第99話:仕組まれた戦い
合同展開訓練当日。
鐘が3度鳴った時、僕ら東軍と西軍の団員が、東門の外広場に集められていた。
見渡す限り、人と馬と荷車の列。補給物資は山のように積まれ、指揮官の声が入り乱れている。普段の演習とは桁違いの規模だ。
「……お祭りかよ」
レグが腕を組み、口角を上げる。
「違うでしょ。ただの“準備”って言ってるけど……」
パールは周囲を鋭く見回す。探知の気配は張り詰めていて、僕も息が浅くなる。
そのとき。
場の中央に立ったのは、金髪を朝日に照らしたアル団長だった。
「皆、ご苦労」
柔らかい笑み。けれど、その瞳の奥は冷たく澄んでいる。
「これは予定より早い展開だ。だが迅速に動けることこそ我らの強み。……心配はいらない」
安心させる声色なのに、不安が増す。
僕は無意識に、腕のバングルへ指を伸ばしていた。
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配属された小隊には、見知った顔があった。
黒いコートを翻し、鼻で笑う金色の瞳。——エルナートだ。
「……やはりな。赤毛、再び巡り会うとは」
わざとらしく顎を上げて言う彼に、僕は返事を詰まらせる。
そんな僕とは対照的に、レグは目を輝かせてエルナートの肩を叩く。
「先輩! 今日から俺、あんたについて行く! 師匠って呼んでもいいか!?」
「……ふん、勝手にしろ」
言いながらも、エルナートの耳が赤いのを僕は見逃さなかった。
すぐに別の団員が声を飛ばす。
「エルナート! 馬車の積荷確認!」
「……承知した」
格好つけた背中は、やっぱり少しだけ小さく見えた。
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出立の号令。
東門が開き、外の空気が流れ込む。砂と草と冷えた風。
遠くの地平線は赤く揺れていて、ただの訓練にしては緊張が強すぎた。
僕は列の中で深く息を吐く。
「吸って、吐いて、3」
青紫の神力が刀の柄へと滲む。
強さはもう足りている。問題は、どう使うかだ。
行軍が始まって一刻ほど経った頃、前方で合図が上がった。
「小規模接触! 森影から魔物!」
兵士たちがざわめく。隊列が整い、僕らも構えた。
見えたのは牙をむく獣。けれど——数がおかしい。訓練で出される“管理された魔物”の群れじゃない。
地面を揺らして現れたその影に、背筋が冷たくなる。
「これ……本当に“訓練”なの?」
デーネが呟く。
その問いに答えるように、アル団長の声が遠くから響いた。
「恐れるな! これを超えてこそ真の力を得る!」
けれど、その声の響きには“守り”より“試す”色が強かった。
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刀を抜く。紫の光が刃に沿って走る。
足裏の砂を感じ、呼吸を合わせる。
来る。
敵は、ただの訓練相手じゃない。
僕らは、知らないうちに“何か”の盤上に立たされている。
バングルの内側が熱くなった。
それは警告のようにも、覚悟を促すようにも感じられた。
獣の群れが地響きを立てて迫ってきた。
ただの演習なら、数体を相手にするだけのはず。だけど、目の前にいるのは10体以上。毛並みは荒れ、瞳は赤く濁り、涎を垂らしながら一直線に突進してくる。
「これ……管理された魔物じゃない!」
デーネの声が震える。
「ウルス!」
パールの探知が一拍早く警告を飛ばす。
僕は反射的に刀を抜いた。紫の光が刃を包み、空気がびりっと震える。
「吸って、吐いて、3」
足裏に青の余白を、腕に紫の強度を——。
最初の1体が飛びかかる。
牙が目の前に迫る瞬間、刃を半月に払った。
紫の光が閃き、獣は砂に崩れ落ちる。
胸の奥に熱が走る。——間に合った。
「はっはっは! 先輩に任せろ!」
横からエルナートの声。黒コートを翻し、金色の瞳を光らせながら前に出る。
その横でレグが大声を上げた。
「いけぇ師匠! 俺も続く!」
「誰が師匠だ!?」
「さっき承諾しただろ!」
「勝手に解釈するな!」
言い合いながらも、2人は妙に呼吸が合っていた。
エルナートが上段から斬り払い、レグが拳で横から叩き込む。
不格好なのに勢いがあり、なぜか敵が倒れていく。
「やっぱ師弟コンビ最強だな!」
「誰がそんなこと言った!」
「俺!」
「……はぁ」
呆れ顔でも、エルナートの頬はわずかに緩んでいた。
一方パールは、敵の気配を先読みして的確に指示を飛ばしていた。
「右! 低いの来る!」
その声に従って身を沈め、僕は刃を突き出す。
紫の光が獣の眉間を貫き、黒い血が砂に散った。
デーネは後方で冷静に仲間の動きを観察し、必要最低限の神力で補助を入れる。
「パール、位置修正2歩左! レグ、正面2秒持たせて!」
その声が、戦場の秩序を保っていた。
息を荒げながら敵を斬り伏せる。
だが——終わらない。
数が多すぎる。まるで、こちらが消耗するのを待っているかのように、群れは次々と影から湧き出してくる。
「おかしい!」僕は叫んだ。
「これ、本当に訓練なのか!?」
遠くから、アル団長の声が響いた。
「恐れるな! これを超えてこそ、お前たちは真の力を得る!」
鼓舞するような声色。だがその響きには、冷たい計算が混ざっていた。
——これは、試されている。
◇
バングルの内側が、熱を帯びる。
紫の刃が揺れ、視界が一瞬だけ広くなる。
仲間の声。獣の咆哮。鉄と血の匂い。
——これは訓練なんかじゃない。
背筋を冷たいものが走った。
誰かが、この戦いを仕組んでいる。
砂煙の向こうから、また群れが現れた。
足音が地面を揺らし、咆哮が耳を突き破る。
——普通じゃない。どれだけ斬っても、次が出てくる。
「数が合わない!」
デーネの声が鋭く響いた。
「最初の報告、5体だったはず! 今ので20は超えてる!」
「報告が甘かったんじゃないのか!?」
レグが拳を振り抜きながら叫ぶ。
「違う!」
デーネは即座に否定した。
「これは……誰かが意図的に放ってる!」
言葉に、僕の背筋が冷たくなる。
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紫の刃を横薙ぎに振り抜く。
骨を断つ感覚。血が飛び散る。
だけど倒れたはずの獣が、呻き声をあげて立ち上がった。
「なっ……!?」
傷口が黒く泡立ち、肉が盛り上がってふさがっていく。
体勢を立て直すと、また牙を剥いて襲いかかってきた。
「再生してる……!?」
パールが声を荒げた。
「普通の魔物じゃねぇ!」
レグが拳で叩き飛ばすが、それでも獣は立ち上がる。
心臓が、嫌な鼓動を打った。
——これは“演習”なんかじゃない。
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「下がれ!」
黒いコートが前に飛び込む。エルナートだ。
金色の瞳が獣を射抜き、剣を逆手に構える。
「見てろ。これが先輩の力だ!」
「おおお! 師匠頼んだ!」
レグが叫ぶ。
「誰が師匠だ!!」
「俺の心がそう言ってる!」
「心に従うな!」
必死のやり取りが戦場の緊張を一瞬だけ揺らす。
だが、エルナートは本当に斬り伏せた。
獣の首を刎ね、紫黒い血が砂を染める。
「ほら見ろ! やっぱり師匠だ!」
「……はぁ、もう好きにしろ」
肩を落としながらも、エルナートの口元はほんの少し緩んでいた。
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群れは止まらない。
次から次へと影から姿を現す。
僕は呼吸を整え、刀を正眼に構えた。
紫の光が刃を覆う。
額の奥が熱を帯び、視界がひとつ広がる。
敵の動きが、輪郭ごと浮き彫りになって見えた。
「ウルス!」
パールの声に合わせて一歩踏み込む。
刃が走り、獣の胸を裂いた。
その瞬間——気づいた。
胸の奥に、金属のかすかな光。
黒い肉の中に埋め込まれた、赤い印章のような“刻印”がちらりと覗いた。
「……っ! これは……!」
獣は呻きながら崩れ、砂に溶けるように消えていった。
残ったのは赤い刻印の破片だけ。
「今の、見た?」
僕の問いに、デーネが頷く。眼鏡の奥の瞳が鋭く光っていた。
「魔物じゃない。——人工的に造られた“兵器”だ」
その言葉に、全員の息が止まった。
遠くで、アル団長の声が再び響く。
「恐れるな! これを超えてみせろ!」
その笑顔の奥に潜む何かが、はっきりと牙を剥いた気がした。
戦場の喧騒の中、僕は強く思った。
——これは偶然なんかじゃない。
誰かが仕組んでいる。僕らを、“試すために”。
バングルの内側が熱を返す。
まるで、答えを知っているかのように。
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砂煙がようやく晴れた。
息を整える音と、血の匂いだけが残っている。
僕らは互いに背中を合わせながら、最後の獣が砂に崩れ落ちるのを見届けた。
赤い刻印の破片は、やはりそこに残っていた。
「……終わった?」
パールが短く息を吐く。
「数は止まった。けど」
デーネは眼鏡の奥で刻印を睨む。
「これは、自然発生じゃない」
レグは血まみれの拳を振り、笑った。
「何でもいい! 勝ったんだろ!」
「そういう問題じゃない」
デーネが鋭く返す。
彼女の声には震えが混じっていた。怒りか、恐怖か——僕には判別できなかった。
僕は刀を下ろし、膝に手をついた。
紫の光が消え、バングルがじり、と熱を残して静まる。
胸の奥で何かがはっきりと告げていた。
——この戦いは仕組まれたものだ。
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「部隊、整列!」
鋭い号令が響き、僕らは振り返った。
アル団長が、砂の中に凛と立っていた。
金髪が朝日に照らされ、その笑みはいつも通り柔らかい。
「よくやった。想定を超える数だったが、君たちは乗り越えた。これでまたひとつ、平和に近づいた」
拍手が起こる。兵士たちの顔に安堵が広がる。
でも、僕にはその言葉が胸に突き刺さらなかった。
むしろ逆だ。——なぜ“想定を超える数”がいたことを、当たり前のように言える?
パールが小声で呟く。
「笑ってるのに……目が、笑ってない」
僕は黙って頷いた。
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任務を終えた僕らは、傷の手当てを受け、夕暮れの帰還列に並んだ。
デーネは記録板を閉じ、ぽつりとつぶやく。
「刻印は……古代の符号体系に似ていた。少なくとも、自然界のものじゃない」
「誰が……やったんだと思う?」
デーネは答えなかった。ただ、唇を強く噛んだ。
「ま、難しいことは後でな!」
レグが豪快に笑う。
「今はメシだ! 俺は肉! 絶対肉!」
「魚の日だって言ったでしょ」
パールがすぐに返す。
「なら2人で魚を肉に変えてやる!」
「意味不明!」
笑い声が列に溶けていく。
でも僕の胸の中の重さは消えなかった。
視線を遠くにやると、外壁の向こうに沈む夕日が赤く燃えていた。
まるで何かを知らせるように。
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一方その頃。
西軍本部の会議室には、アル団長の姿があった。
机の上には戦闘記録と、赤い刻印の破片。
「上出来だ」
低くつぶやき、口元を歪める。
「数を超えても、彼らは倒した。やはり“使える”」
扉の向こうから副官の声が届く。
「団長、報告はどうされますか?」
「簡単でいい。“突発的な魔物の群れ”。それで十分だ」
アルは破片を手に取り、光にかざす。
「真実を知る必要はない。少なくとも——今は」
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北軍の執務室。
ルナーア団長は報告書を閉じ、目を細めた。
「数が多すぎる。……これは偶然じゃない」
傍らにいたデーネの母は静かに頷いた。
「ならば、ますます娘を退かせなければなりませんね」
ルナーアの瞳が決意に光る。
「アルを止める。その時が近づいている」
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東軍の屋上。
ギウス団長は酒瓶を片手に、街を見下ろしていた。
「やっぱり……臭えな」
低く吐き捨てるように呟き、酒をあおる。
「何かが動いてやがる。だが証拠がねえ。……ったく、面倒な時代になったもんだ」
彼の赤黒の神力が、夜風に淡く揺れていた。
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その夜。
寮の窓から外を眺めた僕は、決意を固めていた。
真実を掴むまで、止まらない。
仲間と一緒に、この先の影を越える。
バングルがまた、熱を返した。
まるで「そうだ」と答えるように。




