夢のかたち・7
お久しぶりです、すみません。今日明日中にまた何話か投稿できればと思います。
小さな泣き声が止んでも、すぐに温もりが離れてしまうことはなかった。少しくらいは自惚れてもいいのだろうか。前回よりもゆっくりと俺から離れたリリーは、相変わらず恥ずかしそうに笑った。
「すみません」
「いいや」
彼女はひと月前と同じように俺の肩に手をかざして、風魔法を使う。
「このまま順調に回復してくれるといいね」
「そう、ですね……」
「……? どうかした?」
「いえ、……この一か月、結局何もできなかったのが、ほんの少し悔しいだけです」
「はは、君は案外負けず嫌いだな」
「そうですよ」
言葉のわりにすっきりした顔をしている。軽口を言えるくらいには彼女の気持ちが楽になったのだと思うとうれしくて、俺が心配だったのはやっぱりオズワルドじゃなかったんだなと思う。愛は身勝手だ。
「アーノルド殿下の前では、わたしは子供みたいですね」
「そうだろうか」
「はい。人前でこんなに泣いたのも、負けず嫌いだと言われたのも初めてですから」
彼女の言葉に、ようやくちゃんと覚悟が決まる。俺は、彼女が自然に笑ったり、泣いたり、楽しそうに妹の話をしたり、そういう場所になりたい。俺の前では嘘が吐けないからだとか、きっかけはなんでもよくて。ただ、俺が好きになった君でいてほしい。
「リリー」
「なんでしょう」
首を傾げる彼女の手を引いてベンチに座る。座ってからも手を離さない俺に、彼女は少し戸惑った様子で「あの」と声をかけた。
「ごめん。少し勇気のいる話だから、このままでもいいだろうか」
「それは構いませんが……」
息を深めに吸っては吐いて。俺よりも随分細い手を、少しだけ強く握り直す。
「リリー。俺は、君のことが好きだ」
「……ありがとう、ございます……?」
きょとんとした顔に、これだけ直球でも簡単には伝わらないのかとおかしくなってしまう。ほとんど一目惚れなんだけど、と言えば、彼女はようやく驚いた声を上げてその頬を赤らめた。
「ひ、一目惚れ、って……! え、ええと、申し訳ありません。殿下と初めてお会いしたのって、いつ……」
「ああ、ごめん。それは俺もはっきり覚えてなくて」
リリーは訳が分からないといった表情をしている。うん、そうだよな。
「本当に初めて会ったときの君はおそらく、『聖女』の君か、『伯爵家の娘』の君だろう。その日のことではなくて、初めて君が君として笑ってくれた日だ」
「……わたしとして笑った日?」
「無敵の気持ちだ、と」
ようやく合点がいった様子のリリーは、すぐにまた赤い顔で慌て始める。
「ええと、ですがあの、どうして」
「あのときの君が、あまりにもまっすぐだったから。強くて、眩しくて。あの日の印象のままに一生懸命な君を、どんどん好きになって……時々心配で。まだオズワルドが全快したわけでもない状況で伝えるのはどうだろうとも思ったんだけど、君の笑顔の一番近くにいたい、と……笑顔でいられないときは、下手くそな魔法を使ってあげられる距離にいたいと思うから」
好きだ、ともう一度口にすれば、指先がきゅっと握り返される。期待しそうになるその仕草の反面、リリーは眉尻を下げていた。
「お気持ちはうれしいのですが、……わたしは、今の状況で誰かのお気持ちにお応えする気はありません。少なくとも、オズワルド様にもう少し回復の兆しが見えるまで。妹が、あの人のところで幸せになるまで」
「待つと言ったら?」
「だ、だめです! いけません、何年かかるかもわからないのに……! この国のためにも、殿下は早く幸せになるべきで」
「俺は俺のために幸せになりたいんだ」
言葉を遮って伝えると、彼女は驚いた顔をする。
「君が妹のために国を守ろうと思ったように、俺も大切な誰かのために国を良くしていきたい。誰かを特別に想う日々がこんなにも輝いていると、君が教えてくれたから」
繋がれたままの手の体温を感じられる距離にいたい。
「勝手に想っているだけだから、今は知っていてくれるだけでいい。……もしこの気持ちすら迷惑だったら、言葉にして伝えてくれるとうれしいのだけど」
「そ、れは……」
リリーが今日一番戸惑った顔で「それはずるいです」と言った。頬を赤らめたまま視線をさ迷わせる様子を見て、たしかにずるいなと笑ってしまう。こんな手を使うだなんて、自分でも思っていなかった。
迷惑だと言葉にできないのなら。それは言葉にすると、俺に嘘だとわかってしまうからで。
「あはは」
「っ、殿下! 人が悪いです!」
「ふふ……っ、ああ、そうなのかもしれない。初めて言われたけど」
もう、と声を上げる彼女の手が、まだ俺の手の中にあって。今はそれで十分なのだと思った。
――夢の中で、これは夢だとわかることがある。
一般には明晰夢と呼ばれるらしいそれは、夢で未来を見ることがある俺にとっては大切なことだったりする。
夢だと自覚したときには、すでに小さく泣き声がしていた。振り返ると女の子が泣いていて、ああ、いつだったか楽しそうに笑っていた子だと思う。相変わらず見覚えのないその子が両手で顔を覆って肩を震わせるのを見て、胸がきゅっと苦しくなる。
なにがそんなに悲しいのだろう。彼女がいる場所は以前と変わらず温かそうで、俺は羨ましくてたまらないのに。
大丈夫、大丈夫だよ。顔を上げればきっと、光の中にいるとわかる。そう伝えてあげたいのに、夢ではなにもできない。もどかしいと思ったとき、ふと目が覚めた。
「……」
「殿下?」
「……ごめん、うたた寝してた」
お疲れですか、とジョシュアが声をかけてきたので首を振る。どうやら執務室で仕事を片付けていたときにうとうとしてしまったらしい。
「今日は早めに切り上げましょうか。魔獣の被害対応もだいぶ落ち着きましたし、少しくらいは構いませんよ」
「……ああ、うん……」
「殿下、……夢でも見ましたか?」
ぼんやりしたままの俺を見かねて、ジョシュアが顔を覗き込んでくる。
「見た、けど……わからないな」
「そうですか」
正直、俺にはあまり夢見の能力がない。稀代の才に恵まれたと言われる父とは打って変わって、はっきりと未来を見ることの方が稀なくらいだ。「その分お前には嘘がよくわかるだろう」と言われたけれど、この力があったところで父に敵ったことは一度もない。
ジョシュアもそれを知っているのであまり深くは追及せず、俺の手元にあった書類を取り上げていっただけだった。
それにしても、あの子は誰だろう。小さな女の子だった。なにかの暗示なんだろうか、それともただの夢? 俺になにができるのだろう。
眉間のあたりを揉んでいると、ジョシュアに執務室を追い出されてしまった。素直に私室に戻ってそのまま眠ったけれど、結局夢の続きを見ることはなかった。





