第九話
とりあえず落ち着いて話そうと、俺とリリーの魔法で散らかった部屋を簡単に片付けた。そうしてまた向かい合ってソファに座っているのだが、俺の向かいにはリリー……と、彼女にべったりくっついている、かわいいチェルシー。おかしくないか。
「一から説明してくれるとありがたいんだが」
「その前に。チェルシー、あなたどうして泣いていたの。この男のせいならやっぱり大人しく説明なんてしてる場合じゃないんだけど」
リリーが眉間に皺を寄せて、俺に視線を寄こしてくる。どうやら彼女が妹を大事に想っているというのは嘘ではないらしい。
「お姉様がいらっしゃったと聞いて、嬉しくて泣いてしまっただけです。オズワルド様のせいじゃありません」
……そしてどうやら、チェルシーも姉のことが好きらしい。それならいいわ、とリリーはチェルシーの手をぎゅっと握った。
「リリー。噂では、君がチェルシーのことを出来損ないだと触れ回っていると聞いていたんだが」
「それは本当です」
「仲がいいなら、なぜそんなことを」
「……お姉様は、わたしを庇っていてくれたんです」
潔く認めたリリーに代わって、チェルシーがぽつぽつと喋り出す。
「昔、子供だけのお茶会で男の子に突き飛ばされたことがあって……転んだところを女の子たちにも笑われて、わたしはすっかり人見知りになりました。ちょうどその頃に、魔法の才能がないこともわかって……。社交の場に出れば、将来聖女になるだろうと言われていたお姉様と比べられることはわかりきっていましたし、人見知りなので、それをうまく躱すことも難しい。だからお姉様は、あえてわたしを悪く言うことで社交の場に出なくていいようにしてくれていたんです」
……確かに、人前に出なければ直接心無い言葉を言われたり、そういった陰口を耳にしたりすることすらないだろう。この国では学校は身分の低いものが通うところで、貴族ならたいていは家庭教師をつけるから、勉強にも困らない。「出来が悪いから社交の場に出せない」なんて言うことで、自分は嫌な女だと顔を顰められることもあっただろうに、周囲の目からチェルシーを守るためにそうしていたと。実際「聖女の妹」には、出来損ないという批判より同情的な声の方が多いくらいだった。
「わたしが妹を虐げているという噂は、オズワルド様の耳にも入っていると思いました。だから、それを利用して同情を買い、付け入りなさいと言ったんです」
「……待て、どういうことだ」
「妹は、以前からあなたのことが好きだったので」
むすっとしたリリーの横で、チェルシーが顔を赤くしている。
「初耳なんだが」
「そうでしょうね。あなたがこの子に会ったのは、ほんの数回ですし。それなのにチェルシーの心を奪っていったから、わたしは正直オズワルド様のことが好きではありませんでした」
さっきからこっちを見るとき睨むような目つきなのはそのせいか。妹が好き、というのは俺の想像をはるかに超えたシスコンという意味らしい。……それにしても、チェルシーが以前から俺に好意を持っていたとは。……顔か?
「正直、好かれるようなことをした記憶がない。いつからだ?」
「……お姉様の婚約者として、はじめてうちにいらっしゃったときです。オズワルド様は、そのとき……お姉様を守るとおっしゃってくれました。……『きみの』」
『君のお姉さんを、守るよ。私が必ず無事に、君のもとへ連れ帰ると約束しよう』
言ったっけか、そんなこと。チェルシーが言った言葉を反芻するが記憶にない。だが、当時はしっかり猫を被っていたし、興味がないから「聖女が妹を虐げている」なんて噂も話半分にしか聞いていなかった。婚約者のかわいい妹に対して、と思えば、言った可能性は大いにある。
「お姉様は、強いから……両親でさえ、姉には聖魔法があるから大丈夫だと言っていて。確かにお姉様の聖魔法は発動すれば魔獣を寄せ付けません、でもそれまでは無防備になってしまうのに……。だから、オズワルド様が『守る』と言ってくださって、嬉しかった。安心しましたし……物語に出てくる王子様みたいだと、思ったんです」
俺の想像をはるかに超えて、チェルシーも十分シスコンらしい。なるほど、と頷いていると、横から「単に顔も好きよね」と聞こえてきた。やっぱり顔か。
「お姉様! っい、今は……お顔以外も、すきです」
真っ赤になったチェルシーがぼそぼそと呟いたので、まあこの件は良しとしよう。
「そ、それで、オズワルド様は本当にお姉様を守ってくださいました。お姉様を庇って寝たきりになったと聞いたとき、心臓が止まるかと思ったんです」
「……今にも飛び出していきそうだったから、どうせなら身代わりの婚約者として行きなさいと言ったの。チェルシーがあなたを好きである以上、どのみちわたしはいつか婚約破棄するつもりだった。同情を買いながら献身的に介抱すれば、オズワルド様も追い返したりはしないだろうと思ったし。うまくいったみたいね」
なるほど。それならば。
「チェルシー。君が身ひとつでうちに来たのは」
「……? 早くお会いしたかったからです」
「侍女の一人も連れていなかったのは」
「お体の調子が悪いときに、見知らぬ人間が増えてはオズワルド様のご負担になるかと」
「……ついでにさっきの騒動は」
「お姉様に抱き着こうとして、テーブルに足を引っかけて転びました」
全部がぜんぶ、俺の杞憂だったというわけか。
「……リリー、ひとつだけ訂正がある」
「なにかしら」
「チェルシーは、進んで同情を買おうとはしなかった。……君を悪く言ったことは、なかったよ」
そうだ。全部俺の勘違い。リリーの話題が出るたびに顔を青くしていたのは、きっと「姉に虐げられていたと同情を買いなさい」という言いつけを思い出していたから。嘘でもそれができなくて、たくさん葛藤していたんだろう。
リリーがはっとしてチェルシーを見る。チェルシーはまた、たくさんの涙を浮かべていた。
「い、言えなかったんです。お姉様が、世界で一番わたしを大事にしてくれているって、知っているから。でも、オズワルド様に本当のことも言えなかった。言ったら、せっかくお姉様が作ってくれた機会を台無しにしてしまう。……オズワルド様がわたしを大事にしてくださる度に、本当は、優しくしてもらう資格なんてないのにって……お姉様の場所だったのにって思って、苦しかった。ごめんなさい。二人とも、ごめんなさい……っ!」
婚約者だったはずの俺が聞いたこともない優しい涙声が、「ばかね」と言った。ばかねえ、と繰り返しながら、リリーがチェルシーを抱き締めて何度も頭を撫でていた。
次で最後になるかと思います。ブクマ、評価、いいねありがとうございます!最後まで楽しんでいただけますように。