3. おじいちゃん発見
私が小さい頃に亡くなったおじいちゃん。
もうほとんど顔も覚えてなくて、画質の悪い遺影を時々見るくらいだったけど。
記憶に刻まれているのか、思わず言葉がこぼれ出ていた。
「嘘でしょ。おじいちゃん、こんなところで何してるの?」
「和子こそこんなところで何してるんだ? 死んだのか?」
「何、縁起でもないこと言ってんの、おじいちゃん、普通に生きてるよ。てか和子はお母さん。私は律子。おじいちゃんの孫だよ」
「おう、そうか。元気が一番だな」
微妙に会話が噛み合っていない気がするのは気のせいか。
私はおじいちゃんに近づいた。
怖いとは全然思わなかった。懐かしさが込み上げてくる。と同時に感じたのは、ざらついた感情。
芋づる式におじいちゃんのことを思い出してきて、ああ、だから若干イラっとするんだと頭の片隅で納得した。
我が家はおじいちゃんのせいで、いろいろゴタゴタしていたらしい。それはもう、おばあちゃんが未だに文句を言うほど、ゴタゴタと。
おばあちゃんが必ず言う文句のナンバーワンは、おじいちゃんの酒癖の悪さだ。
おじいちゃんは普段は怒ることもない、どちらかと言うと気弱な性格。でも一旦お酒を飲み出すと豹変する。
初めはおとなしく飲んでいる。でも、だんだんと言葉が荒くなり、声が大きくなり、怒鳴り始める。途中でおばあちゃんが止めようとしても聞かない。手を挙げそうになることもあったそうだ。
小さい頃のお母さんは、よくそんなおじいちゃんを見て泣いていたらしい。
おかげで我が家はアルコール類は一切禁止。
調理用の日本酒もないという徹底ぶりだ。
私の小さい頃はみりんはかろうじてあったらしいが、お酒がないことに切れたおじいちゃんが、みりんをお湯で割って飲んでいた。それを小さかった頃の私が、ジュースと勘違いして飲んでしまった……ということがあったらしい。
目を回して仰向けになる私を発見したおばあちゃんは、包丁を振り回しておじいちゃんを追いかけたらしい。今でも近所で思い出したように話題にのぼる。
「何やってんのおじいちゃん?」
「律子か。大きくなったな。オレが生きてた時はこんなに小さかったのによ」
おじいちゃんは自分の膝より下に手を下げて笑った。
「さすがにそんなに小さくなかったよ。それじゃ赤ちゃんだし。近所に一人でお使いに行けるくらいには大きくなってたよ」
「そうだったっけかな」
おじいちゃんはビールグラスが空になっていたことに気づいて、隣にあった焼酎の梅干し割りをぐいっと飲み干した。
「で、こんなところで何やってるのって聞いてるの。今、お盆だよ? 家に帰ってきなよ。なんでこんなところでフラフラしてるの」
「お前、口調がばあさんにそっくりになってきたな」
「誤魔化さないで。またお酒いっぱい飲んで。おばあちゃんに怒られるよ」
「そういうお前も酔っ払ってんじゃねーか」
「確かに」
私はへらっと笑った。
そもそも素面だったら、亡くなったおじいちゃんとこんなに平然と話ができるわけがない。
酔っ払い特有の空気の読めなさで、私はかなり不躾な質問をした。
「おじいちゃん、幽霊なの?」
「幽霊っつーか、まあそうだな。生きている人間にとっちゃ、オレらは幽霊みたいなもんだな」
「なにそれはっきりしてよ。幽霊なの、幽霊じゃないの?」
「じゃあ幽霊だ」
「分かった、幽霊ね」
とりあえずどうしたらいいんだ? ええと、とりあえず……わかった。
「おじいちゃん、家に帰ろう」
だんだん頭がズキズキしてきたし。
おじいちゃんの隣に座ってるおじさんがずっとタバコをふかしているから、髪の毛が臭い。肌も汗でべとべとしてるし、早く家に帰ってシャワーを浴びたい。
ここは空気も悪いし、とりあえず家に帰って、お母さんとおばあちゃんに相談すればいい。
考えることを後に丸投げした私は、「おじいちゃん家帰るよ」とおじいちゃんの服の袖を引っ張った。
おじいちゃんの服が掴めることにちょっとびっくりする。
おじいちゃんは、半袖のポロシャツにスラックスみたいなのを着ている。上下ともベージュというなんとも微妙なコーディネートだ。
ベルトと革靴は黒色だから、一応おじいちゃんなりに統一感を出そうとしているのかもしれない。
おじいちゃんはなかなか席から動こうとしない。
「おじいちゃん、早く」
だんだん焦れてきた私は、おじいちゃんの肩を掴んで揺すった。
「でもなあ。オレは今更、家になんて帰れねえよ。ばあさん、怒ってんだろう? お前の母さんだってオレのこと見たら、白い目で見るに違いねえんだ」
「それは怒るに決まってんじゃん。お盆なのに、こんなところに寄り道して家に帰ってこないんて、普通怒るよ。むしろこれで両手を広げて涙の再会! みたいになったら、その方がおばあちゃんどうしたの? っていう風にならない?」
「そいつは違いねえな」
おじいちゃんは肩の力が抜けたのか、小さく笑みをこぼした。
「ほらおじいちゃん。こういうのは勢いが大切なんだよ。はい、立ち上がる。で、足を前に出す。あとは私が引っ張ってってあげるから。おじいちゃんはただ前を向いて足を動かせばいいの。分かった?」
「なんとも頼もしいお孫さんだね。俺んとこも誰か迎えに来てくれねえかな」
隣に座ってたおじさんがスンと鼻を吸った。
「そりゃおめえ、ちょっと調子が良すぎるんじゃねえか? 女作って奥さんのことを置き去りにしたのによ」
なかなか厳しいツッコミがテーブルの向かい側から聞こえてきた。
「あん時はもう本当に俺はどうかしちまってたんだよ。商売女の言うことを真に受けるんじゃなかった。おかげで全財産絞り取られて、用済みになったら紙クズみたいにポイよ。……家に帰ったらあいつも家を出ててな。それから逢えず仕舞いってやつよ」
「……おじさん、奥さん出てっちゃったの?」
私はドン引きしながら思わず聞いた。
「ああ、子供たち連れてな、田舎の実家に帰ってったんだ。息子も娘もまだ小さくてな。それから一度も会ってない 」
「居場所が分かってるんだったら、会いに行けばよかったじゃん。おじさんの都合で家を出て、奥さんも子どもたちもすごく苦労したと思うよ。それなのに、こんなところでグタグタお酒飲んでるなんて、本当、おじさんってよくわかんない」
私は奥さんと子供たちが可哀想で、棘のある言い方をした。
一瞬、テーブルがシンとなる。
それから、ほうぼうから、やいのやいのと囃し立てる声が沸き上がった。
「このお嬢ちゃんの言うことはまっとうな正論だ。汚い大人はぐうの音も出やしない」
「そうだよな。こいつが悪い。完全にこいつが悪い」
「こいつも悪いし、俺らみんなも悪い。なんだかんだ理由をつけて、こんなところで管を巻いてるんだからなあ……」
しんみりとした雰囲気で、卓を囲んでいる人たちがうんうんと頷いている。
どうしよう。あんなに楽しく飲んでたのに、私が完全にしらけさせちゃった。
別に楽しい気分をぶち壊そうとしたわけじゃないんだけど、どうしよう……
私はおじいちゃんの顔を見た。
おじいちゃんは私の頭の上に手を当てると、すっと立ち上がった。そのままきゅっと私の肩を抱きしめた。おじいちゃんの体は、普通に温かくて、人間の体って感じがして、それが嬉しかった。
「こんなまっすぐな言葉を誰かにかけれたのはどれくらいぶりだろうね。お嬢ちゃん、そのまま真っ直ぐ生きるんだよ」
泣き事を言っていたおじさんが、まぶしそうに目を細めながら私を見た。
褒められてるのかな? 注意されてるのかな?
私には判断がつかなかった。
テーブルの奥側に座っていたヒゲモジャのおじさんが苦笑いした。
「子供はまっすぐだ。良いことは良い。悪いことは悪い。境界線がはっきりしているからな。いろいろ曖昧にすることを覚えちまった俺ら大人には、いささか耳が痛いんだよ。お嬢ちゃんもきっと大人になったら分かるよ」
私はちょっとむっとした。
そりゃ、ここにいる人たちよりは子供かもしれないけど、私だって大学四年生だ。別に小学生みたいに、赤信号で渡るのは悪いこと! なんて言っているわけではない。
彼氏に浮気されたこともあるし、友達に陰で悪口を言われたこともある。そういうのを泣きながら消化して、今の私があるわけなんだから。
私だって、もう立派な大人なんですけど。
私がふてくされた顔をしたからか、周りの人たちがどっと笑い出した。
「いや、本当にまぶしいね。俺らにもあんな時があったんだろうなあ」
「私だって純情な乙女だった時があるのよね」
「トメさんは昔から男を手玉に取っていたじゃないか」
「齢も十でご奉公に出されたら、苦労だってするわよ。でも私にだって恋に恋するお年頃があったのだから。ああ、初恋の吉彦さんはどうしているかしら?」
「死んでるに決まってるだろう。お前さん、自分のこといくつだと思ってるんだよ?」
「いけずな男ね。女にとって初恋は一生ものなのよ」
むかむかむかむかむか。
この人たち、私を酒の肴に楽しんでる。私は動物園のパンダじゃないっていうの!
「おじいちゃん、もう早く! 行くよ」
私は有無を言わせぬ力でおじいちゃんの手を引っ張った。
「そうだよ、秀雄さん。こんなところにいつまでも若いお嬢さんがいちゃいけない。早く家に帰んな」
昭和の時代のバーのママさんみたいな人が、しっしっと手で私たちを追い払う仕草をした。