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4. 帰路

 私は文句を言いながら、ずんずんと飲み屋街を通り抜けていった。


「本当に信じられない! あの人たち、私のこと子供扱いだし、あんなところでくだをまいてるってことは、どうせみんな幽霊なんでしょう? 家にも帰ってないんでしょう? どうせ帰るところなんてないんじゃないの? ねえ、おじいちゃんどう思う?」

 おじいちゃんは困ったような、嬉しそうな顔をして頭をポリポリ掻いた。


「まあ、そう言ってやんな。人にはいろいろあるんだよ」

「ハイハイ。大人の事情ってやつですか。すいませんねぇ、子供なんで全然わかんなくって」


 空気読むのはおっさんたちより全然うまいんですけどね。



  「秀雄さん、こんなところでどうしたんだ? そんなべっぴんなお嬢ちゃんに手を引っ張られてさ。浮気かい? いけねえなあ」

「いや、違えんだ、こいつは孫だよ」

 ――ぐい。


「秀雄さん、そんなに急いでどこに行くのォ? 私たちと一緒に飲みましょうよォ」

「いや、そうしたいんだけどよ、オレちょっと家に帰んなきゃなんなくてよ」

 ――ぐいぐい。


「秀雄さん! いい焼酎が手に入ったんだ! 一杯飲んでいかないか?」

「いい焼酎? あ、なんだこれ、幻の焼酎じゃねえか! こいつを水割りにするとうめえんだよなあ。そうかい。一杯、一杯だけな」

 ――ぐいぐいぐい。


 道すがらおじいちゃんは、いろいろなところで声をかけられる。

 その都度、おじいちゃんは律儀に立ち止まっては返事をするものだから、全然前に進まない。

 私は無言でおじいちゃんの手を引っ張り続けた。


 こういう優柔不断なところがあるっていうのは、おばあちゃんからよく聞いていたけど。

 それはまぁ、あのシャキシャキのおばあちゃんと、この優柔不断なおじいちゃんじゃ、喧嘩も絶えなかったはずだわ。


 ◆◇◆◇


  何とかホームまでおじいちゃんを引っ張って行くと、ちょうどよく電車が止まっていた。

 これもさっき乗っていたのと同じ、各停電車だ。乗客はほとんどいない。

 私はきょろきょろと辺りを見渡しておじいちゃんを席に座らせると、その隣にドスンと腰を下ろした。


 なんか疲れたわ。


 すぐに電車の発車の合図が聞こえて、ドアがゆっくりと閉まった。


 ガタンと電車が揺れて、ゆっくりと出発した。

 沈黙が続く。


 そういえば私、おじいちゃんとまともに会話したことなんてあったっけ?

 私が覚えていないだけかもしれないけど……

 私にとっておじいちゃんの思い出は、おじいちゃんと一緒に何かをしたというよりも、おばあちゃんと、それから時々お母さんから聞かされる、文句とも愚痴とも言えない、あれやこれやだもんなあ。



「……あそこは何なの?」

「あそこ?」

「だから、今おじいちゃんが飲んだくれてたあそこ」

「あぁ、あそこはな、飲み屋街だ」

「それはなんとなくわかる。いっぱい人がいたじゃん、あれみんな幽霊なの?」

「そうだな」


 しばらく待ってみても続きの言葉はなかった。私はさらに押してみた。

「幽霊ならみんな家に帰ればいいじゃん。今お盆だよ。なんだあんなところでぐだぐだ酔っ払ってるわけ?」

「それはなぁ」おじいちゃんがため息をついた。


 帰りたくても帰る場所がない魂はたくさんある。物理的に家がない場合もあるし、二度と来てくれるなと家人から拒否されることもある。

 家自体は残っていても、家族は散り散りになっている場合もある。


 そんな彷徨さまよえる魂を迎え入れる場所として、各地にああいった集合場所が期間限定でできるのだそうだ。



 大人の酒好きには飲み屋街が。

 子供にはおもちゃ屋さんやお菓子屋さんが。



 いくらあの世に行ったからといって、すぐにこの世の未練を立ち切れるわけではない。

 帰る場所がないからといって、この世に未練がないわけでもない。

 だから、お盆の間、ほんのひと時だけこの世を味わって、またあの世へ帰っていくのだそうだ。


「そうなんだ」

 死んだ後のことなんて、先のことすぎて実感が湧かない。


 カタンカタンと電車が揺れる音がする。

 各停電車は冷房が強めに入っているから、汗が引くと心地がよい。



 ぼうっとする私の隣でそわそわしていたおじいちゃんが話しかけてきた。


「その。なんだ、ばあさんと、お前の母さんは元気か?」

「おばあちゃんは全然元気じゃないよ。お母さんは普通かな?」

「なんだ、ばあさんどこか具合が悪いのか」

「うん。いつも腰が痛いとか膝が痛いとか手が痛いとか肩が痛いとか頭が痛いとか。なんか色々言ってる」

「なんだよ、元気じゃねえか」

「ええ。だって体が痛いんだよ? それって普通じゃなくない?」

「年取ってきたらな、体のどっかはだいたい痛いもんなんだよ。お前も年をとればわかる」


 え、そうなの?

 体のどこかが常に痛いってやばくない?

 大人はそんなんで生きてるの?

 本っ当、年取りたくない。



「ああ、お前の母さんはどうだ?」

「お母さんは別に普通だよ。お父さんは相変わらず家に帰って来ないけど」


 お母さんは、お父さんは仕事が忙しいとか、出張に行ってるとか言うけど、もうそんなんでごまかされるような年じゃない。

 浮気しているのも、その女の家に入り浸ってるのも知ってる。

 まあ、別にお父さんなんて家にいなくても困ることはないけど。


 おじいちゃんはちっと舌打ちして「あの糞抜け野郎が」と悪態をついている。


 話を聞く限りじゃ、おじいちゃんだってどっこいどっこいだとは思うけど。


 とはさすがに口に出しては言わない。


「で、律子、お前はどうなんだ? もうお勤めしてるのか」

「まだ働いてないよ。私は今、就活生」

「シュウカツセイってなんだ?」

「就職活動をしている学生のこと。私来年から働かなきゃいけないから、いろいろ大変なんだよね。面接とか面接とか面接とか」


 ああ、また一気に現実に引き戻された。



『あなたの強みは何ですか?』

  それ、逆にこっちが知りたい。


 てか、たかだか学生の強みなんて、社会に出たらなんの役にも立たなくない?

 なんて答えさせたいんだろうね?


『なんでもはいはいって言うこと聞きます』とか『一年で辞めるとか言いません』とか? どうせ聞く方も飽きているのに、なんなんだ? この茶番は?


 ……と思いつつも、これが茶番だと知りつつ、そのプレイを演じられる人間を求めているんだなあっていうことくらいはわかるんだけど。



 ああ、本当に大人って面倒くさい。


 子供はわがままだって大人は口を揃えて言うけど、大人だって充分わがままだと思う。


『こういうのは嫌』

『こういう風にしてほしい』

『そういうときはさ、こういう風に行動してくれないと。ね、言わなくても分かるでしょ?』


 大学でも、バイト先でも、親戚の集まりでも、なんだったら自分が客の立場でも。

『若者だったら』『女だったら』『大学生だったら』『就活生だったら』こうしてよって、いろんなところで求められる。


 最終的に出てくるのは『子供なんだから』『もう子供じゃないんだから』

 それさえ言っておけば、子供は大人の言う通りに動くと思っている。


 おもちゃを欲しがって駄々をこねる子供と何が違うんだろうねって私は時々思うんだけど。



 イライラしながら電車に揺られること、どれくらいか。

 ようやく最寄り駅に到着して、私は席を立った。


 おじいちゃんは呆けた顔をして座ったままでいる。


「おじいちゃん何してるの? 早く降りるよ」

「そうだな」


 よっこらせっと立ち上がったおじいちゃんは、ホームに足を踏み入れた途端に、また止まってしまった。


「ここもだいぶ変わっちまったなあ」


 そういえば、と私はICカードを取り出しながら思った。おじいちゃん、カードも切符も持ってないけど、駅員さんにどう説明すればいいんだろう?


 周りを見ても駅員さんは見当たらない。ここでわざわざ駅員さんを探し求めて、一から事情を説明するのもめんどくさい。


「おじいちゃん、よく聞いて。この先の改札口を通り抜けるから、私にぴったりくっついてきて、離れないで。で、私がピッてやったら、すぐに一緒に出て。ね、分かった?」

「お、おう」


 駅員さんどころか乗客も人っ子一人いない。私はおじいちゃんに目配せすると、ICカードをピッとした。すぐにゲートが開く。私はいつものようにそこをすり抜けた。

 後ろを振り向くと、おじいちゃんが改札ゲートの前でうろうろしている。


「おじいちゃん、何やってるの? 早くこっち来てってば」

 私は小声でそう言うと、手でおいでおいでをする。

「そうは言ってもよ、なんだこの機械は?」

「何言ってんの? おじいちゃん。おじいちゃんが生きていた時代から駅の改札はこんなだったじゃん」


 そう言い切ってはみたものの、果たしてどうだったか?

 いや、私が物心つく時にはこれだった気がするんだけど……


「おじいちゃん、魂なんでしょう? なんかこう、ふわっと飛べたりしないの?」

「無茶言うんじゃねえよ。オレは今こうして地に足をつけて立ってるじゃねえか。そんなに簡単に飛べるわけはねえだろうが」


 それはそうか。


「じゃあもう、跨いじゃいなよ。大丈夫。別に電流がビリビリするとかじゃないから」

「そうそうか」

 おじいちゃんはおっかなびっくりゲートを跨ごうとしたが、足が上がらず、結局這いつくばって出てきた。

 私は思わず笑ってしまった。声が大きくならないように手で口に蓋をする。


「いつまでも笑ってんじゃねえぞ。行くぞ」

 今度はおじいちゃんが私の手を引っ張って歩き出す。が、反対方向に進み始めた。



「もしかしておじいちゃん、ここ、久しぶりなんでしょ?」

「……ああ……その、なんだ」

 おじいちゃんはなんとも歯切れが悪い。


「てか、もしかして一度も帰ってきてなかったりする?」

 おじいちゃんはあー、とか、うー、とか声にならない声を出している。


「信じらんない! 私、おばあちゃんと一緒に毎年迎え火やってたのに! お盆の時期なんてクソ暑いんだからね!」

「おまえよお、オンナが『クソ』はねえだろ」

「おじいちゃんが、私に、道徳を説くんですか? ねえ、おじいちゃんが?」

 私は一言一言、噛み砕いて、おじいちゃんに言った。ついでにおじいちゃんの顔を睨みつける。


 おじいちゃんは悲しそうな顔をして目を逸らした。

 少しだけ罪悪感が湧いてくる。

 でも、とも思った。この勢いで家まで引っ張っていこう。今なら言うこと聞いてくれる気がする。


「とにかく私についてきて」

 私はおじいちゃんの手を振り解くと、冷たく言い放って一人で歩きだした。


 角を曲がるときにチラリと後ろを確認すると、おじいちゃんの姿が見えて私はほっとした。


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