夢のかたち・8
「あれは絶対隊長だと思うんですよ!」
魔導塔に入った途端、いつものよく通る声がしてそちらに近寄る。テーブルを囲むように、エディと何人かの魔導士、それからリリーがいた。俺に気付いた全員が頭を下げるのを軽く手で制しながらリリーを見ると、彼女は僅かに頬を赤らめる。それだけでうれしくなってしまいながら会話に加わった。
「オズワルドがなんだって?」
「それが、エディが街で隊長を見かけたらしいんです」
「髪がふわふわのかわいい子と歩いてました!」
髪が、ふわふわ……。ちらりとリリーを見れば、彼女は頷いて「おそらく妹かと」と言う。
「出歩けるほど回復したならいいことなんじゃないのか?」
「そうなんですけど……顔の瘴気もなさそうに見えて」
「え? 瘴気、消えたのか」
「いえ、手紙にはそんなこと書いてなかったんですが……」
声をかければよかったのに、という同僚の声に、エディは「馬車から見かけただけなんです!」と悔しそうな顔で答えた。
オズワルドの魔力が戻り始めたと聞いてから、三週間ほどは経っただろうか。順調に回復しているとの報に、魔導部隊の雰囲気もかなり穏やかになっていた。相変わらずリリーはここに顔を出しているので、俺もそのタイミングを狙っては様子を見に来ている。
「瘴気が消えたら連絡くれると思うんですけど」
「出歩くために魔法で見えなくしているだけじゃないか?」
「そこまで回復してるかなあ」
「実は瘴気も消えてるけど、もうしばらく休みたいから黙ってるだけだったりして」
「隊長に限ってそんな」
じゃあそろそろお見舞いに行ってみるか、と隊員たちがわいわい話している横で、リリーは考え込んでいる様子だった。
「……リリー?」
「わたしが行きます、お見舞い」
ぱっと顔を上げて言った彼女の言葉に、全員が会話をやめる。彼女が以前オズワルドの婚約者だったことは全員の知るところだし、妹の件もなんとなく訳ありなのだろうと察している者も多い。
「……大丈夫?」
「はい」
いつも通り答えた彼女をあとで呼び止めれば、小さな声で「妹に会えない期間が長すぎてそろそろ限界なので」と言っていて、少し安堵する。うん、いつも通り。それでもなにかあったら言うようにと伝えると、彼女は安心したように笑った。
二日後だった。リリーの方から時間を作ってほしいと頼まれて、応接室にいる。部屋に入ってきてからにこりとも笑わず、当然頬を染めたりもしないままのリリーを気にしながら、メイドにお茶の準備をさせて人払いをした。未婚の男女が密室で二人きり、というのは正直褒められたことではないけれど、彼女の深刻な様子の前では致し方ない。
「……オズワルドはどうだった? 行ってきたんだろう、お見舞い」
長い沈黙に耐えかねてこちらから尋ねると、リリーはようやく口を開いた。
「妹が……、妹が天才かもしれません」
「……うん?」
オズワルドの様子を聞いて妹の話が返ってきたことに関しては、なんというかもはやあまり驚かなかった。若干、オズワルドが可哀想な気はする。
一度口を開いてしまえば堰を切ったように話し出したリリーの話をまとめると、彼女の妹、チェルシーの力によってオズワルドが快方に向かったのではないかということだった。魔力はかなり戻っているし、瘴気の方も弱くなっているから、いずれ完全に消すことができるだろうと。
なんでもチェルシーは刺繍によって聖魔法と治癒魔法を同時に定着させることができたらしい。そんな魔術は俺も聞いたことがなかったので単純に驚く。
「すごいな」
「わたしも本当にびっくりして……オズワルド様が猫かぶりだったことなんてどうでもよくなりました」
「え、猫だったのか、あれ」
「チェルシーには普通に接していたみたいですけど」
「へえ……」
二度驚いていると、オズワルドの話題にわざとらしくつんとしていたリリーの表情がふと優しくなる。
「……ちゃんと、大事にしてくださっていました」
「よかったね」
「はい」
柔らかく微笑んだ彼女の肩の荷は、これでようやく本当に軽くなったのだと思う。
「チェルシーの魔法のことは、内密にしておいてほしいのです。魔力自体はとても弱いので利用されることはないかと思いますが、定着方法などの研究はオズワルド様と相談してからにしようかと」
「わかったよ」
ありがとうございます、とリリーは頭を下げた。人払い、しておいてよかったな。
「ところで、オズワルドの怪我がよくなって、チェルシーとも上手くいっているなら、俺も一歩前進なのだろうか」
「……? なんのお話でしょう」
すっかり忘れている様子のリリーの傍に寄り、その手を取って片膝をつく。
「これで、君が誰かの気持ちに応える気になるのかと」
「あ……!」
手を引き寄せて指先に口付けると、リリーは顔を赤くして肩を跳ねさせた。これ以上はしないというつもりで手を離すとそれはあっさり引っ込められてしまって、少し残念。
「遠慮はいらなくなるのかな」
「殿下……」
あの、ええと、としばらく落ち着きのなかったリリーが、やがて観念したように呟いた。
「……わたし、妹の結婚式では親族席にいたいんです」
そのあとなら、とほとんど言ってしまっているような顔を見て、自分の表情がだらしなく緩むのがわかった。
数日後に、また夢を見た。女の子の夢だ。この前泣きじゃくっていたのが嘘のように笑っていて安心する。彼女のいる場所が温かそうだと羨む自分にも光が射しているような気がして、夢から覚めたくないとすら思えた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「ああ。まあ、気軽なお茶会だからあまりかしこまらないでくれ」
およそ一か月後のことだ。小さなお茶会の知らせを出した。招待客はリリーと、この一か月で職場復帰をしたオズワルド、それから。
「こちらが、私の婚約者のチェルシーです」
「は……っ、は、はじめまして、チェルシー・カーヴェルと申します……! ほ、本日はお招きいただき、光栄でございます」
オズワルドの陰に隠れるように立っていた少女が、緊張した面持ちで俺の前に現れた。その顔を見た途端、自分の中で合点がいって思わず声を上げてしまった。
「ああ!! ああ、なるほど、君かぁ。っあはは、ああ、うん、そうか」
「え、えと……あの……?」
突然一人で笑い出してしまった俺を見て、チェルシーどころかリリーやオズワルドも訝しげな顔をしている。気が付いたけれどなかなか笑いが止まらなくて、なにかしでかしたのかとチェルシーを不安にさせてしまった。
――あの夢の女の子だ。
夢で見たのは小さな女の子だったから、それに比べると随分成長しているけれど。俺が見ていたのはたぶんこの子の想いだ。夢に見るのはなにも未来だけではないけれど、会ったことがない人物の気持ちをここまで汲み取ったのは初めてで、驚きながらも不思議と納得する。そんな俺のことを、薄緑の大きな目が見ていた。
「すまない、なんでもないんだ。はじめまして、チェルシー。君の目は、お姉さんと同じ色だね」
「……! っはい、そうなのです! あの、お姉様とは似てない部分ばかりなのですが、目の色はよく似ていて……! だからわたしは自分の目がとても好きで、その……!」
「うん。ああ、お茶の準備がしてあるからこちらへ。もっと聞かせてくれるかな、リリーの話も、君の話も」
「はい!」
姉の話になった途端に輝く表情が、妹の話をしているときのリリーによく似ていて自然と笑みが零れる。この子がオズワルドの家で姉の悪口を言わなかったというのは間違いないのだろう。この様子なら、それ以外のどんな場所でも言ったことがなさそうだが。
オズワルドの復帰祝いを兼ねていたはずのお茶会は、結局俺とチェルシーが喋り通して過ぎていった。祝われる側の人物も、楽しそうに話す婚約者を見て優しい顔をしていたから問題はないだろう。これまでに見たどの顔より穏やかなオズワルドの横で、リリーだけがもっぱら気恥ずかしそうだった。





