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手を噛む飼い犬

「あなた・・・!」


 そこへすかさず、ピエールとマリーがすごい形相で女のもとへ走ってきた。2頭は私ですら見たことがないくらい、明確な殺意が伝わる顔とうなり声で女を睨みつける。かろうじてとびかかったり噛みついていないのは、少し隣にいる主人である私の指示がないからだろう。

 エジソンは蹴り飛ばされた犬の元へ行き、彼の様子をうかがっている。


「私は、彼の様子を見に行きますね」


「あぁ、頼む」


 エジソンと犬のもとへ、雨井が向かう。さてこの状況、どうしたものか。


「なんなのこの犬・・・、すみません!誰の犬ですか!

 早くどかしてください!噛みついてきそうなんですけど!」


「申し訳ない、その犬は私の犬です」


「そうなんですか、早く離してください・・・怖いんですけど・・・」


「・・・茶色い犬はピエール、黒い犬はマリーと言います。

 マリーは、保健所の前で捨てられていました。尻尾に何かの後遺症があるのが、触れると悲鳴を上げます。ピエールはそんなマリーを守るために、マリーが悲鳴を上げると、よく鬼の形相で飛んできます」


「そうなんですね、うちの子が悲鳴を上げたから・・・すみません。

 あの、早く離してください」


「そんな2頭が、今あなたに向かってこんな表情で睨みつけています。私ですら見たことがない表情、声を上げて、あなたに向かっています。

 悲鳴の元の犬ではなく、あなたにです」


「それが何だって言うんですか」


「犬だって、今この場で悪いのが誰か分かっているんです。

 あなた、今誰が悪いと思っているんでしょうか」


「だから謝っているじゃないですか。あの子を引き払いますので、少しこの子たちを離してください」


 女が避けていこうとすると、2頭は女の前に立ちふさがり、より大きく唸り声をあげる。そこへ女の他の犬がやってきて、同じくうなり声をあげたが、ピエールが睨みつけると声を止めた。


「ちょっとなんなの!?これじゃあ回収できないじゃない!躾くらいちゃんとしてくださいよ!」


「してますよ。しているから、今はこれで済んでいるんです。

 これらがもし利口じゃなかったら、あなたの手を粉々にしていることでしょう。

 ピエール、マリー、『やめろ』」


 そういうと、2頭は私の近くまで戻ったが、唸り声はまだ止めない。

 女は蹴り飛ばした犬の元へ向かった・・・が、


「エジソン、『やめなさい』」


「えっ?」


 エジソンはいつの間にか、女の手に口を開けていた。

 女は悲鳴を上げ、その場に座り込む。その様子に、ドッグランにいた誰もが動けずにいた。店内にいたスタッフも出てきていたが、エジソンのあまりの様子に何もできずにいた。


「あなた」


「・・・はい?」


「選択を差し上げましょう。今すぐ帰るか、捨てるか」


「そんなの決まってるじゃないですか。今すぐ帰ります」


「あなたに聞いているんじゃありません」


「・・・は?」


 雨井は犬に向き直り、問いかける。犬は小さく悲鳴を上げながら、雨井を見ていた。


「私の言葉が分かりますね?あなたはそこまで馬鹿ではないはず。

 あたなは、今、幸運にも、自分のこれからを選ぶことができます。

 しかし、あなたが未来に進むには、辛い選択をせねばなりません」


 犬は悲鳴を止め、雨井をじっと見つめる。


「選びなさい。

 あなたは、愛がほしいですか?

 それとも、幸せが欲しいですか?」


 犬はしばらく雨井を見つめ、立ち上がる。よろよろと飼い主の女の元へ行き、じっと目を見つめる。女は放心のまま犬を見ていたが、ハッと我に返り、犬をつかもうとした。しかし、女の手は抱きかかえるためではなく、首根っこをつかむ動作をした。犬は悲鳴を上げず、女の手に噛みつく。威嚇のためではなく、それは明らかに攻撃のためだった。

 女は悲鳴を上げ、スタッフは急いで救急箱を持ち出し、女の手当てをする。



 犬はその様子を見て、雨井へ近づき、座った。



「・・・分かりました。」


 そういうと雨井は、そっと犬を持ち上げ、私の元へやってきた。私は特に何を言うでもなく、女をただ見ていた。


「今日からこの子はうちの子になります。いいですね」


「なによ、、、何よ!何よ何よ何よ何よ!

 そんな奴こっちから願い下げよ!お金出して兄妹まとめ買いしたのに、こいつだけいっつも!

 いっつもいっつもいっつもいっつも!いっつも迷惑ばかりかけてきて!

 いらないわよ!そんな奴いらない!そんな犬いらない!

 帰るわよ!皆来なさい!」


 そういうと、4頭は女の方へ近づいた。しかし、女がリードを着け、引っ張ると、4頭は動かなかった。


「何?ほら、もう怖い思いはさせないから、早く帰ろう?ね?」


 4頭は、雨井が抱える子を見つめたまま、動かない。それはきっと、彼らの中で強い葛藤があるからに違いない。

 しかしその子は、4頭から目を背け、雨井の腕の中へ顔をうずめた。きっとそれが別れの言葉だったのだろう。4頭は女の指示に従い、帰っていく。


「媛遥さん、先に帰っていただけますか?」


「・・・?」


「一応、いつもの獣医さんのところに連れていきます」


 雨井に財布を差し出す。


「行く道でコンビニがあったら、必要そうなお金を引き出してくれ。暗証番号は俺の携帯番号下4桁だ。カードが使えるならカードでも構わない」


 雨井は財布を受け取り、犬を連れてどこかへ向かう。

 私は、店員の元へ向かう。


「お騒がせしてしまい、申し訳ございませんでした。

 私含め、うちの犬が皆様に迷惑をかけてしまいましたので、もうこちらへは来ないようにいたします」


「・・・何をおっしゃいます。いつでも来てください」


「いえ、そういう訳には・・・」


「岩崎様のワンちゃんは、必死に言いつけを守り、誰も傷つけていないじゃないですか。

 それって、すごくお二人のことを信じているからだと思います。

 そして、それはお二人が非常に心の優しい方である証拠です。

 

 私の持論ですが、犬は飼い主の性格を、良く感じ取ります。

 あの飼い主も、きっと100%悪い人ではないのでしょうけど、少なくとも、あのワンちゃんはついていけなかったようですし、飼い主の方も、もう心は離れたでしょう。


 私たちは何も迷惑を被ってはおりませんので、岩崎様さえよろしければ、またお越しください。エジソンちゃんと、ピエールちゃん、マリーちゃん夫婦、このドッグランの人気者なんですよ」


 周りを見ると、客の何人かが首を縦に振ってこちらを見ていた。パピヨンの女性も、首を縦に振る。


「エジソンちゃんっていうのね。いつもうちの子におもちゃを貸してくれて、優しくしてくれてるから、うちの子エジソンちゃんに会いに来てるようなものなのよ」


「うちの子も、よくあの2匹、ピエールちゃんとマリーちゃんですか、じゃれて遊ぶのが好きなんですよ。来てくれないと寂しいなぁ」


「あの大きな子、ピエールって名前なんだ。うちの子ちょっと内気な子なんですけど、ピエールちゃんが遊びに誘ってくれたおかげで、今じゃ散歩とこのドッグランが大好きになって・・・、だから、来てくれないと寂しがると思います」


「すみません、うちの子・・・よく一緒にいらっしゃるあの黒い人から貰うおやつが大好きで・・・レシピ聞いても教えてくれないもんだから、来てくれなかったら拗ねちゃうよ・・・」


 常連のお客さんが、かわるがわる3頭をなで、褒めてくれていった。3頭は、うれしさを隠せない表情をしているが、お座りだけは崩さなかった。


「・・・では、お言葉に甘えて」


「はい、いつでもまたいらしてください」



 

 うちに帰り、犬たちのハーネスを外すと、マリーがか細い声を上げる。


「・・・大丈夫だ。雨井が病院に連れて行ってくれている。きっと元気になるさ。

 お前たちだって、病院に連れてったら元気になっただろ?

 信頼できるお医者様だ。安心しろ」


 そういうとマリーはピエールと一緒に小屋に戻った。そこへ、漱石が後ろから声をかけてきた。




 ・・・・・・・・・・あっ。




「漱石、すまない。集会用の食糧を買い足し忘れた。

 すまないが、今日はあるもので用意していいか?」


 漱石は、何も言わず、私の後ろに目を向ける。


「・・・あぁ、実はな。

 今日エジソンたちをドッグランに連れて行ったときに、ひと悶着あってな。

 いま怪我した子を病院に連れて行ってるんだ。もしかすると、家族が増えるかもしれない」


 そう言うと、漱石は声を一つ出して廊下を歩く。尻尾を左右に振っているので、『付いてこい』の合図だ。漱石の後をついていくと、中庭にたどり着いた。


「オォォォォォォン」


 猫らしからぬ遠吠えを、漱石は集会を開く際によく行う。うちで飼っている猫はすぐにやってきて、野良猫たちは10分前後で集合した。

 ふと漱石の方を見ると、耳を素早くパタパタと動かしている。これは、『どっか行け』の合図だ。「はいはい」とリビングの方にいると、ものの数分で漱石が帰ってきた。中庭を見ると、うちの猫以外誰もいない。


「なんだ、集会中止にしてくれたのか」


「ニャー」


「そうか、すまんな」


 そういうと漱石は二階に消えていった。



「ただいま戻りました~」


「あぁ、どうだった?」


「幸い骨に異常はありませんが、足を引きずっているので、打ち身はしているだろうと。

 一応鎮痛剤をもらって、あと栄養剤ももらいました」


「わかった。

 ・・・今は?」


「ふふふ、寝ちゃってます」


 リビングのソファーに腰を掛け、雨井が私の膝の上に犬を乗せると、犬は目を覚ました。

 そっと撫でようとすると、やはり少し怖いのかビクっとする。落ち着いて目を開けるまで手を止め、目を開けたタイミングでゆっくりと撫でると、犬はか細くクンクンと鳴く。


「・・・怖かったよな。やめてほしかったよな。ホントはもっと一緒にいたかったよな」


 そういいながら撫でていると、犬はそのうちもう一度夢の中へ入っていった。


「名前、決めないとですね」


「ん?あぁ。

 女の子か・・・リーゼ。この子の名前はリーゼにしよう」


「いい名前ですね」


 新しい家族、ペキニーズのリーゼを撫でる。




「媛遥さん」


「なんだ?」


「あなたが行こうとしている婚活、男も女も、ああいう人が70%の割合で来ます」


「・・・嘘だろ」


「しかし、今日あなたがあの店員から聞いた通り、あの人間も100%悪い人間ではありません。でも、パートナーがいない。番がなかなか成立しないというのはどういうことか、あなたならよくお分かりになると思います。

 わざわざそういう場を設けないとパートナーが作れない人が来るということは、そういうことだと念頭に置いておいた方が良いかもしれませんね」


「なんだか、行くべきか行かざるべきか、また迷ってきたぞ」


「すべてはあなた次第ですよ。媛遥さん」



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