最終話
チェルシーが落ち着くのを待ってから、俺は改めて話し始める。
「チェルシー。きっかけはどうであれ、俺は今君のことが好きだ。リリーが婚約者のままだったとしてもそれなりに上手く付き合っていけただろうが、きっと当たり障りのない関係だったと思う。君といるときのように素の自分で笑ったり、それを幸せなことだと思ったりできないままだった」
「……オズワルド様」
「ふさわしい誰かじゃなく、他でもない君に、傍にいてほしい。……嫌か?」
「いいえ、いいえ……っ!」
ぶんぶんと首を横に振ったチェルシーが、ちらりとリリーの様子を窺う。当たり前に気付いたリリーは、お見通しだとでもいうように小さく笑った。
「言っておくけど、わたしへの気遣いも不要よ。オズワルド様のことはほんっとうになんとも思っていないから」
「力込めすぎじゃないか?」
「当たり前です。かわいい妹を攫っていく男なんて、むしろ嫌いなくらいだもの」
「潔いなあ」
リリーの方も随分と素が出てきたと思う。そんな俺たちの会話にようやく笑ったチェルシーは、改めてまっすぐ俺を見た。
「わたし、……わたしは、オズワルド様のお嫁さんになりたいです」
「うん。大歓迎だ」
ふにゃふにゃと、愛しい子は花がほころぶように笑った。
「「……あ」」
一か月後のことだ。あれから、魔力がほとんど回復した俺は久しぶりに宮廷に来ている。来週から仕事に戻るためだ。そこでばったりリリーと遭遇した。彼女に会うのは、瘴気を祓ってもらって以来、二週間ぶりになる。
「お元気そうね」
「おかげさまで。この通り顔も綺麗に戻ったからな、婚約者の反応が可愛くて毎日楽しいよ」
「治すんじゃなかったわ」
リリーとは、お互いすっかり素を晒して、こんなふうに軽口を言い合える関係になっていた。愛想笑いで他人行儀だった婚約時代より、随分いいものだと思う。
「君も仕事か」
「ええ。厄災の年は終わったけれど、相変わらず瘴気は自然に湧き出てくるから。たまに呼び出されて魔獣の討伐と浄化をして、ここに報告に来るの」
「ふうん」
「ちなみにこの後はあなたの家に行くわよ」
「は? 聞いていないんだが」
「チェルシーに呼ばれているから」
……そういえば今朝、やたらとにこにこしながら「今日は早く帰ってきてくださいね」なんて言っていた。俺が一人で外出するのが寂しいのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「君に妬かなきゃいけないのがたまに悲しくなる」
「あら、オズワルド様の快気祝いよ」
並んで廊下を歩きながら、そんなことを話す。
「……君が押しかけてくる少し前、チェルシーがよくため息をついていて」
「泣かせたの? 殴らせてちょうだい」
「違う違う。あれは、君に会えていなくて寂しかったんだと思う」
「……そう」
「ああ。だから、いつでも顔を出してやってほしい」
「わかったわ」
ありがとう、と言ったリリーは、聖女ではなく姉の顔で微笑んでいた。
「気になっていたんだが、君はどうしてそんなに妹がかわいいんだ?」
確かにチェルシーはかわいいが。自分が悪名を被ってまで守っていた、理由とは。
「オズワルド様は、ご兄弟はいないの?」
「ああ。赤ん坊のころに孤児院の前に捨てられていたから、兄弟どころか親の顔も知らない。孤児院には下の子もいたが、俺はこの髪の色だろ。物心ついたころにはさっさと魔法学校に入れられたから」
この国では無償で教育が受けられる。特に優秀だと認められれば住む場所や食べるものなんかも用意してもらえて、いずれは国のために尽くすようにと育てられる。家族からの愛情なんて知らないままに、俺は愛想笑いで生きていくようになったのだ。
「……姉であるというだけで、無条件に慕ってくれる子がいるというのは、本当に心強いものよ」
まっすぐ前を向いたまま、リリーがぽつぽつと語り始める。
「わたしとあの子は、四つも離れているでしょう? あの子が生まれて、自分の足で立つようになったころには、わたしはもう自分が周りからどう思われているのか気付きつつあった」
プラチナブロンドの髪、同年代の子供より突出した魔力、巡ってくる厄災の年。この子はやがて聖女として国を救うのだろう、と言われていたに違いない。
「両親ですら、あなたは特別な子だと言っていたわ。……小さな子供だったわたしにとっては、それは拒絶の言葉みたいだった。髪の色が親と違うことだって、嬉しくともなんともなかったのに」
他とは違うと線を引かれて、たった一人。そんな思いだったのかと想像する。
「そんなときよ。歩き始めたばっかりのあの子が、わたしの後ろをついて回って。言葉を覚えてからも、おねえさま、おねえさまって。……それだけで、世界を守ってやろうって思えたの」
「……そうか」
秘密よ、とリリーは笑った。なんとなく、迫真の芝居で魔物の台詞を読んでいたのは、チェルシーではなくリリーだったんだろうと思う。きっと彼女はかわいい妹のためならば、聖女にも魔物にもなれた。
「チェルシーが、あそこまで素直に育った理由がわかった気がするよ。君が大事に育ててきたからなんだろうな」
「あら、あの子の素直さは天然よ。そこがいいところだわ」
「確かに。だが素直すぎて困るくらいだ。最近は俺の愛情を素直に受け取ってそのまま返してくるから、籍を入れる前に手を出してしまいそうで困っている」
「やってみなさい、張り倒すわよ」
しんみりした雰囲気を振り切るように軽口に戻れば、廊下の向こうから人影が近付いてきた。
「リリー!」
「王太子殿下」
「……オズワルドもいたのか」
「ご無沙汰しております」
おや。現れたのは、リリーが言い寄っていると噂の王太子だった。慌てたように駆け寄ってきたあと、リリーの隣にいるのが俺だと気付くと僅かに眉間に皺を寄せた。
「瘴気が祓われたという知らせは本当だったんだな」
「はい、ご心配をおかけしました」
「いや、国のために体を張ってくれた。礼を言う」
王太子は、その美しい顔立ちと、王族としては心配なほど正直な人柄で信頼が厚く、国民からの人気も高い。その彼が俺とリリーを交互に見ながら、なにやら言いにくそうに口をもごもごさせている。
「……その、君たちは……、婚約を解消したというのに、仲がいいのだな」
「「よくはないです」」
綺麗に重なった返事に、王太子はぽかんとしている。
「かわいい婚約者の姉君ですので、致し方なく」
「わたしも妹を人質に取られているので致し方なく」
「そ、そうか」
おい、人質はないだろ。俺の目線に、リリーは気が付かないふりをした。
「それじゃあ、今夜君を食事に誘ってもいいだろうか」
王太子がリリーの手を取って、恭しく指先に口付けながら願った。おい、どういうことだ。
「今日は妹と約束がありますので」
「それなら、明日は?」
「……明日なら、まあ……」
「ありがとう!」
また連絡するよ、と王太子は駆けていった。廊下の向こうで文官が待っていたから、おそらく公務の合間に抜け出してきたんだろう。
「……俺は、君が王太子に言い寄っていると聞いていたんだが」
「逆よ。言い寄られているの」
「なんでまた」
「最後の村に発つ前に、お願いにあがったの。酷い状況だと聞いていたから、万が一があるかもしれないと思って」
万が一。過去、厄災の年に、聖女が命を落としたという話もある。
「なにを願ったんだ?」
「決まってるでしょう」
チェルシーのことだな。直感的にそう思った。まさか『わたしにもしものことがあったとき、妹に不自由をさせないでください。わたしはこの国の聖女だからではなく、あの子の姉だからこそこの国を守るのです』なんて熱い言葉だったとは、のちに王太子から直接聞くまで知る由もない。
「なにせそのときのわたしを見て一目惚れしたんですって」
「応えてやらないのか? 俺を除いたら一番の優良物件だが」
「不敬よ」
小さくなる背中をずっと目で追っていたから、まんざらではないと思うんだが。
「チェルシーが結婚するまでは応える気がないの」
「どうして」
「親族の席にいられないからよ」
ああ、なるほど。主たる貴族や騎士団の団長、魔導部隊の隊長……つまり俺クラスの結婚式となれば、王族が立ち会うのが慣例だ。王太子の婚約者になったら、親族ではなく王族の席につかなければならない。
「殿下もおかわいそうに」
「……それまで待っていてくださったら、お応えするつもりよ」
「なら、殿下のためにもさっさとチェルシーに話しておくよ」
仕事が落ち着いてから、なんて呑気なことは言っていられなさそうだ。
————三か月後。
大急ぎで、と意気込むチェルシーの花嫁衣装は、案の定仕立てるのに時間がかかった。あれもかわいいこれも似合うと口を出すのが二人もいたから、チェルシーは困った顔で笑っていた。「お姉様とオズワルド様で兄妹みたいですね」なんて言われて、リリーと反発したのも懐かしい。
式は、よく晴れた日に執り行われた。多くの人が、妹を抱き締めてわんわん泣く聖女を見て、彼女が妹を虐げているなんて噂は、消えてなくなったのだった。
(おしまい)
お付き合いありがとうございました。初めて書き上げたオリジナル小説です。よかったと思っていただけましたら、評価よろしくお願いいたします!