夢のかたち・1
王太子編書いてみることにしました!楽しんでいただけるとうれしいです!
夢を見た。女の子の夢だ。柔らかな光の中で、笑っている女の子の夢。楽しそうで、温かそうで、俺もそこへ行きたいなと手を伸ばす。そんな、俺の夢の話だ。
「——……殿下、アーノルド殿下」
「……うん、起きた。起きたよ」
控えめなノックの音と、続く声に返事をすれば、やがてメイドが数人と側近のジョシュアが入ってきた。
「珍しいですね、いつもならわたしが来る前には起きてらっしゃるのに」
「んー……、夢を見ていた」
「どのような?」
「幸せそうな夢だったよ」
「他人事ですね」
「はは」
たしかに、どこか他人事っぽい夢だったなと思う。女の子は知り合いでもなんでもない。なにかの予兆にしてはぼんやりしすぎているし、願望にしては身に覚えがなさすぎる。
「大切にしてくださいよ、あなたが見る夢なのだから」
「わかってるよ」
答えながら、ベッドの上で大きく伸びをした。
俺の名はアーノルド。この国の王族は姓を持たないから、ただのアーノルドだ。父である国王陛下が治める国で、王太子という身分をしている。
王族にはいくつか、他と違う特徴がある。ひとつ、その身体に強い魔力が宿ることはない。ふたつ、代わりにとでも言えばいいのか、人よりも視力や聴力が優れている。みっつ、未来に関わる夢を見ることがある。他にもあといくつか。
どの特徴にも一応、古くからの理由がある。強い魔力は、その力を持って民を虐げることがないように。よく見えよく聞こえるこの目と耳は、多くの民を見て多くの声を聞くために。夢を見るのは、この国をより良い未来に導くために。
つまり、ほどほどの魔力を持ち、ちょっと人より目や耳がよく、たまに不思議な夢を見る、それが俺だった。
それにしてもぼんやりとした夢だった。もっとはっきり未来を見ることもあれば、死者が枕元に立って助言をくれることなんかもあるので、今日の夢は王族特有のものではなく、本当にただの「夢」なのかもしれない。
「んん……」
「しっかりなさってください。今日はご公務の前に聖女との面会もありますよ」
「ああ……そうだった」
メイドに身なりを整えられながら、今日の予定を聞き流す。そうだった、聖女から面会の希望があって、父の代わりに対応することになっているんだった。
今世の聖女、リリーというのは、俺より二つ年下の二十一歳らしい。カーヴェル伯爵家の長女で、強い魔力の象徴であるプラチナブロンドの髪をしている。パーティーで何度か見かけたことがあるし、王家主催の場では両親とともに挨拶にも来ていたはずだが……はて、目は何色だっただろう。聖女としての能力は高く、勤勉で人当たりもいいそうだが、ひとつだけあまり良くない噂がある。まあ、そういった類の話は、俺は自分の目で確かめるまであまり信じないようにしているのだが。
「討伐に発つ前に嘆願か……」
「どんなおねだりでしょうね」
忙しい父からは、よほどのことでないならできる限り叶えてやるようにと言われている。周期的に魔獣が湧き出る土地を浄化できる聖女という存在は、この国ではそれだけ重宝されているということだ。
「まあ、聞いてみればわかるさ」
「おっしゃるとおりで」
魔獣被害があった地域の復興支援だなんだで俺もそんなに暇ではないが、国のために戦ってくれる彼女には、尽くせる礼儀は尽くさねば。
ろくに話したこともない。聖女というのは、どんな人となりをしているのだろう。王太子である俺よりも広い心と深い愛を持って、国を思っているんだろうか。学ぶこともあるかもしれないなと、少しだけ興味があった。
謁見の間に入ると、すでに聖女が膝をついていた。正面の椅子に腰かけて「顔をあげてくれ」と声をかける。
「恐れ入ります」
「楽にしてくれて構わない。この一年、国のために尽くしてくれたことを感謝する」
「身に余るお言葉をいただき光栄でございます。ですが、わたしは自分にできることをしたまでです」
殊勝な態度に感心する。やっぱり、聖女とはそういうものなんだろうか。
俺にとって愛とは、広く分け与えるものだ。この国の王族として、民を愛することはある種義務でもある。それを嫌だと思ったことはないし、実際、国を思ってできることはしてきたつもりだ。賢王と名高い父の背を、なんとか走って追いかけている。
でも、それだけだ。民の暮らしがよくなればうれしい、俺の功績だと称えてもらえばやりがいもある。だが心のどこかで、義務だからそうしているだけだって声がする。広くて深い愛なんて持ち合わせていないのに、さもそんなことはないって顔で手を振って、偽善を行っている。そんな感覚が、あるのだ。
愛を知らないとは言わない。母は俺が三歳のときに他界しているが、そのぶん父や乳母が大事にしてくれた。ジョシュアをはじめ周囲の人間にも恵まれていると思う。でも、それとこれとは少し違った。いつだって、自分の愛には疑問が残る。
聖女は、俺と違うのだろうか。義務だからそうすべきである俺と違って、本物の広い愛で民を救い、守ろうとしているのだろうか。すごいことだと思うけれど、同時に俺には無理だろうとも思う。
「次の村で、被害が大きい土地の浄化は完了するそうだね。だが、状況はあまり良くないと聞いている」
「はい。ですので、出立の前に折り入って殿下にお願いがあってまいりました」
ここ三日ほどで状況が悪化したという村にはすでに騎士団と魔導士を派遣していて、住民の避難も完了している。しかし、いかんせん魔獣の数が多く苦戦しているらしい。田畑や家を荒らし回られては、その後の住民の生活にも影響がある。早急に対処する必要があるということで、聖女は昨日他の村から戻ったばかりだというのに、この後にはもう出発するそうだ。
「可能な限り叶えるようにと、陛下からも仰せつかっている。申せ」
「感謝いたします。……今回の討伐は、厳しいものになると考えています。大型の魔獣が出現しているそうですし、山間部で戦いづらい上に浄化すべき土地は広大です。ですから、万が一もあるかもしれないと覚悟しているのです」
万が一。まだ若い彼女が背負うには重い覚悟だと思う。歴代トップクラスの魔導士と名高い、魔導部隊の隊長オズワルドが同行するらしいが、それでもと思ってしまう状況ということか。
「ですので、お願いです。わたしにもしものことがあったとき、妹に不自由をさせないでください」
「ああ、わかっ……、ん……?」
「妹に不自由をさせないでください」
「ああ、いや、うん、聞こえてはいるんだが」
耳いいしな、俺。そうではなくて。
「……妹……?」
「はい。四つ下のチェルシーといいます」
そういうことでもなく。ぽかんとしたままの俺を置いて、聖女は話し続ける。
「妹は根っからの人見知りで、ほとんど社交の場に出ていません。また魔力も少なく、当然戦う術など持たないのです。両親は妹を愛していますが、いかんせん二人ともちょっと抜けているので、上手いこと他人に利用されないとも言い切れません。わたしがいなくなったあと、妹がわたしの代わりに担ぎ上げられたり、逆に虐げられたり、ましてや路頭に迷うことなど決してないように、妹を守るとお約束してほしいのです。あの子に、悲しい思いをさせないでほしいのです」
一気に話した聖女は、少し釣り目がかった薄緑の瞳でまっすぐ俺を見た。ああ、こんな色だったなと頭の端で思いながら、その意志の強さに驚いた。
莫大な報償金をねだられるとまでは思っていなかったが、むしろそちらの方が驚かなかったかもしれない。よりにもよって、妹とは。だって。
「……君は、妹のことをあまりよく思っていないのではなかったかな」
「まさか。わたしは、あの子が世界で一番かわいいんですのよ。わたしはこの国の聖女だからではなく、あの子の姉だからこそこの国を守るのです。あの子が不幸にならないように」
隣に立っていたジョシュアがちらりと俺を見る。聖女が出来損ないの妹をよく思っていない、という噂は、時折流れてくるものだった。ジョシュアに小さく頷いてから、視線を聖女に戻した。
「わかった。約束しよう」
「……信じていただけるんですか?」
「君が妹を案ずる気持ちを?」
「ええ」
今度は彼女の方がぽかんとしたので、種明かしをする。
「俺には、人の嘘がわかる」
「え?」
「経験や感覚でなんとなく、というレベルではない。王族の血によるものだ。君の言葉には嘘がないと感じたから、俺は約束を守ると誓おう」
「……そのようなお話を、わたしにしても?」
「いいさ。噂程度に思われているが、上位貴族の中には知っている者もいる」
ジョシュアの視線が突き刺さっているので、あとで多少怒られることはあるかもしれないが。
衝撃だった。聖女の言葉には嘘がなく、おそらく、不仲の噂も妹を匿うためだったのだろうと思う。聖魔法は昔から心根が正直で清らかな者に宿りやすいというから、歴代聖女を多く輩出しているカーヴェル伯爵家は、つまりそういう気質の人間が多いということだ。人が良いぶん利用されてきた面もあるのだろう。王に見初められ娶られた聖女も一人や二人ではないのに伯爵家止まりというのも、地位や権力に頓着がないということの表れなのかもしれない。「ちょっと抜けている」と言っていた聖女の両親、現カーヴェル伯爵夫妻のことを思い出せば、たしかにいつもにこにこと穏やかな二人だった。少々失礼だが、心配に思う気持ちもわからなくはない。
「君の妹に苦労はさせないと誓おう。もちろん、伯爵家にも」
「ありがとうございます」
聖女が深く頭を下げたところで、ジョシュアから声がかかる。部隊が出発する時間が近いそうだ。
「それでは失礼いたします」
「ああ。……リリー」
部屋から出ていこうとする背中に声をかけると、彼女は白いワンピースを翻して振り向いた。
「約束は守る。だが、決して死ににいくようなことはするな。危ないと思ったなら引いていい。オズワルドや騎士団もいるのだから、一度引いて態勢を立て直すこともできるだろう。捨て身で戦うようなことは……」
「殿下はお優しいのですね」
大丈夫ですよ、と彼女は言った。
「こうして念のためにお願いには参りましたが、易々と死ぬつもりはございません。わたしが死ねば、妹が悲しみますから」
「……そうか」
自信満々に言い切る様子を見て、妹も彼女のことが好きなのだなと思う。相思相愛というやつかと、ほんのり胸が温かくなる。
「わたしは、妹に悲しい思いをさせたくありません。その気持ちはとっても、無敵なんですよ」
にっこり笑って、リリーは部屋を出ていった。途端にどくんと高鳴った胸から血が巡って、顔が熱くなってくる。最後に見た彼女の笑顔が、目に焼き付いて離れない。
「……殿下?」
思わず片手で顔を覆った俺を、ジョシュアが心配そうに覗き込んでくる。ああ、どうしよう。
どうしよう。知らなかったこの胸の高鳴りは、もしかして『無敵の気持ち』になるのかもしれない。