第四話
数日中の完結を目指してがんばっています。あと半分くらいの予定です。
数日後、ばたばたと慌てた足音に続いて、いつもより少しだけ勢いのいいノックの音がする。どうぞ、と声をかければ、転がるようにチェルシーが部屋に入ってきた。
「す、すみません、遅くなってしまって……! お食事は、……あ」
「うん。すまない」
自分で夕食を食べている俺を見て、チェルシーはがっくり項垂れた。明らかにしょんぼりしている彼女を促せば、とぼとぼと近付いてきてベッドの隣、すっかり定位置となった椅子に腰かける。
チェルシーに声をかけたが部屋から出てこないので、とメイドが持ってきた夕飯は、もうほとんど空になっている。チェルシーのおかげで少しずつバリエーションの出てきたそれが冷えてはもったいないかと先に食べてしまったが、こうも落ち込んでいるのを見るとやはり待っていてやればよかったかと思う。
相変わらず倦怠感は続いていた。ここ数日は、午前中チェルシーに本を読み聞かせてもらい、ああだこうだと感想を言い合って、午後になるとうとうとしている。魔力が回復する気配も、瘴気が晴れる兆しもないままだったが、多少腹は空くようになった。
「眠っていたのかい?」
「ど、どうしてわかるんですか?」
「頬にシーツの跡がついてる」
手を伸ばして指先でそこに触れると、チェルシーは恥ずかしそうに目元を赤らめた。相変わらず、俺が触れても嫌そうな顔ひとつしない。
「それに、今朝も眠そうだったし」
「……昨日、夜更かしをしてしまって」
本でも読んでいたんだろうか。彼女は本当に読書好きなようで、ジャンルを問わずなんでも読んでいた。この家にある本も好きに読んでいいと言ったから、俺がうたた寝している間は部屋で一人、色々読み漁っているらしい。買ったきり読まないままだった本も多い俺に、その日読んだ本の内容を教えてくれるのも日課になりつつある。
「まあ、たまにはいいさ。俺だって毎日昼寝しているわけだし」
「オズワルド様は療養中ですので、それがお仕事です」
「君だって健やかに過ごすのが仕事だ」
「……わたしは違い、ます」
やや間を空けて答えたチェルシーが少し俯く。両手がスカートをきゅっと握っていた。
彼女がこういう反応をすることは度々あった。例えば今みたいに、俺が彼女の健康を気遣ったとき。正確に言えば、自由に過ごしてほしいと願ったとき。申し訳なさそうに、困惑しているように、俯いて首を振るのだった。
これまでの彼女の生活については、ほとんどなにも聞いていない。また青い顔をさせてはかわいそうだし、思い返す必要がないくらい楽しく生きてくれればとも思うようになっていた。素直で表情豊かなチェルシーを想う気持ちは、今のところ婚約者に対するそれというより妹へのものに近い気がする。嫌な記憶には蓋をしていてやりたいのに、彼女は時々自分でそれを開けてしまって、悲しい顔をした。
「……初めにも言ったが、俺の世話は義務じゃない。君がやらなかったからといって追い出すつもりもない」
「……はい。ありがとうございます。でも、わたしは魔法もろくに使えないし、お役に立てることがほとんどないので」
礼を言われることでもないんだがなあ。誰かと比べたいわけでもないし。言い方から察するに、チェルシーは俺の食事の世話でさえ「やらせてもらっている」と思っていそうだ。
どうにかもう少し気楽に構えてもらいたいと思いつつ、最後の一口を食べ切った。
「チェルシー、悪いけど食器を……っと、」
「どうかされましたか?」
「いや、髪がなあ」
俺の髪は背中の中ほどまである。プラチナブロンドのそれは魔力が強い証でもあるし、髪にも多少は魔力が宿るので伸ばしっぱなしにしていた。ベッドで過ごす時間が長くなってからは、今みたいに引っかけたり寝返りの際に煩わしかったり、正直邪魔でしかない。髪に宿る魔力なんてたかが知れているし、それですらいつ戻るかわからないのだから、いっそのこと切ってしまおうか。
「それなら、あの、少し待っていてください」
俺から受け取った皿をテーブルに置いて、チェルシーは部屋から出ていった。五分も経たずすぐに戻ったその手には、白いリボン。
「この前道具を買っていただいて……昨日の晩、ちょうど出来上がったんです」
よく見ればそのリボンには、エメラルドグリーンの糸で刺繍がしてある。夜更かしは読書じゃなくてこのためだったのか。
「へえ、刺繍が好きっていうのは本当だったんだな」
「う、嘘だと思ってらっしゃったんですか?」
「ああいや、そういうわけじゃない」
拗ねたように唇を引き結んだチェルシーを見て少し笑ってしまいながら、よく見せてくれとリボンを受けとった。彼女にとって刺繍が嫌な思い出ではないのなら、道具を買い与えてよかったと思う。
「うまいものだ」
「ありがとうございます」
リボンにはいくつかの植物が丁寧に刺繍してある。それを指先で撫でていれば、ふと違和感がある。
「チェルシー」
「はい」
「君、ほとんど魔法は使えないんだったな」
「はい。ものすごくがんばって、指先からほんの数滴水を出せるくらいです」
それくらいなら、魔力が少ない平民の三歳児レベルだ。彼女は情けない顔をする。しかし。
「……このリボン、ほんの少しだが魔力が宿っている」
「え?」
「俺でギリギリわかるくらいだが、治癒魔法と……聖魔法だな」
「聖魔法……?」
「ああ、驚いた」
聖魔法は、物に定着させるのが非常に難しい。歴代の聖女でもそれができたものはほとんどおらず、そのために彼女らは自ら土地を浄化して回る他なかった。定着させることさえできれば、銅像にでもなんにでも定着させて村ごとに置いておけるのに。
治癒魔法の定着も、火や水に比べると難しい。一般には治癒魔法に特化した熟練の魔導士だけができるもので、治癒魔法が込められた腕輪やペンダントはとんでもなく高価だ。
本当にごくごくわずかだが、それらが両方定着しているなんてとんでもない。
「すごいな……」
「オズワルド様がよくなりますようにと、願いながら刺したからでしょうか」
「ふ、かわいいことを言ってくれるなあ」
「い、いえ」
頬を染めたチェルシーの手にリボンを返す。つけてくれるかと言えば、彼女は嬉しそうに俺の髪を梳いた。
「……これは、その、少しくらいはオズワルド様のお役に立ちますか?」
「どうだろうな」
「……正直に言ってくださると」
「術としてはとんでもないが、魔力自体が弱すぎる」
「そう、ですよね……」
悲しそうな目をしながら、結び終えたチェルシーが離れようとする。気だるい腕でその腰を掴んで引き寄せた。
「わ……っ! お、オズワルド様?」
倒れ込んできた彼女を抱き締めて、柔らかい髪に頬を埋める。
「俺の心にはよく効くよ。すごい魔法だ」
「……っ、はい……!」
俺を想いながら夜更かしをした女の子を愛しく思う。その涙声には、気が付かないふりをして。
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