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ドッグ、ラン

「雨井」


「はい、なんでしょう」


「出かけるぞ」


「はーい」


 土曜日、今日は週に一度の散歩の日だ。散歩と言っても、犬たちをドッグランに連れていく日だ。

 うちで飼っている犬たちは基本的には屋外と屋内を自由にできるうえに、この家には犬たちが遊ぶことができる十分なスペースがある。晴れた日には庭で遊んでいる姿もしばしば見かけるのだが、やはりどうしてもコミュニティが狭くなってしまう。


 うちで育てている犬は今3頭、エジソン、ピエール、マリー。

 エジソンは、私が大学生の頃にうちの中庭に迷い込んできた雑種のオス犬だ。左前脚の肩甲骨に、雷のようなひっかき傷があったことから、私がエジソンと名付けた。

 ピエールとマリーは、雨井が拾ってきた犬だ。保健所の前で捨てられていたらしい。ピエールは茶色いオスの、マリーは黒いメスのゴールデンレトリバー。マリーは最初は黒というよりは、黒っぽい犬だったのだが、成長した今は美しい漆黒の毛の持ち主だ。だが、捨てられた際か、それより前の後遺症なのか、しっぽを触られるのを極端に嫌がる。痛いのかもしれない。ピエールは大きくなったら、大きくなった。普通のゴールデンレトリバーの成犬より一回り大きい。マリーに比べると人懐っこいが、マリーが「キャン!」と鳴くと、鬼のような形相で飛んでくる。


 散歩用の道具をもって玄関を出ると、3頭が並んで待ってくれている。土曜の晴れた日はいつもドッグランに行くので、彼らも分かっているのだろう。いったんドアの内側に招き入れて、ハーネスと紐をつける。


「ニャ~」


「あぁ、おはよう、漱石」


 漱石という名のぶち猫は、いつもどこからともなく私の背後から現れる。彼は私が人間としてこの家で暮らすようになってから、いつの間にか居ついた猫だ。・・・何歳なんだ。

 ふてぶてしい表情とは裏腹に、性格はいたっておとなしい。決して人懐っこいわけではないが、同居人というか、同じ屋根の下で暮らす中での最低限の礼儀をなぜかわきまえている。そして、彼の最大の特徴は、彼はこの一帯のボス猫であるということだ。頻繁ではないが、よく中庭で夜中に家で飼っている猫や野良猫たちで集会を開いている。面白いことに、集会を開く日の朝は、漱石は私にとある合図をしてくれるのだ。その合図が・・・


「漱石、今日は?」


「・・・・」


 片耳を下げて、しっぽを上下に3回振る。


「分かった。では、用意しておくよ」


 そう言うと漱石はそろそろとどこかへ姿を消す。これが漱石が集会を開く合図だ。


「お待たせしました~」


「雨井、漱石が今日集会を開くらしい。夕方くらいから準備をするから、帰り道途中外すぞ」


「あぁ、はい、分かりました」


「よし、じゃあ行くか」


「ワンっ!」


 エジソンが先陣を切って動き出す。いつも私がエジソンを、雨井がピエールとマリーを連れていく。連れていく先は歩いて40分ほどのところにあるドッグランなのだが、そこはペット用品も取り扱っている。専用フードの他にある程度の肉製品も扱っているので、彼らが遊んでいる間買い物をするのも珍しくはない。道の途中で少し外れると鮮魚店があるので、帰りにそこも寄る必要がある。


「それで、婚活どうするんですか?」


「あぁ、それなぁ・・・。あんまり乗り気じゃないんだ」


「そうでしょうねぇ」


「どう思う?」


「どう思うって?」


「その婚活というのは、私の望むものになると思うか?」


「さぁ、どうでしょうね。人と人との出会いは一期一会・・・なんて言いますから。

 ひょっとしたらひょっとしてひょっとするかも・・・なんてことも期待できるんじゃないですか?」


「期待できるんじゃないですかって、お前ならどうなるかくらい分かるだろ?」


「未来なんて見るもんじゃないですよ。見えてもろくなことないですし」


「でもお前はちょいちょい見るじゃないか」


 おもむろに雨井は腰のポーチを探り、袋を取り出す。すると、ピエールが糞をする。雨井は慣れた手つきで糞を回収し、専用の袋に入れ、糞周辺をペットボトルの水で洗い流す。

 そして、何事もなかったかのようにまた歩き出す。


「・・・ほら」


「ほらって?」


「ピエールが糞をする未来を見たんだろう」


「そんなちっちゃい未来見てどうするんですか」


「ピエールが糞をする前に袋を取り出したじゃないか」


「ピエールがいつもここで糞をするからでしょ」


「ピエールがいつもここで糞をするとは限らないじゃないか」


「でもピエールが糞をするかもなぁと思ったら袋ぐらい準備するでしょう」


「しかしピエールが糞をしない時は袋を出さないじゃないか」


「そりゃピエールが糞をしないかもなぁって思う時は出さないですよ」


「それは未来を見ているんじゃないのか」


「・・・って気がするってだけですよ」


「ずるいぞ」


「こんにちは~」


「「こんにちは~」」


 通りすがりの女性に挨拶を返し、再び歩き始める。


「いいですか、媛遥さん。人との出会いなんて、どんな人間と出会うかはその人次第です。

 それがその人にとって良い結果になるのか、はたまた悪い影響を及ぼすのか、それは出会った人次第、そして、その人がそれをどう思うか次第なのです。

 要するに、何がどう起こるかなんて、すべてはあなた次第なんです。

 私が未来を見て、『あなたはいついつの何時にどうこうで~』なんて話しても、その通りになるのかは分からないじゃないですか」


「そりゃそうかもしれないが・・・」


「例えば、『会話に夢中なあなたはもうすぐエジソンが歩きながら出した糞を踏む』と言ったら、どうします?」


 はっと目を前にやると、エジソンが歩きながら糞をしていた。即行避けた。


「あっぶね!」


「ほら、多少無理してでも避けるでしょ?」


「そりゃそうだろう」


「これって、私があなたに起こる未来を話したからですよね」


「あぁ」


「でも、その通りにならなかったですよね」


「そりゃまぁ・・・」


 雨井はポーチから袋を取り出し、しゃがみ込む。


「そんなもんなんですよ、未来なんて。

 私がその未来を話さなければ、あなたは私が見た通り糞を踏んでいました。

 でもそこで、『私がその未来を話した未来』ができると、私が見ている未来とは違う未来なんですよ」


「あぁ・・・そうなるのか」


「そっ、だから、仮にもし未来が見えたとしても、見えたところで仕方がないんですよ。

 『そんな気がする』くらいでとどめておくのが一番なんです」


 そう言いながら雨井はエジソンの糞の処理をする。


「・・・そうか」


「さっ、行きましょう」



 ドッグランに着き、エジソンたちからリードを外す。3頭はお座りをしたまま、私を見ている。


「よし、いいか。俺がいるときは俺の言うことを聞くこと。特に『危ない』とか、『やめろ』という指示をしたときは、俺のことを注目すること」


「「「ワン」」」


「俺がいない時は、雨井の指示を聞くこと。その時も、『危ない』とか、『やめなさい』という指示が出たら、雨井のことを注目すること」


「「「ワン」」」


「最後、『帰るぞ~』というまでは、思いっきり遊んで来い」


「「「ワン!!」」」


「よし、行ってこい!」


 広場を指さしながら言うと、3頭は勢いよく走っていく。


「相変わらずいい子たちですね」


「あぁ~!どうもこんにちは! こんにちは~アカネちゃ~ん!

 今日もかわいいでちゅね~!」


 雨井が気持ち悪い。


「どうも、こんにちは」


 いつもパピヨン犬を連れてくる女性だ。この近所らしい。前にその子がほかの犬にいじめられだしたのを、エジソンが助けてからというものの、話すようになった。


「うちの子も、また混ぜてあげてもらってもいいですか?」


「えぇ、あっ、僕ちょっと席を外しますので、何かあったらこいつに言ってください」


 そう言い残し、私は用品売り場の方へ向かう。

 今日はドッグラン後に与えるおやつの補充と、いつも与えているフードの補充。あと、おもちゃとして与えている鹿の角がそろそろボロボロなので、替えの物を購入しておく。

 あとは・・・あっ、そうだ。ささみ。ドライささみのほぐしたものがいる。いつもこの辺になるのだが・・・。


「あっ、すみません!今補充するところだったんですよ。こちらですよね?」


「あぁ、ありがとうございます」


「いつもいっぱい買っていただいて、ありがとうございます」


「いえいえ、ここの物は安心して彼らにあげられるし、彼らもこちらの食事には大喜びで、いつも助かっています」


 その時、外が少し騒がしい気がした。


「すみません、お会計お願いできますか?」


「あ、えぇえぇ!どうぞ!」


 会計を済ませ、外に出ると、雨井と女性が一方向を見ていた。エジソンたちも、そっちを見ている。


「なんであんただけいっつも言うこと聞かないの!せっかく連れてきてやってるんだから、走りなさいよ!」


 40歳くらいだろうか、女性が小さな犬に怒鳴っている。


「雨井、あれはなんだ」


「見ての通りですよ」


「あの人、さっき来たんですけど、ほかのワンちゃんには優しいのに、あの子にだけすごく冷たくしてて・・・」


「女性の手元には5本の繋がっていないリードがあったが、足元にはまだ1匹の小型犬がいた」


「うちでもキャンキャンキャンキャンうるさいし、どうしようもないから本を読んで連れてきてあげたのに・・・みんな遊んでるでしょ?あんたも遊んできなさいよ。それが良いんでしょ?」


 女の足元にいたペキニーズは、女が押すも抵抗し、強く押されるたびに鳴いていた。その様子に、女がだんだん腹を立てていたのは、周りの誰もが感じ取れていた。


「あの・・・」


 パピヨンの女性が、ペキニーズの女に声をかける。


「あっ、すみません・・・この子わがままで、うちでも困ってて・・・

 すぐにどかしますので・・・。

 ほらっ!もうあんただけ車で待ってなさい!」


 そう女が首元をつかんだ時、犬は大きな声で「キャン!」と鳴き、女の手を軽く嚙んだ。


「痛っ!何あんた!なんなのあんた!?」



 女は、犬を蹴り飛ばした。

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