2. 飲み屋駅
◆◇◆◇
「ふぁー。ねっむ」
私は口を大きく開けてあくびをした。
回らない頭では、口元を覆い隠すなんて女子力の高いことをする気にもなれない。
終電ぎりぎりに滑り込んだのは各停電車だった。大学の友達と「暑気払いでも」と開いた飲み会は大いに盛り上がった。
二次会からカラオケへと会が進むごとに、酒の量は増えていった。どれだけ飲んだかはもう覚えていない。
乾杯のビールからカクテル、それからチューハイ、デザートっぽいリキュール。
ちゃんぽんするのは良くないと年上の人はしたり顔で言うけれど、ずっと同じものばかり飲んでいたら飽きてしまう。
そして気がついたら、終電まであと数分というところに迫っていたのだ。
私は駅までダッシュした。
大学四年生。就活や卒論のためにバイトの量も減らしている。つまり、自由になるお金が少ないのだ。飲み会でずいぶん奮発してしまったから、漫画喫茶で夜を明かすなどという選択はできない。タクシーに乗るなんてもってのほかだ。
たぽんたぽんのお腹を抱えてダッシュで走ったおかげで、どうにか電車には間に合ったけど、走ったせいで酔いがさらに回った。なので今はこうして、うつろな目をしながらゆっくり走る電車の窓の外をぼーっと眺めている次第である。
家に着いたらお母さんに遅いって怒られるかなあ。
まあ多分、もう寝てるからいいか。
小言は明日頂戴しよう。
それにしても、各停電車は進むのが遅い。
でもここで眠っちゃって、駅を降り過ごしたら徒歩で帰るしかない。眠らないようにしよう。
そう思いつつ、どんどん重くなってくるまぶたを必死で開こうと目に力を入れる。
でももうマジ限界。
――ガンッ
「いったっ!」
ぐらぐらと揺れる頭を鉄のポールにしたたかにぶつけた。
私は涙目でおでこを押さえた。
「次は飲み屋駅ー。飲み屋駅ー 」
やる気のないアナウンスが流れて、電車はゆっくりとスピードを落とし、やがて止まった。
一瞬かたんという音がしてドアが開くと、ちょうどドアの前に駅名が書いてある看板が見えた。
それを何気なく見ると、そこに書いてあったのは『飲み屋駅』だった。
いつもは面白みのない白い看板だが、なぜか今日はビールジョッキの絵が描いてある。
ここは、野三谷駅だ。
……そのはずだ。
え、そうだよね?
それがどういうわけか、『飲み屋駅』になっている。
『お盆の期間限定!』と書かれたその看板に思わず吹き出す。酔っ払った頭で「なにこれウケる」とふらふらとホームに降りた。
いつも降りる事のないその駅は、普通電車しか止まらない小さな駅。
なんでも、ホームが小さすぎるから車両の長い電車は止まらないらしい。だから特急電車は止まらないという悲しい弱小駅だ。
駅前は寂れていて、いつもは日が落ちれば街灯すらほとんどついていない所のはずだ。
でも今夜はホームの右端が妙に明るい。いつもなら線路とその先に続くトンネルがあるはずのそこには、赤ちょうちんがずらりと並んでいる。
目を凝らすと、屋台のようなものも並んでいるではないか。
「へー。こんな大がかかりイベントするんだ。地域活性化ってやつ? 頑張ってるね」
ほてった頬をさまそうと、私はふらふらと赤ちょうちんの方へ歩きだした。
駅員さんはいない。降りる人なんてほとんどいないから、無人駅になっているのかもしれない。
近づくにつれてガヤガヤと聞こえてくるのは、人の話し声だった。
お酒の匂いと、タバコの匂いと、焼き鳥の匂いと、イカの焼ける匂いがごちゃ混ぜになって漂ってきた。
「ぐぅぅぅ」
……お腹が鳴った。
おかしい。あんなにいっぱい食べたのに。デザートだって食べたのに。自分の底抜けの食欲が怖い。でも仕方ないじゃん。まだ育ちざかりだし、卒論とか就活とかストレスもいろいろ溜まっている。
「駅っていうより完全に飲み屋街だね」
匂いに釣られるように私は先に進んでいった。
道の両端に屋台がずらりと並んでいる。まるでお祭りの縁日のようだ。
この先に神社でもあるのかな?
でも煙がもくもくしていて、先まで見通すことは出来ない。
屋台の店主たちが威勢よく呼び込みをしている。
「らっしゃい、らっしゃい、ビールはいかが?」
「焼きたての広島風お好み焼きだよ!」
「りんご飴に冷え冷えのパインはいかが?」
「こっちはジャガバタだよー! バターたっぷり、カロリーましまし。思いっきり食べとくれ!」
客も多い。
おじさん、おばさん、若い人、いろいろいるが、何かがちぐはぐな印象だ。
服装がバラバラ。コスプレなんじゃないかというような大正ロマンっぽい人とか、着物の人とか、ジーパンTシャツの人とか、スーツの人とか。
みんな楽しそうに、ご機嫌に酔っ払っている。
肩を組んで聞いたことのない歌を歌っている、頭にネクタイを縛ったサラリーマンたち。
麻雀をしながらタバコを吹かしているおじいちゃんたち。
胸がギリギリまで露出したペラペラのドレスを着ているお姉さんたちは、シャンパンボトルを一気飲みしてる。
私と同い年くらいの女の子(でも着てるのは着物)とガタイのいいお兄さんは、飲み比べをしている。
ふと、その女の子と目が合うと、勝気そうな目をした女の子は、笑って手を振ってくれた。私も振り返す。
女の子は、「よっしゃ! もう一丁、勝負!」と袖まくりをしてまた勝負に戻っていった。
いろいろなところで声をかけられた。
「お嬢ちゃん、一杯飲んできなよ」
飲みたいのは山々だが、先立つものがない。
「若い子は焼酎なんて飲まないんだよ。カクテルあるよ!」
いや、梅酎ハイとか好きです。カクテルも好き。
「焼きそば食ってってよ。自慢のソースだよ!」
確かにシメの時間だわ。シメといえば炭水化物。
や、ちょっとほんとにお腹すいた。
「ギャハハハハハ!」
ひときわ大声で騒いでいる集団が見えた。パイプ椅子に座っている人たちは十人ほど。テーブルの上には餃子、きゅうりのおしんこ、焼き鳥に焼きいかなど、所狭しと料理が置いてある。
その内の手前の一人が「まあまあ一杯飲みましょうよ。ささ、ググッと」と瓶ビールを持ち上げて、向かいに座るおじいさんにお酌をしている。
おじさんたちって、なんでこんなに騒がしいんだろう?
集団で馬鹿みたいに騒いで、店の前でグダグダして。しまいにはべロべロに酔って路上で寝たり、家で暴れたり。まったくこっちの迷惑考えて欲しいもんだね。
……というのは、おばあちゃんの口癖だ。
我が家に酔っ払いの人権はない。
何がおかしいのか、おじさんたちの集団は、親父ギャグを飛ばしては一斉に笑っている。みんな顔が真っ赤だ。
まあ、楽しそうなのはいいんだけどさ。
私だっておばあちゃんほど酔っ払いのことは毛嫌いしていないけど、自分から近づきたいという思うほど物好きでもない。
電車の中で缶チューハイを持って眠りこけてるおじさんとか、ほんと白い目で見るしかない。
「まあまあ、ひでおさんも一杯、グイッといっちゃってさ」
「いやでもな、オレはそろそろ帰らなきゃならねえのよ。ばあさんが待ってるからな」
「まあまあ、一杯くらいさ、飲んでいってもいいんじゃないの? ちょっとくらい遅れてもさ、せっかくなんだし。とりあえず、そいつをくいっと一杯飲みほしてさ、それから帰ればいいじゃないか 」
「そうか……そうだよな。ばあさん怒ってるかもしんないしな。……じゃあ景気づけに、あと一杯だけな」
そう言って、『ひでお』と呼ばれたそのおじいさんは、グラスに半分ほど入っていたビールを飲み干すと、また並々とビールを注いでもらっている。
それを嬉しそうに受け取ると、「こぼれちまうだろうが」と言いながら飲んでいる。
これ、エンドレスコースだろうな。
『ひでお』は、うちのおじいちゃんと同じ名前だ。うちのおじいちゃんもあんな感じだったんだろうなあ。思わず苦笑いが溢れた。
私の笑い声が聞こえたのか、『ひでお』さんと目が合った。ビールグラスを中途半端な位置で止めて、口をぽかんと開けている。
思わず私も固まった。
夜中にトイレに起きて電気を付けると、カサカサと動いていた蜘蛛が止まるような感じ。気配を感じるのか、それとも視線を感じるのか。
そのまましばらくお互いを見つめ合う。
「……おじいちゃん?」