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にんげんっていいのか

 陽の光が優しく私を照らし始める。虫だった頃は朝の冷え込みがきつく、活動を始めるまで陽の光で体を温めていたものだが、この住処では…この体は起動までさほど時間がかからないようだ。しかし、驚いた。人間というのはこんなに沢山の時間を一気に眠り通すのか。普通腹くらい減るだろう。人間の体とは不思議なものだ。

 あとビックリしたのがこれ、瞼。便利なものだ…。ただまぁ、定期的に閉じないと目がシパシパし始めるから、そこがどうもやりづらい。昨晩も目が覚めたのは、空腹ではなくこの目を開けて寝てしまうことからのシパシパで目が覚めてしまう。

 窓の外をぼーっと見ながらそんなことを考えていると、空腹で腹が鳴った。


「・・・飯を食べるか」


言い忘れていたが、この家は2階建てだ。人間の家は、中には1回にすべての空間を置く家もあるそうだが、基本的には何層かに分けて部屋を組み立てるそうだ。なんでも、「スペースの有効活用」というやつらしい。私の部屋は2階。階段を上がって一番奥の部屋だ。客間のほうが階段に近いのだが、どうもその辺が気に食わない。朝は眠いのだから、階段に近いに越したことはないではないか。そうブツクサ言いながら1階に降りる。


「あっ、おはようございます」


「うん?うん」


「はい、ご飯」


「うん」


「何か飲みますか?」


「うん」


「じゃあ、はいこれ」


「うん」


「人間はこういう時、『ありがとう』っていうんですよ」


「そうなのか。ありがとう」


 私が朝飯を食べる向かいで、悪魔も朝飯を食べていた。


「なんだ、悪魔は飯を食わないんじゃないのか」


「食べなくてもよい・・・ってだけで、食べてもいいんですよ。

 これからあなたに人間の基礎を教えるにあたって、まずは対人スキルが必要と思いましてね。

 今日はご飯を食べたらお勉強の時間です。さぁっ、ちゃちゃっと食べちゃってください」


 そういうと悪魔は黙々と飯を食べ、食器を片付けていた。私もそうするものなのだろうと真似をする。水道の使い方を見て、どうやって食器を洗うのか、なぜ食器を洗うのかを学ぶ。そこから、ものを清潔にする方法、なぜ清潔にしないといけないのか、悪魔は私に教えてくれた。


「なぁ、悪魔よ。あの客間とかいう空間も、掃除しておいたほうがいいのか?」


「あぁ…できればそうですね。掃除したほうがいいかもしれません。私もたまには手伝いますので、お願いできますか?」


「分かった」


「あと、それ」


「うん?」


「“悪魔”と呼ぶのはおやめください。私には“雨井卍”という立派な名前があります」


「なんだ、人間はいちいち名前で呼ばないといけないのか」


「そりゃもちろんそうですよ!

 何人も人間がいる空間で、『おい、人間』なんて呼びかけたら、全員振り向くか、全無視されるかのどちらかですよ。

 日本に限った話ですが、この国の人間には“姓”と“名”という2分割された名前を持っています。ほら、あなたの名前、「岩崎 媛遥」、『岩崎』が姓で、『媛遥』が名です」


「なぜ名前を二つに分けるんだ」


「そうですね…。

 “姓”というのは…まぁ、あなたに分かりやすく言えば、一族の名前です。例えば、あなたの家族、お父さんお母さんがあの杉の木で今までずーっと生きてきたなら、姓は例えば『杉』だったかもしれません。今となってはいろんな由来があって、姓は元々何を指していたのかなんて分からないですが、まぁこんな感じであなたの家族全体の名前と思っておいてください。

 “名”はあなた個人の名前です。多くの場合、この部分は父や母に勝手に決められます。大きく育ってほしいなぁ・・・と思われたら、例えば『ヒロシ』『ダイキ』なんてつけたり、強い子になってほしいなぁ・・・と思われたら、『ゴウキ』『タケシ』とか」


「ふぅん・・・」


「・・・早い話が、『ほにゃららに住んでいる、ほにゃららな人』の、

 『ほにゃららに住んでいる』が姓、『ほにゃららな人』が名です。

 人間同士では基本的には姓で呼び合いますが、親しくなると名で呼び合うようになりますね。

 私の場合は『雨井 卍』なので、『雨井』と呼んでいただければ結構です」

 

「そうか。詳しく教えてくれてありがとう、悪魔」


「えぇぇぇぇ…」


 一通り雨井の説明を聞き流し、さっそく書斎に向かう。書斎には本棚が3つ。その中から雨井は3冊の本を取り出す。


「・・・『よくわかる日本語』、『マナー基礎知識』、『子供のしつけかた』?」


「えぇ。今のあなたには、まずこのくらいが妥当かと。絵が沢山入ってて、わかりやすいので」


「大学とやらの勉強はしなくていいのか?」


「それも大事ですが、今のあなたにはまずこっちのほうが大事です。

 じゃ、私仕事があるので一端帰りますね。分からないことは、そこの説明書読みながらパソコンで調べてください」


 そういうと悪魔は顔を手で覆いながら姿を消していった。


 はてさて…最初はどれから行こうか…。まずは言語からだな。人間の言葉をちゃんと理解しないと、他人と意思疎通ができない。それでは困る。子供のしつけ方は…ちょっと置いておこう。


 しかし、『よくわかる日本語』という本を、日本語で書くのは果たしてどうなのか…。まぁ、かといってじゃあ何語で書けばいいのかと言われると分からないが…。人間は不思議なものを作るな…。


 疑いのまなざしで取り掛かる私だったが、これが案外面白い。虫だった頃は、音の強弱や鳴き方で他の個体を判別したり、その者の体格等々を把握していたが、人間となるとそれらを駆使してより複雑な会話ができる。しかも、同じ音でも意味が違うものがあったり、違う音ではあるが意味は同じものがあったりと…なんと複雑なことか。でもきっと、こういう言葉が生まれたのは、きっときっかけは「うっかり」だったりするんだろうな…。


 そんなことを考えながら言葉を学んでいく。

 学んでいく中で分からない言葉はパソコンを使って覚えていく。

 ・・・が、どうも便利な反面、いちいち画面に向かっていくのが面倒だ。

 何か手元においておける物はないのか。

 よし、そういった道具がないか調べよう。


 そうして私は言語を学ぶところから、パソコンの使い方を覚え、ネット通販の使い方を覚えた。

 今でも覚えている。最初に私が注文したのは、『広辞苑』だ。なんでも、「日本語の辞書の最強版」との評判があったので、手っ取り早くこれを購入した。ただまぁ…実際のところこれで言葉を調べるより、国語辞典のほうがはるかに楽なのだけれど、それに気付くのは結構後の話だ。


 『マナー基礎知識』、これが意外と厄介だった。何せ、本の中では「これが常識です」というものが書かれているのだけど、多すぎる。特に「社会人としてのマナー」は傑作すぎて笑う場面すらあった。一部紹介しよう。


①名刺を交換する際は、相手を敬うために自らの名刺を低くして渡しましょう。

⇒自分の名刺を低く渡してしまうと、相手はその分腰を折り曲げるわけだから、自分のほうが…所謂『頭が高い』状態になってしまうのではないか?


②座席には“上座”と“下座”があり、上司や偉い人は基本総じて「奥」に座ります。

⇒まぁ、多分、奥に座らせるのは一番安全だからかもしれないけど、今この世の中で一番安全なのって、どちらかと言えば出入り口付近なのではなかろうかと思う。あと、席にこだわる暇があるなら、ちゃっちゃと座って話をすればいいんじゃないかと。


③「お世話になっております」

⇒貴様が一体私の何をお世話しているというのか。


 日本人は、気を使いすぎておかしな方向に行っていないか…。まぁでも、そうやって相手と心地よく時間を過ごそうと考えて作り出した文化なんだろうな…。非効率ではあるが、歴史は大事だ。覚えておこう…。


 しかし、こうして人間の言葉や文化を学んでいると、ほしい資料がどんどん出てくる。日本語を学ぶと小説が欲しくなり、マナーや常識を学ぶと歴史を学びたくなる。そうしてパソコンでほしい本をリストアップしているうちに、エラーメッセージが出た。


≪まだそんなに沢山読めないでしょ。本は週10冊までとします。≫


≪ちなみに、学校には無料で本を貸し出してくれる「図書館」という場所があります。

 授業でもあなたの興味のありそうな科目もありますので、一回出席してみてください。≫


 あの悪魔…どこにこんな暇があったんだ…。


「ただいま戻りました~」


「悪魔、学校へ行くぞ」


「分かりました。じゃあ明日から通えるよう準備しますね。

 明後日からはご自身で準備してくださいね」


 そういうと悪魔は何やらいそいそとどこかへ出かけて行った。


 学校か…果たしてどんな場所なんだろうか。

 少しの期待を胸に、私は料理本を片手に晩飯の準備を始めた。


≪P.S.蝉日記≫

「さて、飯は何を作ろうか。昨日悪魔は3つくらい作ってたな…よし、やってみるか」


~2時間後~


「媛遥さん、学校の準備できましたので、晩御飯の支度…を…」


「あぁ、悪魔。自分で作ったから、もういいぞ」


「すみません、媛遥さん。これ一体何ですか?」


「見てわかるだろ。白米と、みそ汁と、キムチと、ハンバーグと、チョコケーキだ」


「いや、どう見ても違うでしょこれ。一品ものじゃないですか。ほか4つどこ行ったんですか」


「・・・?何言ってるんだ?5つも食器を使うのはもったいないんだろ?だからこうして一つにまとめたんだ」


「…………おいしい?」


「いや、とてつもなくまずい」


「よかった…。お料理、教えますね」


「よろしく頼む」

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