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第三話


 翌日も、チェルシーはいそいそと俺の世話を焼いた。初めて飼い犬の世話を任されて張り切る子供のようだと思いながら、好きなようにさせてやる。朝食に柔らかいパンを持ってきたときには一瞬ためらっていたが、俺が口を開ければ嬉しそうにパンをちぎった。


 使用人の話によれば、彼女は本当にほとんど身ひとつでこの家に来たらしい。最低限の荷物が入ったトランクを両手に抱えて、侍女の一人も連れずに。


 やはりおかしいなと思う。そもそも、俺のもとに手紙が届いてから彼女がやってくるまで三日ほどだった。こっちの都合お構いなしで腹が立つということは置いておいても、不自然すぎる。体よく追い出されたように思えて仕方がない。


「チェルシー」

「はい」

「君は社交の場に出ていなかっただろ」

「……はい、ほとんど」


 夕食の最中そう問いかけると、彼女は手を止め俯いてしまった。別に責めるつもりはないんだが。


「……家では、何をして過ごしてたんだ?」

「え?」

「俺の世話だけじゃ退屈だろう。趣味でもなんでもやるといい」


 俺の食事のとき以外、彼女は一人自分の部屋で過ごしている。食事も一人で取っているし、あの部屋には話し相手もいなければ時間を潰せるようなものもない。昼前に執事が「掃除でも洗濯でも、なにか手伝えることはないか」と尋ねられたそうだが、妻となる人に雑用などさせられないと断ったらしい。


 なにかしていないと落ち着かないのは、実家でそうだったからではないか。社交にも出ず使用人のような扱いを受けていたなら、趣味と言えるものもないのかもしれない。そんな想像ばかりが膨らんでしまって気分が悪い。まだうちに来て二日だというのに、俺はすっかりこの子を庇護の対象だと思い始めている。


「……刺繍が好きです」

「そうか。なら道具を用意しよう」

「ありがとうございます」

「刺繍は、リリーに習っていたのか?」

「えっ。……え、えぇと、いえ……姉は、その」


 黒だな。リリーの名前を出した途端青ざめたチェルシーを見てそう思う。三度の食事でいくらか解れていた雰囲気がまた昨日に戻ったみたいだ。チェルシーはおどおど視線をさ迷わせ、小さな声で「姉はあんまり得意じゃないみたいで」と言った。


 刺繍と言えば聞こえはいいが、繕い物なら使用人の仕事だ。問いただす趣味もないが、本当に好きかどうかわからないものを与えるのもかわいそうに思える。


「他には?」

「ほ、他……あ、読書も好きです」

「どんな本?」

「なんでも読みます。あ、でも、小さい頃から大好きな物語があって、その本だけは実家から持ってきていて」


 好きな本の話になった瞬間、チェルシーの表情はぱっと明るくなった。その素直さに思わずくすっと笑ってしまうと、彼女は頬を赤らめた。


「す、すみません……子供っぽいですよね」

「いいや? そうだな、明日にでもその本を読み聞かせてくれ」

「え? で、でも、本当に子供向けのお話で」

「いいさ。俺も暇だからな。君の好きな物語を教えてほしい」


 これじゃあどっちが子供みたいかわからないな。しかし、思えばこうやって手ずから食事を与えられたり、本を読み聞かせてもらった記憶もない。どうせ寝ているだけなのだ、ままごとの子供役を楽しむのもいいだろう。


「っあした、持ってきます……!」

「うん」


 張り切って上気した頬を見れば、寝たきりの明日も楽しみに思えた。




「——そうして、二人は旅を続けるのでした。めでたしめでたし」


 ぱたんと本を閉じたチェルシーが、どうだったかと期待を込めた目で俺を見る。……うん、まさか仲のいい兄弟が助け合いながら世界を旅して回る話だとは思わなかったな。皮肉にもならない。


「君が芝居上手で驚いた」

「そ、そこですか?」

「半分冗談だ」


 チェルシーが喜びとも困惑とも取れる、なんとも言えない表情をしている。昨日も思ったが、この子は本当に素直な反応をする。年中無休で笑顔を張り付けていた過去の俺とは大違いだ。


「話も面白かったよ。確かに子供向けだが、案外設定が凝っていて」

「……! そうですよね!」

「あと、魔物の台詞を読む君の芝居が迫真で」

「そ、それは……昔からそういうふうに読んでいたので、くせで」

「ふふ」


 思い出し笑いをしていると、ふとチェルシーが真面目な顔をした。


「疲れていらっしゃいませんか?」

「うん。ああでも、少し寝ようかな」

「はい」

「今なら魔物の夢が見れそうだから」

「もう!」


 わざとらしく声を上げたチェルシーを見てまた笑う。今度は呆れたような顔をした彼女は、本を持ったままゆっくり立ち上がった。


「夕食のころにまた来ます」

「ああ」


 今日は一日生き生きしていた。彼女も、たぶん俺もだった。


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