第八話
「お久しぶりです、オズワルド様」
「ああ。君が俺を見限って以来だな」
応接室へと入ってきたリリーは、俺の隣で涙を溢すチェルシーを見て一瞬目を見開いたものの、すぐに笑顔を作って頭を下げた。品のあるその仕草にさえ嫌悪感を覚えながらソファに座るよう促して、今はテーブルを挟んで向かい合っている。
「お元気そうで何よりでございます」
「かわいいチェルシーのおかげだよ」
「……チェルシーの?」
ぴくり、とリリーの眉が動いた。
「ああ。君の聖魔法をもってしても祓えなかったこれなんだが」
自身の顔に手のひらをかざして、すぐに離す。すると、外出するために瘴気を見えなくしていた魔法が解除される。
「……随分と、薄くなっていますね」
「ああ。実はチェルシーは、弱いながらも聖魔法と治癒魔法を定着させることができてね。こうして刺繍を施してもらったリボンやシャツを身に着けているうちに、瘴気が解れるように弱くなってきたんだ」
「聖魔法と治癒魔法を、定着……!? それも同時にですか?」
リリーは信じられないといった様子で、俺とチェルシーを交互に見た。その唇がわなわなと震えている。出来損ないだと思っていた妹の思わぬ才能を目の当たりにして、悔しがっているのだろうか。
それでも、やがてリリーは咳払いをひとつすると、冷静を取り戻したようだった。
「最近、街でオズワルド様をお見かけすると聞いていたんです。お元気そうだと噂になっていたのは、そのためだったのですね」
「ああ。チェルシーが来てくれて本当に感謝しているよ」
「そうですか。……お顔をよく見せていただいても?」
「どうぞ」
リリーが俺に近寄って、顔を覗き込んでくる。触れないように手をかざして、瘴気の状態を感じているようだった。
「……これだけ弱くなっていれば、今度こそ祓えるかもしれません。傷の中にも残っているでしょうから、もちろん治癒魔法も同時にかける必要があるかと思いますが」
「俺も同じ見立てだ。もう少し魔力が回復したら自分で治癒魔法がかけられるだろう。そのとき祓ってもらえるかな」
「……もちろんです」
「ありがとう。これで顔も魔力も元通りだろうし、仕事にも復帰できるな」
きゅっと唇を引き結んだリリーが、俺から離れた。宮廷魔導士、中でも魔導部隊の隊長ともなれば、実は王太子にも引けを取らない立場だ。それはもちろん、その魔術を持って部隊を率いれば国家の転覆も容易いからだが。……逃がした魚は大きいのだと、せいぜい悔しがるといい。
席に戻るかと思ったが、リリーはその場に立ったままだった。
「オズワルド様」
「なにかな」
「少し、妹と二人で話す時間をいただいても?」
「……その必要があるかな」
以前と変わらぬ愛想笑いを浮かべたつもりだが、上手くはできていないかもしれない。一方のリリーも、口元は弧を描いているものの、目の奥が笑っていない。
「久しぶりに会ったのです。積もる話もあるというもの」
「チェルシーの方にはなさそうだが」
「あら。……そんなことないわよね、チェルシー?」
リリーが、俺に隠れるようにしていたチェルシーを覗き込む。つられるようにその顔を見れば、怯えたように唇を噛んでいた。
「……はい、お姉様」
「というわけなの。お時間をくださいな」
「……チェルシー、君は」
「……お願いします、オズワルド様」
チェルシーにそう言われて、俺は渋々立ち上がった。
「話が終わったら呼ぶように」
「はい」
部屋を出る前に振り返ると、チェルシーも立ち上がっていた。こうして並んでいるのを見ても、あまり似ていないなと思う。ふわふわとした淡い栗色の髪で、大きな垂れ目のチェルシー。一方のリリーはまっすぐなプラチナブロンドの髪で、どちらかといえば釣り目だ。
リリーに気付かれないように、そっと魔法を残して部屋を出た。風魔法を応用することでこの部屋での会話が外にいる俺にも聞こえるようになるというものだ。ぱたんと扉を閉めてしばらくすると、きちんと声が聞こえてきた。
『……チェルシー、いったいどういうことなの』
『すみません、お姉様』
『どういうことかって聞いてるのよ、聖魔法と治癒魔法を同時に定着させるなんて……!』
『わ、わからないんです。オズワルド様を想って刺繍をしていたら、それにほんの少しだけ魔力が宿っているって……で、でも本当に少しだけで、お姉様の魔力には到底及ばないくらいで』
案の定リリーによる質問責めが始まったようだが、俺はといえば「オズワルド様を想って」で少しばかりにやついてしまった。だめだな。
『オズワルド様への愛がそうさせたとでも? 虫唾が走るわ』
『お姉様、そんな言い方……!』
おーおー。本当にとんでもない聖女だったな。予想通りといえば予想通りで、いっそおかしくなってくる。
『大体、あなたはどうして泣いているの。みっともない』
『そ、それは……』
『オズワルド様のせいかしら? そんな男ならわたしがどうしたって構わないわよね』
『ち、違います。そうじゃなくて、お姉様……っきゃあ!!』
ガシャン、と大きな物音が聞こえた。チェルシーの悲鳴も。
「っ、どうした!!」
慌てて扉を開け放てば、散乱したティーセットに、歪んだテーブル。床に座り込んだチェルシーと、手を伸ばしているリリー。
——突き飛ばしたのか。
腹の底から怒りがふつふつと湧いてきて、あっという間に頭に血が上る。自分の体の周りに、抑えきれない魔力が滲み出ているのがわかった。足元から風が吹き始める。
「……どういうつもりだ」
「……どうもこうも、見たままですが」
「へえ。俺のかわいいチェルシーに手を出すとは、いい度胸だな。俺の方こそ虫唾が走る」
「あら、聞いていたんですか? 行儀がなっていませんね」
リリーは怯むことなく、いっそ開き直っているようだった。おしとやかな聖女の仮面を脱ぎ捨てて、俺を睨みつけてくる。
「まだ全快じゃないんだが、君を叩き出すことくらいはできそうだ」
「怖い顔。もしかしてそちらが素なのかしら。妹にもそんな顔をしているのかしら」
「うるさいな。悪いがまだ治癒魔法は使えなくてね。それに俺はもともと、治すより壊す方が得意だ。出ていくなら早い方が良い」
睨み合う俺たちの間に、チェルシーが割って入ってきた。
「待ってください!!」
「チェルシー」
「待ってください、やめて……!」
心優しい彼女には見ていられなかったのかもしれない。けれど、これ以上チェルシーを傷つけさせるわけにはいかない。二度とチェルシーに近付かないように、多少の痛い目くらいは見てもらわないと。そう思って、体から溢れる魔力が増したときだった。
「ちが……っ、違うんです! お姉様は」
「庇わなくていい」
「違います! お姉様は……っ、お姉様は、わたしのことが好きすぎるだけなんです!!」
「…………は?」
わっと泣き出してしまったチェルシーと、予想外の言葉に魔力が引っ込んだ俺。風が収まった部屋に、リリーのため息が響いた。