールが耳元で囁く。
「……探知に、嫌な気配が混じってる。王都側の護衛、ただの護衛じゃない」
「刺客の気配?」
「いや……逆。“標的”がいる」
その言葉に背筋が冷たくなる。
標的。——誰だ。
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午後、会議が終わる頃には空が曇り、広場の空気はさらに張り詰めていた。
天幕の中から出てきたアル団長は笑顔を崩さないまま、何かの書簡を懐にしまう。
その視線が一瞬だけ僕らの列に向いた。
まるで「お前らのことは見てる」と言いたげに。
デーネが小声で呟いた。
「視察者は……兵器のこと、知ってる。あの刻印も」
「根拠は?」
「……目線。あの人、広場を見てなかった。“何がどこに隠れてるか”を確認する動き」
彼女の声は冷静だけど、瞳が鋭く光っていた。
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夕方。視察者の一行は城へ戻り、広場は片付けられた。
でも、僕の胸のざわつきは増すばかりだった。
誰かが僕らを盤上の駒みたいに動かしてる。
アル団長か。王都の人間か。
それとも、もっと別の“何か”が。
宿舎に戻る途中、壁の上の旗が一度だけ揺れた。
パールが眉をひそめる。
「暗号だ」
デーネは歩きながらさらりとメモを取る。
「『東門外縁・展開開始』。……明日」
「また……行くのか」
レグの拳が自然と鳴った。
「だったらもう準備するだけだろ。やってやる」
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夜。
寝台の上で僕は目を閉じられなかった。
一昨日の戦いで見た刻印が脳裏に焼き付いている。
あれは、誰かの手で作られた兵器。
そして、今日の視察者の視線。
全てがつながっていく気がした。
バングルが微かに熱を返す。
——父さん、見てる?
答えはない。でも、この熱だけは嘘をつかない。
「……明日、何があっても止まらない」
そう呟いた瞬間、窓の外を何かが横切った。
夜の影。人影か、ただの風か。
わからない。ただ、背筋の寒気だけが確かだった。




