3つの願い。最初の願い。
「あなたの願いを、3つ…かなえて差し上げます」
願いを叶える?
人間が私のような生き物の願いをかなえると?
そもそも、こいつはどうやって私の願いを聞き入れるのか…。
向こうはペラペラしゃべっているが、こちとらシャカシャカしているだけだぞ。
「だから大丈夫ですって。ちゃんと聞こえてますから。私、あくまで悪魔なので」
ならば、その悪魔とやらが、なぜ私のような死にかけの生き物を助けるのか聞きたい。
私の願いを聞いて、「はいそうでしたか、それじゃあごきげんよう」なんてなった日にはぶち殺してやるからな。
「なんて物騒な…。本当に死にかけなんですかあなた。。。
わかりました。あなたを助けようと思った理由は、正直なところ“気まぐれ”です。
あなたにはわからないでしょうが、ここってね、葬儀場が近いんですよ。私のような悪魔の仕事の中に、死後の人間の魂を審判所に連れていく手続きをする…といったものがありましてね。私先月くらいからこの辺の担当になったんですよ。
まぁ…担当になるといっても、手続きなんてほぼほぼ死んだ段階で書類が出来上がっていますから、それにサインして持っていかせるだけですからね。
しかもそれも自動化されてるときたもんだから、暇で暇でね…。」
・・・はぁ。
「もうやることといえば散歩ですよ。その辺の喫茶店とか、よく人間のふりしていくんですよ」
人から見えるのか?
「いいえ?見えませんよ?」
じゃあ人間のフリなんかしなくてもいいじゃないか。
「おや、鋭い。いい質問ですね。
確かに見えなければ問題ないのですが、たまにいるんですよ。私たちのことが見える人が。そういった人たちがビックリしないように、そして死後の人間が私たちの姿を見てビックリしないように、こうやって人の姿になっているというわけです」
ほぉ…大変なんだな。
「わかってくれますか。あなたはいいセミだ」
あっ、それ、気になっていたんだ。
「はい?」
その、“セミ”というのは、やはり私のような生き物の名前なのか。
「そうですそうです。
私が先ほどから“悪魔”と名乗っているのと同じで、あなたは“セミ”という生き物です。正確に言えば、名前ではなく呼称です。名前というのは…ほら、こういうものです」
男は一枚の紙きれを私に見せてきた。
『あまい・・・まんじ・・・?』
「字が読めるようにサービスしときました。話が脱線しましたね。
私があなたを見かけたのは、つい3日前のことです。
なーんだかいつも同じ場所にいるなぁと思っていたんです。
生き物ってね、生きているから、どうしても動くんですよ。だから、昨日はそこにいた生き物も、翌日は全く違う場所にいる…のが、普通なんです。
人間ならちょくちょく2~3日おんなじ場所にいる奴もいますが、生き物は基本それがないですからね。だから、珍しいんですよ。あなたみたいに、じー--っとしている生き物」
そんなことはないだろ。ほかの生き物でもじー--っとしているやつはいくらでもいる。
「目的があってじー--っとしているのと、目的がなくじー--っとしているのは違うんですよ。何と言いますかね。体の停止じゃなくて、魂の停止というか…。生き物って、体は止まってても、魂は動いていることが多いんですよ。だから、あなたのように魂が止まっている個体を見ると、興味が沸くんですよね」
興味?
「えぇ。『魂の止まったものの望とは何だろう』ってね」
望みか・・・。望み・・・望みか・・・。
ふと、込みあげてきたものは“怒り”だった。
なぜ私が、なぜ私は・・・。なぜ、たまたま私の胸元に、石ッコロがあったのか。なぜ私の胸板が歪まねばならなかったのか。なぜ私は番ができなかったのか。なぜ私がこんな目に合わなければいけないのか。
なぜ私は、生まれてきたのか。
腹が立つ。私だって生きたい。意味のある死を迎えたい。生を謳歌し、幸せに死にたい。それなのになぜ。こんなところで死なねばならないのか。
なんなんだ。目の前のこいつは何なんだ。死を目前とした私に、なんてものを寄越すんだ。生きたところで何なんだ。寿命を得たところで何になるんだ。番はできず、人間におびえながら暮らす毎日。
そんな毎日ごめんだ。
だったら、願ってやる。私は、生き物として生きたい。
どうせなら、かなわぬ願なら、もっと別の形で生きてみたい。
悪魔よ、私を、人間にしてみろ!
「ふふっ、はい、仰せの通りに」
男はおもむろに私に帽子をかぶせる。
そのゆっくりとした動きに、私は逃げることができないでいた。体の力が抜けるような、自分が自分でなくなるような。これが死かと、あきらめを強いるような心地がその空間にはあった。
「生かしてくれるのではなかったのか」と、怒りが再び湧いてくる。
怒りが湧くと、力が入った。
生かして返すものかと、私の胸が穿つ。
手を伸ばし、もがく。
何かを突き破る。
暗い夜空に光が見える。
あの男が立っている。
「このクソ野郎!騙したな!
そのにやけ面、このひん曲がった口で突き刺してやる!」
男はにやけ面のまま、私の顔に手をかぶせ、制止する。
「落ち着きなさい。いくら悪魔の私といえども、人間と接吻する趣味はありませんよ」
「ふざけるな!ふざけるな!私のような生き物を騙して面白いか!」
「いいえいいえ、騙してなどいませんよ。・・・おや、だいぶコミュニケーションが取れるようになりましたね。どうですか?私と話しやすくないですか?」
気が付く。
私ではない何かが、私の思いを話している。私ではない何かが、私の代わりに男に近づいている。巨大だった男が、等身大に。すがっていた樹が、私の後ろに、背中に。関節の痛みがない。痛みがない代わりに、動かせる関節が減っている。
これではまるで…。
「おめでとうございます。ようこそ、人間の世界へ」
そう、私は…。あの恐ろしい人間様になっていた。
私の望みは、果たしてこの悪魔にかなえられてしまったのだ。